がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

「できない子」について

オーストラリアでは極少数の学校のみが入学試験を課している。
ちなみに西オーストラリアでは私立男子校が一校、公立共学校が一校だけだ。つまり、公立校も私立校もどちらも試験なしで入学できるわけだ。公立校はもちろん住所のある地域の学校に行かなければならないが、私立校は地域に関係なく入学できるので、わたしの教えている学校のように寮が併設されていて、地方や外国からの生徒たちが住んでいることが多い。

要するに公立だろうと私立だろうと、どの教室にも「できる子」と「できない子」が存在しているのである。

私立校の1クラスは中等部であれば大体20人前後だが、公立校は33人が定員だ。私立校は「各々の生徒に合った対応」が厳しく求められており、またそれを前提に教室のサイズが制限されていると言っても過言ではない。公立校では、その30人以上の子供たちを何とかまとめて授業を進行させなければならない。悪ガキも多く、補習をしようとしても逃げられてしまうことが多い。だから、教室の中の限られた時間で何とか子供たちの目と耳を授業に向けさせるだけで精一杯だった。当然のことだが、わたしが公立校の数年で学んだ教室管理の技術は、私立女子校ではそのまま使えなかった。

さて、今の私立女子校のわたしのクラスにも必然的に「できない子」がいる。
彼女たちは、実は「どうやって勉強したらいいかわからない子」だ。だから中等部の生徒たちには定期的に「勉強の仕方」の補習をする。例えば1日10分のオンライン語彙反復練習。そしてテストでは一問目にその反復の語彙を使った易しい質問を出す。

「できない子」は「勉強したらできた経験のない子」でもあるので、たまにまぐれでできてもそれが次の勉強には繋がらない。だから反復させてそれが結果に繋がることを経験させるのだ。一問目は一番簡単だが、結果へのささやかな自信に繋がる。

だから教室のワークシートはいつも2種類だ。ひとつは易しいのと中ぐらい。もうひとつはその同じ中ぐらいのと難しいチャレンジ問題。「できる子」に「早く終るとまた他のをやらされる」と思わせないためでもある。できるから沢山やらなければならない、というのは不公平だ。そして「できない子」にはもちろん易しい問題から始めさせて、中ぐらいまで行けるように手伝ってやる。それでもできなかったら、朝か放課後の補習時間もつくる。

わたしは大した教師ではないかもしれないけど、「できない子」は無視しない。いや、無視したくない。「できない子」だってできたら嬉しい。その嬉しい顔を見ると、ああ、やって良かったというささやかな「わたしの」自信にも繋がる。明日も何か工夫しようという気になる。

ところで余談ではあるが、公立校で教えた悪ガキのひとりは今わたしのFacebookの友達の中にいる。ITで才覚を表したとみえて今はソフトウェアエンジニアとして働いているが、当時の日本語教室では「できない子」として多大な迷惑と面倒な補習時間と親への電話をわたしに与えたヤツだ。それがコンタクトをしてきた。

「センセイ、僕のことを覚えていますか。悪ガキのXXです。でも、センセイのクラスは楽しかったよ」
「忘れるわけないじゃない。そう言えば、テストのときヘタクソな男性器を答案いっぱいに描いて、わたしにコピーを親に送らせたのはアンタだったねえ」
「うへえ」

その話を彼に書いたおかげで、彼とつるんで悪さばかりしていた元「できない子たち」がもう二人ほどFacebookの友達になってしまった。

だから、センセイは時々当時の話や写真を暴露してやる。Facebookの楽しみのひとつなのである。

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