がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

お嬢様学校のハウス対抗運動会

ハリー・ポッターの本にも出てくるが、わたしの勤める学校でも、生徒たちは皆ひとつのハウスに卒業するまで所属する。英国連邦の伝統的習慣で、オーストラリアの私立校にもほとんど全てこのハウスのシステムが存在する。
学校のお知らせを伝えるのはもちろん、慈善事業の促進、ハウス対抗の弁論大会、ディベート、スポーツ、運動会、全てこのハウスが中心だ。生徒たちは入学したときからずっと同じハウスなので、学年が違っても顔見知りで友達もでき、またグループとしての団結力も強い。アメリカや日本などの「ホームルーム」などより、はるかに強いきずなで結ばれているといってもよい。

そして、今日はこのハウス対抗運動会だった。
パースのスポーツスタジアムのひとつを借りきって行う、かなり大掛かりなものだ。朝はざんざんと雨が降り、中止になるかと思ったらいきなり晴れ間が見えたので決行。何回か小雨が降ったが、それほど濡れなかったのは幸運だ。

わたしは5年間走り高跳びで生徒たちの監督と結果登録をしてきたが、去年からは長距離のトラック、それもゴールでのタイムキーパーになった。

ハウスの色の体育着を着た生徒たちは、こういう日には運動靴のせいで背が低くなるセンセイを見下ろすほど大きい。7年生8年生ぐらいはまだわたしと同じぐらいなのだが、それを過ぎるといきなりぐんぐんと背が伸びてわたしより頭ひとつ大きい子たちがほとんどだ。わたしだって160センチはあるが、アングロサクソン系の多い女子校ではかなわない。

今日のプログラムを見ていた隣の英語教師が、「ありゃ、マーゴの記録はまだ破られていないのね」と言った。全ての種目の横には学校の最高記録と年度、そしてその記録を残した生徒の名前が記されている。覗いてみたら、1968年の200メートル走の最高記録だった。一番古い最高記録でいまだに破られていない。
「この子、わたしの同級生だったのよ」と笑う。
「え」と驚いたら、「だって、わたしは今年62歳だもん」

三代に渡って子女を送り続けている家もあれば、生徒から教師になって学校に戻ってくる女性も何人かいる。彼女もこの学校を卒業して大学に行き、教師になった舞い戻ったひとりだ。「来年は退職して、孫の世話でもして暮らす」と言っていたが、こういうふうに自分が通った学校と人生を通してかかわり続けるひともいるのが私立名門校の特色だ。学校行事にもOG(オールドガールの略で卒業生のこと)の席が設けられ、車椅子に乗った高齢の女性から、中年女性、そして卒業したばかりであろう若い女性たちが百人以上集まる。

すごいなあ、と感心していたら、観客席に座る生徒たちからわあっと歓声があがった。生徒とスタッフ対抗のリレーだ。生徒代表、寮生代表、教師代表、そして卒業生代表が競う、運動会の最後を飾る得点なしの余興だ。ゼッケンをつけた卒業生のひとりはわたしの日本語の生徒だった子で、ハウスの担任としても4年間一緒にいた。近くの大学で経済とアジア文化を学んでいるらしい。

名前を呼んで「がんばれえ」と日本語で応援したら、「ありがとう!」と懐かしい笑顔が返ってきた。

 

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