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「オトナ語」に四苦八苦したこともある

歯医者に行った帰り、ちょうどお腹もすいたので日本風ラーメン屋の暖簾をくぐる。タイ語なまりの「イラシャイマッセー」の声に送られてカウンターまで進み、近くにあった週刊ポストだかゲンダイだかをつかんで読み始めた。「紙に書かれた日本語の活字」には、いつも飢えているのだ。
糸井重里が、「オトナ語」がどうのこうのと対談をしている。
社会人たちが会社や取引先で極めて当たり前のように使う言い回しを、オトナ語と名づけたらしい。さっそくオフィスに戻ってからネットで検索してみると、「ほぼ日刊イトイ新聞」に詳しく載っていた。
「物理的にむずかしい」「実際問題、こうこうです」「そういった意味では」「xxするという方向で検討してみたいと。。。」「とりあえず一度かたちにして、それからですね」
何年か前日本でのビジネスがあったとき、わたしはその「オトナ語」に悩まされたことがある。
微妙な気遣いや含みのある言葉遣いは、日本で働いたことのないわたしには「漠然と理解」していても、実際には使うことができない。だから、クライアントであるスイス人社長がいる席での日本企業への通訳は、「わたしのほうこそ現代語訳のできる通訳をつけて欲しい」と思ったほど難しかった。
ましてや、旧態依然としたその製品業界の大会社には、「御用聞き」である仲立会社がコバンザメのようにびっしりくっついている。専門用語と独特の言い回しが、どんな会話にもふんだんにちりばめられた世界だったのだ。
わたしは日本語を流暢に話すし、姿カタチも完璧な日本人だ。ところが、ビジネスの言い回しに関しては新卒の紺スーツ以下である。そりゃあ、相手を立て、なんとか円満に自分の意思を伝え、また相手の意思も汲み、なんてことは、年の功と常識でどうにでもなる。だが、外来語の短縮形を混ぜた「含みのある」会話となると、もうお手上げだ。
わかったようなフリをしていたが、実際には「たぶん、こんなことを言っているんじゃないかなあ」と推測したことも多く、冷や汗をかいた覚えがある。
改めてこうして活字になったもの(本ではなくて、サイトに置かれた原型のことだが)を読むと、本人たちはマジメに使っているのだろうなと思われて、大笑いしてしまうほど可笑しい。
若いひとたちの言葉が乱れているなんて豪語しているが、社会人のオジサン、オバサンたちだって外には通じない言葉を無造作に使っているのだ。当たり前が当たり前でなく「面白い」と受け取られてしまう事実は、日本語をちょっと立ち止まって意識してみるのにちょうどいい。笑うことは身体にもいいし、ね。

「自己満足」を手にとってみる

先月からちょっとずつ試してはいたのだけれど、いかにせんまとまった時間がとれないために進んでいなかった。このサイトの「改築工事」のことである。
HTMLをFFFTPからアップロードするのも、いちいちカテゴリ分けしてからインデックスを作るのもめんどくさくなった。そろそろ、デザインも変えたい。日記にアクセスするひとのほうが多いので、そちらをHOMEにしたほうがはるかに能率的でもある。
そんなわけで、一応 movable type で形だけは整えたので、あとはおりを見て使いづらい部分などを修正していこうと思う。骨組みだけをきちんと作れば、あとはシステムが勝手にデータをさばいてくれるというのが、実に嬉しい。