がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

昭和のツッパリ不良中学生たち

ネットで見かける若い男性たちに、眉毛をキレイに整えて細くしているいるひとが多くなった。
わたしのようなオバサン世代が若いころは、あんなふうな細眉の男の子は「不良のツッパリ中学生・高校生」だけだったんだけどね。それだけではなく、ヤツラの髪はコーラで染めた茶髪パンチパーマ、額にはM字型に剃りが入り、眉は細かった。そういう男の子たちはながーい学ランとボンタンに身を包み、ペッタンコの学生鞄を振り回しながら歩いていたものだ。そのカバンの中に入っているのは、クシと煙草ぐらいのものだった。

女の子も細眉に茶髪がお約束だった。くるぶしが隠れるほどの長−いスカートに、お腹が見えそうなほどの短いセーラー服の上着。そして、もちろんバッチリお化粧していた。

わたしはものすごーくフツウの中学生だった(そしてその後の高校は公立進学校で、こういうツッパリ学生は皆無だった)が、どういうわけかツッパリっ子たちと仲がよかった。クラスの中では、皆が無視していた(または怖がっていた)彼ら彼女らと話をするのは、ちょっと変わっていておもしろかったからからかもしれない。勉強はできないし、しょっちゅうセンセイに怒られていたが、それでも動じるふうもない子たち。わたしたちが他愛もない交換日記などをしていたころに、仲間と性的な関係にまで発展していた子たち。

その後成人してから、偶然そのツッパリっ子のひとりと街で会った。顔も雰囲気も変わっていなかったが、「絶対遊びに来てね、あの一番上に住んでいるから」と言われて見上げたら、当時値段もビルの高さも界隈で一番と言われたマンションだった。結婚したと言うので、「へえ、どんな人?」と訊いたら「やあねえ、アッチ方面よう」と呵呵大笑された。つまり、ヤクザ関連だったらしい。

わたしがすでに外国に住み始めてから、今度は妹が彼女と出くわした。「お姉さんには色々世話になったのよ。皆がアタシのこといじめてたときも、突っ張ってからは避けていたときも、アンタのオネエさんはいつも変わらず仲良くしてくれたんだから。今でも嬉しかったことは覚えているのよ」と言われたそうだ。そのときでさえ10年以上たっていたのに、そんなふうに思われていたんだと知ってかなりビックリした。わたしのほうが嬉しかった。

それまでおとなしくていじめられてばかりいた彼女が、「幼いアウトロー」になることで水を得たように生き生きと、そして顔を上げて歩くようになったのを覚えている。「アタシなんか、どうせ」と思っていた彼女が、髪を染めお化粧を始めたことで、周りから違った目で見られることが楽しかったのかもしれない。わたしにとっては同じデコハシ(彼女のアダ名)だったので、親友とまではいかなかったが、学校で何か忘れたものを貸してあげたこともあったし、一緒に放課後鯛焼きも食べた。宿題を手伝ってくれたお礼ね、とその鯛焼きをおごってもらったこともある。義理堅い子だった。

今、どうしているんだろうね。
デコハシもその他のツッパリっ子たちも。

 

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