がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

内視鏡検査は「たそがれ麻酔」で

7時半に来いというのでピッタリに着いたら、ピッタリ30分待たせられてから「内視鏡検査の方はどうぞコチラへ」と言われ、4人ほどゾロゾロと病院の反対側のはずれまで案内された。
8時にガヤガヤとスタッフが集まってきたということは、仕事は8時からなんだな。8時半にわたしの番。糖尿病だとわかると、アナタが一番先と。薬を飲みながら1日絶食するとどういうことになるかというと、つまり低血糖になってしまうわけ。測ってもらったらほんとにものすごく低かった。通常のひとの血糖値より低いというのは尋常じゃない。

そのあとは9時に支度させられ、生年月日と病歴と家族の病歴とその他もろもろの健康の質問。9時半まで待たされる。着替えた手術着はもちろん後ろがパカッと開いているので、お尻まで隠れる木綿の上着のようなものを渡されたが、それでも寒い。暖房はあまり暖かくしていないらしい。寒いと言ったら、おもしろいものを渡された。シーツを4つに折ったものだ。それを温める機械まである。これを羽織っていなさいと肩にかけてもらったが、なるほど電気毛布のように温かい。しかし、大きなシーツを羽織った姿はまるで三角形のとんがり帽子。わたしのあとに続く3人も同じようにシーツを羽織っていて、なんかもう笑ってしまいそうになった。

9時半に手術室に入るが、今度は麻酔医が来ない。また先程と同じ質問が繰り返される。そのあとは仕方なく手術台に寝かされたまま、ぐるりとまわりを取り囲む5人(看護師が3人、実習生が1人、医者が1人)と世間話。わたしの経歴が面白いのか、質問攻めにあって手術室で30分以上もおしゃべりが続いた。
10時半にやっと麻酔医が現れ、また同じ生年月日から始まる質問質問質問。なんで何度も同じ質問が繰り返されるのかとても不思議だったが、こうやって慎重に確認しているのかもしれない。

胃の内視鏡自体は鼻からではなく口からだった。オーストラリアではそのほうが一般的らしい。

今からするのは「たそがれ麻酔」だから全身麻酔ではないのよ、と看護婦が言う。要するに鎮静剤と麻酔などをミックスした注射らしい。これは意識下鎮静法(Conscious Sedation)とも呼ばれ、患者がウトウトしている時間は短い。覚めるのも早い。だからこうした5分から20分ぐらいの手術によく使われるのだ。
軽くウトウトとしているため、手術中にも痛みを感じず、医師や看護師の言葉にも反応する(らしい)。意識があるので、酸素マスクはなし。鼻の両穴につける小さな酸素吸入器だけだ。そう言えばお尻の穴に何か突っ込まれたのもかすかに覚えている。でも「ま、どうでもいいや」ぐらいの気持ち。「口開けろ」と言われ、内視鏡の管を差し込む穴の空いたプラスチックリングを噛ませられたのも覚えている。そして、あなた口から息してね。そうそう」という看護師の言葉。痛みは全く感じないし、手術中のことやその直後のことはほとんど覚えていないのが特徴らしいが、まさにそれ。

手術前に看護師が「あなたね、わたしはイギリス人でアチラでも働いていたけど、公立病院じゃ麻酔なんかしてくれないからね、スプレーと軟膏だけだからね。痛いわよう…」と恐ろしいことをニコヤカに教えてくれた。わたしは怖がりなので、「たそがれ麻酔」だろうが「全身麻酔」だろうが痛くないなら何でもやってね、という気持ちだったが。

また、日本では胃の泡を消すための消泡剤を飲んだり喉への麻酔注射もあらかじめするそうだが、全く何もなかった。「たそがれ麻酔」のあとで何かやったのかもしれないが、もちろん覚えていない。

