がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

勝手口のある家

「お勝手」という言葉が廃れて久しい。
「台所」の古い呼び方だが、実家の台所の横っちょにはまだこの勝手口があり、昔は酒屋と米屋とクリーニング屋と蕎麦屋の出前は皆、この出入口に現れた。蕎麦屋の出前おじさんはいまだにここのドアをとんとんと叩くが、酒屋と米屋とクリーニング屋の御用聞きはすでにない。しかし、近所の回覧板は相変わらずこの勝手口の横に立てかけてあるし、お隣のおねえさんのおすそ分けも、向かいの家のおばさんが母に「明日は古新聞の回収の日だからね」と教えてくれるのも、この勝手口だ。

新聞の勧誘や宅急便は時々来るが、これは必ず玄関の呼び鈴を鳴らす。玄関というものは、昔風の家では「お客さん用」だ。出前や勧誘や配達はお勝手と決まっていた。玄関でわざわざピンポンと鳴らして「鍵を開けてくれるのを待つ」のは失礼だ。玄関は鍵がかけてあったが、昔はお勝手は気軽な出入口で鍵などかかっていなかった。米屋のオヤジは紺の前掛けをかけて「まいどっ」と言いながらお勝手をそれこそ「勝手に」開けた。父も子供たちもここから「ただいまー」と帰ってきていた。
お勝手に鍵がかけられるのは、父がどこぞの通夜の席に出ていて酒を飲んで帰ってくるときだけだった。塩を用意しておいても、清めるのを忘れて入って来てしまうからだ。

ところがそうした「昔の常識」を知らないひとたちが段々と増えてしまった。以前は母も「御用聞きはお勝手に回ってちょうだい」と言っていたが、もう今ではめんどくさくなって玄関を開けてしまうらしい。それほど、知らないひとたちのほうが多い。

「でもさ、今はマンションも多いし、新しい住宅にはお勝手口なんてないよ」と妹が言う。そう言えば、近所の猫の額ほどの土地に新しく建てられた小さな家には、覗き穴のついたドアしかないし、第一台所から直接外に出られるような構造にはなっていない。実家のようなガラス引き戸の玄関もあまり見なくなった。

わたしが子供のころとは違い、今の実家では玄関もお勝手口もかなり厳重に鍵がかけられていて、出かけるときにはわたしも鍵を持つようになった。昔、共働きの両親の子は「鍵っ子」と呼ばれていた。自分で開けて家に入るから「鍵っ子」だ。そんなものを持たなかった子供のわたしは、首にそうした鍵を巻いてたらしている子がなぜか大人びていて羨ましかったのを思い出す。今ではわたしも「鍵っ子」だ。母が中にいようといまいと、自分で鍵を開け、鍵をかける。

「あ、ゴミを出す前にお隣に回覧板を持って行ってね」と渡された固いダンボールの紙ばさみには、裏のほうの家のおばあさんが亡くなったことを告げる紙が挟まれている。その紙ばさみを持って隣家に行くと、実はその家がとうに勝手口を持たないことに気づいた。2年前に改築した際に、引き戸はステンレス製のドアに替わったのだった。
昔のように、「**さーん、回覧板でーす」と鍵のかかっていない勝手口を開けることもなく、わたしは紙ばさみをそっとドアの横に置いた。

 

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