女三人、焼肉の夕べ

東京最後の晩、母と妹と一緒に近くの焼肉屋に行った。つい1週間ほど前に開店したところだから、何もかも清潔で新しい。まだ早い時間だったので、あまり客もいない。注文した品は十分とたたないうちに次々と運ばれてきた。

「こちら、カルビと上ミノになりまーす」と元気よく言われて、「ほう、じゃあ今はまだ変身してないんだ」と呟いたわたしは、母に膝をつねられそうになる。妹は、鼻をもごもごとさせて笑いをこらえる。
そして、がび家三人の女たちは、ハタと気づいた。

男がいない。

実は、世の男性たちが「僕の趣味は、料理です」と堂々と言える時代に逆行するかのように、わたしと血の繋がった男たちは実の弟も含めて、料理がまったくできない。その、テーブルについたとたんに料理が次々と出てくるわ、ビールが注がれるわ、という生活に慣れたケシカラン男たちが唯一文句も言わずにするのが、焼肉やすき焼き、なべ類などのテーブルを囲んでつくる料理なのだ。これは、母方の親戚でも同じ。従兄弟たちは、わたしたちが箸を持って待ち構えている前で、このときとばかり甲斐甲斐しく「料理」する。その前の下ごしらえや食器など全て準備ができているのだから、当たり前だが(と、がび家の女たちは考える)。

それなのに、今回は頼みの綱の弟もいない。三人でちらちらと目を合わせているうちに、年齢順ではドン尻の妹が渋々とトングを取った。そして、わたしもこれまた渋々と手伝う。母は、決して手を出さない。出すのは、口だけだ。
「向こうの焼けてるから、取って。こっちからだと熱いよ」「火が出ちゃったじゃなーい。そこにある氷で消してよ」「あ、それもうひっくり返さないとダメ」
煙の出たテーブルを囲みながら、女たちはひっきりなしにカシマシイ。そして、誰もが「焼肉は、やっぱり男に黙って焼いてもらってゆっくり食べるのがイチバン」と心の中で毒づく。

焼肉は男たちの「料理」

久しぶりに、「和風」焼肉屋に行く。
何故「和風」かと言うと、やはりバンコクにある韓国人経営レストランとはちょいと違うからだ。バンコクのそれは、座ってメニューを渡されている間にどさっと置かれる「ツキダシ」からして違う。様々なナムルやキムチの皿が所狭しと並べられるからだ。分厚い骨付きカルビは、焼きあがるとじょきじょきとハサミでブツ切りにしてくれるし、ビビンバはまるで石のスリバチのように大きくて重い器で出てくる。韓国料理用の銀箸は細くて長くてとても使いにくいのだが、そのビビンバをかきこむと、美味しくてホッペタが落ちそうになる。

実家の近くの店は、七輪などという懐かしいものがどでんとテーブルの真ん中に鎮座していて、それはそれで風情がある。それに、日本語を使う店員さんたちがてきぱきと動くところがいいなあ。こういう流れるようなサービスというのは、バンコクではかなりいい店に行かないと客には与えられない。

それにしても、鍋と焼肉は男の料理だ。
いや「料理」と言っては語弊がある。家でする場合はもちろん女たちが支度をしなければならないが、いったん席に座ったが最後、あとは男の仕事なのだ。少なくとも、わたしの家族・母方の親戚は皆男たちが作る。

母は箸を持ったまま、どこの肉が焼けそうかな、と睨んでいる。妹は黙ってウーロンハイなど傾けながら煙草を吸っているが、目はどうしても網の上の肉にちらちらと流れる。弟は煙草をくわえながら網の上の肉を裏返して、母に「灰が飛び散るでしょっ」と怒られている。妹の旦那さんは、黙々と肉を焼き、時々「あ、ここはもう食べられますからねー」などと、甲斐甲斐しい。

思えば、父が生きていたときにも同じ光景が繰り広げられていた。全く料理をしない父だったが、すき焼き、鍋、焼肉など、テーブルで「作りながら食べる」ものは父の担当だった。
がび家の伝統である。

他の家庭で男が鍋と焼肉を仕切るのかどうかは知らないが、過去に結構たくさんの男たちと焼肉を食べたにもかかわらず、どうもわたしには「焼いた」ような記憶がない。

イタリア料理の晩餐、翌日の飲茶

イタリア人会の裏でそっと営業していたレストランが、ビルの正面に移動して、一般にもオープンするようになった。ここ2−3年、月変わりでイタリアの地域料理のフルコースを提供したり、地元の引退したオペラ歌手の歌が披露されたりと、パースでも話題になっていたレストランだ。

わたしもオーナーと顔見知りになるくらい通いつめたが、今回は久しぶりに「地域料理フルコース・ディ」以外のアラカルトを楽しんできた。

タスマニア産サーモンのカルパッチオから始まって、クルミとチーズのアニオロッティ(写真)、そしてウサギのロースト、レモンとローズマリ風味。そして、とどめのデザートは温かいザバイヨーネ・クリーム。
こういったかなり脂っこい食事をすると、胃にアブラの壁が出来てしまうせいか、ワインもどんどん進んでしまう。食事中はあまり気がつかないのだが、その効果は翌日に「頭痛」と「胃もたれ」となって表れる。つまりは、二日酔いだ。
普通は食事くらいで二日酔いになるわけがないのだが、そのあと「もう一軒行こうよー」の声とともに総勢六人でパブに繰り出しちゃったからいけなかった。

ところが、昨日一日釘を脳天に打たれるような頭痛に息も絶え絶えだったわたしに、友達が電話をしてくる。
「お昼は、飲茶に行こうよー」
聞けば、前日イタリア料理で一緒だったヤツラが全員参加すると言う。あれだけ食べて、1時まで飲んで、翌日の昼にはもう飲茶に舌なめずりができるなんて、一体どんな胃袋をしているんだろう、オーストラリア人は。