がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

抗菌と免疫の危ういバランス

月曜日は祝日なのでこれから三連休、昨日はなんとなくウキウキして、同僚たちのお誘いに乗ってパブに繰り出した。

新しいフランス語教師も初参加、少々遅れて彼女を迎えにきたダンナサマも引きずり込んでしまう。免疫関係の薬品会社で働いているという、とてつもなく背の高い男性だ。どのぐらい「とてつもない」かと言うと、160cmのわたしの目線は彼の胸のあたり。つまり2m近いのだ。パブでは立ち飲みのひとたちのほうが多いが、このときばかりは皆椅子席を選んだ。首が疲れてしまいそうなので。
その彼が言うには、実験で使うマウスにはおもしろい現象が見られるそうだ。
実験によっては無菌状態で育てたマウスを使うことがあるが、そのほとんどの盲腸が異常に大きくて、腸内の免疫を左右するナントカカントカ(初めて聞く言葉だったので忘れた)のほうは異常に小さい。下痢ピーになる確率も高い。ところが、統計的には、そのマウスたちは普通の状態で育てられたものより2倍近く寿命が長い。
非常に不気味なのだが、もしかしてこれは人間にもあてはまるのかもしれないね、という話になった。

現代のわたしたちは、ほとんど無菌状態のマウスとおなじなのではないか。抗菌ソープで手をしっかりと洗い、泥を触ることもなく、外の自然と対峙するのは「散歩」だけだ。安全とタイコバンを押されたものしか食べないし、そのぶんビタミン薬で栄養を補強する。ほとんどの時間をコンピュータの前で費やすのは大人だけではなく、放課後の子供たちも似たようなもの。それでいて、平均寿命は100年前からどれだけ長くなったことか。
わたしが子供のころには、まだ青っ洟をたらした子供たちがいたし、シモヤケやらカサブタやらをつくっても、平気で肌をさらしていたように思う。ドッジボールで膝をすりむいても、真っ赤なヨードチンキくらいでバンドエイドなんか貼ってもらえなかった。無菌状態を作り出し菌を遮断するより、菌と「共生」していたと言えるかもしれない。免疫というのは、本来そういう意味なのではないか。

わたしの働く学校の保健室に行くと、子供たちの健康状態のリストがある。中でも、気管支喘息などを筆頭にアレルギーが非常に目立つ。しかし、軽症重症合わせてクラスの3分の1が喘息というのは異常に多い。
アレルギー症のある子供たちが増えているのは、わたしたちの環境がすでに「無菌」に向かってまっしぐらなのが原因のひとつかもしれない、とふと思った。

 

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