ONCE ダブリンの街角で (2007)

「Once ダブリンの街角で」は「レ・ミゼラブル」のような大作とは比べ物にならないくらい小さな低予算ミュージカルだ。いや、従来の「ミュージカル」の定義からも はずれている。主人公たちは突然歌い出したりもしないし、愛の歌をデュエットで歌い上げたあとで熱烈なキスもかわさない。

「彼」は名前もない。ただの男(=Guy)だ。母の死のあと、独りになってしまった父と一緒に住み、父の掃除機修理店で働き、暇な時間には街のミュージシャンとして金を稼いでいる。昼は金の稼げそうな歌を歌い、夜は自分の歌を歌う。稼げる金はもちろん昼間のほうが多い。

そんなある晩、彼の前に立った「彼女」はチェコからの移民だ。「あなたの歌はすばらしいわ」と言う。街で花を売りながら生活し、母と自分の娘を養っている。唯一の楽しみはランチ時に楽器店でピアノを弾くことだ。

ある日、彼女はその楽器店に彼を連れて行き「あなたの歌を歌って」と、ふたりで簡単に打ち合わせをして彼が歌い始める。彼女が伴奏を加える。彼の顔に微笑みが浮かぶ。彼女が静かに彼に合わせて歌い始める。

何という単純で感動的な歌だろう。歌は彼の別れた恋人への歌。だが、それからふたりが彼の歌を通して互いを知り始めるころには、歌も変わり始める。彼の歌はもやは失った恋人へのものではない。「彼女」への恋心になっていく。
その過程がとても自然で、わたしには返って息苦しくなるほどの切なさがせまってくるように感じられた。よくあるハリウッドのロマンチックコメディーではない。そんなことあるわけないよ、と鼻で笑ってしまうような大げさな身振りも叫びもどんでん返しもない。

音楽によって結び付けられた二人を演じるのは、どちらもアイルランドでは知られたミュージシャンだ。特に彼女は演技に関してはずぶのシロウト。それだけに、淡々と語るその姿と美しく素朴な歌声に、誰もが彼女を抱きしめたくなるほどの親近感を覚えるのかもしれない。

歌は彼らの言葉だ。歌を通して二人は近づき、そして自分たちの相手への感情を通して、また新しい歌を作り始める。

ハッピーエンドではない。しかし、どちらもささやかな生きる希望を見出して別れて行く。そんな二人に自分を重ね合わせて、観客は映画館を後にする。そして、どうして自分たちの足がこんなにも軽やかにリズムを刻んでいるのかと不思議に思うのだ。

ジョン・カーニーはこの後ハリウッドでヒット作となった「Begin Again」(日本では2015年2月公開)をリリースしている。音楽はもっと一般受けのする軽い雰囲気で、俳優たちも有名だ。
ただし、わたしは「ONCE」の素朴で力強い音楽の力にはかなわない、と思っている。

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