1952年のパリ、小さな男の子

そこは病院のカフェテリアとは思えないような落ち着いた雰囲気の場所だった。テーブルは5つほどしかない。

カウンターで注文したサンドイッチとアイスティーをトレイに載せて、さてどこに座ろうかとぐるりと見渡した。空いている席はちょうどゴミ箱とセルフサービスカウンターの真ん前。ゴミを捨てたり砂糖やミルクを取りに来るひとたちで落ち着かないだろう。そう思ったが、仕方がない。

席について、温かいベーグルサンドイッチをほおばりながら右に目をやると、額に入った大きなポスターが目に入った。そして、そのポスターから目を離すことができなくなった。

写真にはWilly Ronis Le Petit Parisien 1952 とあった。フランスの偉大な写真家、ウィリー・ロニの代表作だ。

小さな男の子が、おそらく買ったばかりなのだろう、背丈と同じぐらいのバゲットをかかえてパリの道を走っている写真だった。白黒のポスターにもかかわらず、上気した頬の温かさとその無邪気な笑いが生き生きと浮かび上がってくる。なんという単純で幸福な瞬間なのだろう。

1952年。時間を止めて切り取られたその瞬間の少年は、今すでに60代後半だ。幸福な結婚をして、孫さえいるかもしれない。あるいは離婚して独り暮らしかもしれない。不治の病に倒れ、すでにこの世のひとではないかもしれない。

写真は、その後の人生を何も語りはしない。

ありふれた日常、市井のひとびと、そうしたなんでもないことが、60年後のわたしの胸を熱くする。なんでもないことが、実はその瞬間だけに与えられたかけがえのないものだと、60年後のわたしは温かくそして哀しく思い、その写真を見つめ続ける。

 

 

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