…ラジオがうるさいなあ、と思いながら目が覚めたらすでに回復室にいた。この轟音のラジオは、もしかしたら「早く起きろ」ってことか。
大部屋なので、隣とはカーテンで仕切られている。「起きましたかー」と聞かれて、ゆっくりと目が開いた。痛みは全くない。看護師に「血圧と脈と熱と血糖値を測りますね」と言われ手を差し出したが、なんだかまだ眠い。時計はもうすぐ12時。手術は20−30分ぐらいだと言われていたので、1時間ぐらい眠ったことになる。血圧も血糖値も低いし、脈もまだゆっくりだった。

隣のオジサンはわたしの次に順番を待っていたが、そのひとのベッドが出てきてカーテンの向こう側に入った。もうすごいイビキだ。

流れ作業でベッドを空けなければならないらしく、わたしは12時10分にはベッドから起きて快適なソファーへ。足が上げられるし背もたれも倒せる。そこでやっと紅茶とサンドイッチが出た。美味しい。こんな何でもないサンドイッチが絶食のあとではなんて美味しいんだろう。
わたしのベッドがあった場所にはすでに3番目に待っていたひとのベッドがガラガラと入ってきていた。つまり麻酔医の遅れのせいでわたしの検査が遅れたが、そのあとは順々に30分ずつってことなのだ。

結果は大腸は問題ナシだったが、胃はケチをつけられた。胃潰瘍だ。
生体組織検査のために細胞を少し取られ、ピロリ菌の検査をすると言う。正式な結果は主治医からとのことだ。やっぱりこの胃もたれと胃痛は、胃潰瘍のせいだった。

昔は「胃潰瘍はストレスのせい」と言われていたが、今はピロリ菌が原因のこともあるのだ。経口感染が主なので、家族に保菌者がいると発症することが多いらしい。ちなみに、ピロリ菌を発見したのはわたしも通った西オーストラリア大学の研究者二人で、ノーベル賞も授与されている。

さて、帰りは独りでは退院できない。麻酔を使う手術などでは、友達でも家族でも誰か知り合いが迎えに来なければならないのだ。だから手術前には必ずそのひとの名前と電話番号を教えておくと、手術が終わってから電話で連絡が行く。そのひとが迎えに来た時点で初めて退院が可能になるというわけだ。これはオーストラリア中どこでも知られている規則である。たとえ歯科医クリニックでも、麻酔を使って親知らずを抜いたら、独りでは帰れない。
ちなみに、タクシーは麻酔後の患者を乗せることはできない。これも規則だ。何か起きた場合、タクシー会社は責任がとれないからだ。

迎えに来てもらってそのまま薬屋へ行き、処方された胃潰瘍の薬を買った。強い薬なので、2週間分のみ。その後は主治医の指示で調整されるとのことだ。

うちに帰ってから初めて名前と生年月日と住所が書かれた認識票バンドをまだしていることに気づいた。手首と足首にはめられていたが、病院では外すところまではやってくれない。しかし、よく見るとイヤに長い。どんな太さの手首足首にも対応しています、というヤツだ。さすが肥満大国世界第二位のオーストラリア製バンドである。

しかしこのバンドをつけて薬屋のあるショッピングセンターを歩き回っていたわけで、あのひと病院から逃げ出してきたんじゃないの、と思われたかもしれないなあ。

さて、二週間後。
主治医のところに行ったら生体組織検査の結果が出ていた。結局ピロリ菌はなし、ただの潰瘍らしい。原因は色々考えられるので特定はできない。ストレス(ないとは言えない)か、暴飲暴食(トシのせいか最近はできない)か、鎮痛剤の取り過ぎ(これはまずない)のいずれか。
でも、がん細胞も「がん細胞になるかもしれない細胞」もなかったので、これからは投薬で少しずつ潰瘍を治療していくことになる。ただし、一生「潰瘍持ち」のひともいるわけで、その点は誰にも予測できない。

いずれにせよ、2ヶ月後には内視鏡再検査で経過を見るということなので、また絶食が待っている。…とは言え薬の効き目は良好で、のみ始めてからは一度も胸焼けが起こらない。それをいいことに、今回はこの検査の次の日にはすでにトリュフ狩りの旅に出発しているのだから、いい気なものである。

 

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