タスマニアへ:ポート・アーサーの流刑地史跡

4月17日(日)
ポート・アーサーはイギリス流刑地時代の史跡で、世界遺産史跡地区にも登録されているオーストラリア最大の文化遺産だ。

まだ日のあるうちに着いたのを幸いと、モーテルに荷物を置いてから歩いて史跡へ。このモーテルは史跡に隣接していて、史跡入場料金を払わなくても部屋の鍵で裏ゲートが開くようになっている。

裏ゲートから見た史跡地区。ここから長い道を降りていくと史跡地区が目の前に広がる。

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大きい。あまりの空の広さと史跡地区の大きさに息を呑む。刑務所跡のひとたちが豆粒のようだ。

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刑務所地の興亡、1842年から近年まで。

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1837年に建てられた教会。

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宿舎博物館に行き、流刑者たちの資料を見た。
ポート・アーサーは、1833年ごろからオーストラリア植民地全域で再犯した者を送り込む刑務所だったらしい。ただし再犯と言っても、資料を見る限りほとんどが若く貧しい者たちで、パンを盗んで投獄された者がまた何かを盗んだとか、軽い窃盗犯ばかりだ。重罪を犯した者たちは、当時は簡単に死罪となったためと思われる。

その後軍人や自由移民とその家族たちも入植するようになり、厳しい刑務所生活とは全く違い、パーティーや競艇、文学サロンなども開かれて優雅な生活を楽しんでいた。人口は1840年ごろに最も多く、囚人、軍人、自由移民を合わせて2000人ほどいたと言う。産業植民地として栄え始めたのもこのころだ。しかし、1850年代にはすでに流刑も停止され、その後は病を負った囚人を収容する私設に転用され、1877年には完全に流刑地としての役目を終えた。ただし、ほとんど完全な形で残っていた流刑地跡に観光客が来るようになり、1920年代になると、博物館、ホテル、店舗などがつくられ、ポート・アーサーは史跡の観光地として蘇ることになる。

夕方の刑務所跡。鉄柵がまた残っている。

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モーテルへの帰り道で、小さな野うさぎを見た。夕方になるとカンガルーなどの野生の動物たちが出てくるが、目を凝らさないとわからないくらい小さく色も周囲に溶け込んでしまっている。

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真っ赤な夕焼けを背にした下級医官宿舎。

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さて、モーテルに歩いて戻るとすでに夕食の時間。モーテル内にはレストランもパブもあり、軽食ならパブかなと一歩足を踏み入れると…地元の男性たちがすでにかなり酔っ払って真っ赤な顔。騒いでいるわけではないが、珍しい「アジア系の顔」のわたしは、ニヤニヤと笑いかけられジロジロと見られ大声で話しかけられ、いたたまれなくなりレストランへ。こういう経験は昔ヨーロッパではあったが、まさか観光地のモーテルパブでまた晒されるとは思ってもみなかった…。このぐらいの酔っぱらいはパースだとパブから必ずつまみ出されるが、小さな田舎町では普通なのかもしれない。

夕食はタスマニア名物の帆立貝のフライ。例によって信じられないくらいの大盛り。外はカリカリ中はふっくらで美味しかったのだけれど、どう考えても500グラムぐらいはありそうなホタテとその下に敷かれたフライドポテトの山に胸焼けがしそうで、結局半分でお腹がいっぱいになってしまった。

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さて、夜はお待ちかねのゴーストツアーだ。8時になると、灯りの全くない史跡は闇の中。わずかに月の光が差すだけで、それだけでもかなり雰囲気がある。人数は15人ほど。3人にオイルランプが渡されて、ガイドの後をついて史跡の幽霊話を聴きながら歩き回る。昼間見た邸宅などもランプの灯りのみで入ると少々ゾッとするが、そればかりか話しながらガイドがいきなり声を上げたり、足を踏み鳴らしたり、灯りを消したり、と結構恐怖感を煽ってくれる。一緒のグループにいた10代後半と思われる少女たちなど、キャアキャアと悲鳴をあげ目には涙さえ溜めていた。なるほど、参加者は17歳以上となっているわけだ。

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死んだ囚人が戻って来た話や、朝になると場所が動いている墓。誰もいない家の中を歩きまわる幽霊。子供を失って気が触れた女性の話。ガイドはもしかしたら俳優なのか、話しぶりがいかにも上手い。怖い。

ただし、その話は1800年代の幽霊たちに限られていて、1996年にここで起こったマーティン・ブライアントによる大量殺戮事件の犠牲者たちには触れていない。
観光地で無差別に35人(そのほとんどが観光客)を射殺したその男は、殺した人々の人生と同じ数だけの35人分の終身刑(つまり保釈無しで1035年)を言い渡され現在服役中だ。最初に入ったカフェでの殺戮前に「ここには日本人はいないのか、白人だけか」と隣の席のひとにつぶやいていることから、日本人観光客を狙っての犯行と推測される。それでも、現在でも彼の本当の殺戮理由は明らかになっていない。
この事件によりオーストラリア全国で銃規制が厳しくなり、アメリカとは違い、ほとんどの銃が一般人には持てなくなった。

さて、2時間近いガイドのツアーもようやく終わりに近づいたとき、「それでは最後にひとつ」と彼が言った。「実は、3ヶ月まえにゴーストツアーに参加したひとが、また戻ってきたんですよ。だからよほど興味深かったからかと思ったんですが、違いました。そのひとが言うには、何か『ヘンなもの』を家に連れて帰ってしまったらしいんです。だから、それを返しにもう一度参加したのだ、と。その後彼は戻ってきていませんから、たぶんここにその『ヘンなもの』を返していけたんでしょうね。だから、皆さん、帰るときには気をつけてくださいね。きちんと振り返って何か『ヘンなもの』が後ろに貼り付いていないか、確かめてくださいね」

きゃー。

 

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