がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

死後の臓器提供について

日本では6月第3日曜日だが、オーストラリアとニュージーランドでは9月第1日曜日の今日が「父の日」だ。父を癌で失ってからすでに10年以上になるが、「父の日」はいまだ胸がちくりとする言葉でもある。父は自分の死を想像していたのだろうが、そのことに関してなにも残すことなく亡くなった。

実は、わたしはこういうカードを財布に入れて持ち歩いている。

オーストラリア政府発行の、身体臓器・体細胞提供者(ドナー)としての正式な登録カードだ。家族、パートナー、または近い友人などには必ず意思表示を伝えておくこと、とある。誰かが最終的には書類にサインをしなければならないからだ。ただし、それでも「故人としてのわたし」の意志は尊重される。

数年前行きつけのクリニックに行ったときに、ドナーカードのパンフレットを何気なく手に取ったのがきっかけだった。それまで、臓器提供という言葉は知っていても自分がそのドナーになることなど考えてもみなかったが、待ち時間にそれを読んだことで考えが変わった。

わたしは子供もいないし、海外での生活のほうが日本での生活より長くなってしまった「国際放浪者」だ。デラシネだ。後世に残るようなことは何もしていない。大概のひとが知るような著名人でもない。死んだら、悲しむひとはそりゃあいるだろう。ただし、そのひとが生き続けている間、そしてわたしのことを覚えている間だけだ。わたしのような市井のタダのひとの「死後」は短い。

それならば、何か残したいと思った。
見ず知らずのひと、例えば重い病気を抱えたひとの一部となって臓器が生き続けるならば、わたしの生は無駄ではなかったのではないか。わたしの「意志」さえもそのひととともに生き続けるのではないか。ひとを救いたいという思いの片隅には、そうした「生前の自分」の「死後の自分」へのささやかな満足感がある。

年齢を重ねると、若年のころの「自分の死を憧れを持って見つめられる若い心」(それがわたしだった、ということだが)とは違い、自らの死を眼前に見るようになる。それは、まるで眼鏡をはずして新聞を読むように。おぼろげではあるが目の前にあるものが何であるかなんとなく理解しているかのように。

日本では(社)日本臓器移植ネットワークで登録できるそうだ。

 

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