がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

わたしが車で35分かけて通勤する理由

「通勤に車で35分もかかるんだよ」とこぼしたら、日本の友達に「ふざけるんじゃねー。オレなんか分譲買った20年前から電車乗り継ぎで1時間40分だ」と返されたことがある。

確かに日本では通勤に新幹線を使うサラリーマンもいるし、毎日往復2時間以上かけているひとも珍しくないから、わたしの不平などゼイタクの極みかもしれない。でも、それがパースになると、「えー、うっそー。毎日35分もかかるのー。信じられなーい」だ。街自体が小さいので、そういう答えが返ってくる。

通勤先の学校はパースの市内を中心として西に15kmほど行った閑静な住宅街、いや正確に言えば「昔ながらのお屋敷街」にある。家と言うにはあまりにもデカイ邸宅が広大な庭に囲まれている地域だ。
ちなみに、日本語で言うところの「マンション」は、英語の本来の意味ではこうした「屋敷」「邸宅」を指す。「わたしの住むMansionは…」などと英語で言ったり書いたりすると、どんな大邸宅かと思われるので気をつけよう。そういう大邸宅では、大抵の日本人の考える「約100㎡のささやかなアパート」は庭の一角に建てられた物置小屋くらいの大きさだ。パースの「お屋敷街」のマンションは最低でも1000㎡の敷地がある。

話が逸れたが、わたしの家(これは平民の家)はパース市内から南東にあり、街までは大体7km、つまり10分もかからない。
通勤には自宅から学校まで街の中心に出る手前まで行き、そこから西に向かって川沿いの道をひたすら走る。途中、パースではあまりお目にかかることのない「渋滞」ポイントが3つ。それで35分かかるわけだ。

電車は時間がかかりすぎて使えない。
わたしの家から駅へは歩いて5分。これはまあいいとしよう。電車が時間通り来るかどうかは五分五分。だから10分前には着いていたほうがいい。乗って10分、駅で電車を乗り換える時間は10分から15分。そしてまた電車で20分。パースの電車は、東京のように2分置きには来ない。駅から学校まで歩いて15分。だから、電車の時間により、ほとんど1時間半ほどの通勤時間になってしまう。それも、ノートパソコンや教科書などの大荷物を抱えて。

それでも学校の近くに引っ越さないのには、ふたつの理由がある。

ひとつは、現在オーストラリアは鉱山バブルの真っ最中なので、その本拠地である西オーストラリア州の首都では住宅なんぞ「買えない」し「借りられない」。特に学校のある地域はとんでもなく高くて、ウン億円という物件ばかりだ。新聞の不動産欄はゼロを数えるだけでも大変なのである。学校近くの2ベッドルーム賃貸アパートは月30万円もする。わたしの自宅のある地域は、比較的安いのだ。

さらにもうひとつ。学校の近くに住んだらプライベートな生活が限りなく透明になってしまう。
教師という職業の欠点は、「わたしが知らないひとでも、わたしの顔と素性を知っている」ということだ。つまり、どこに行っても「学校の近くにゴマンと住んでいる生徒たちとその家族」がウヨウヨといる。逃げられない。ジムにだって、スーパーにだって、近所にだっている。
一度放課後、学校の近くのショッピングセンターに寄ったことがある。猫のゴハンを切らしていたが、自宅付近のいつも行くスーパー閉店時間には間に合わないと思ったからだ。そして、次の日「センセイ、猫を飼っているの?」とある生徒に訊かれた。彼女の友達の「日本語クラスにはいない生徒」の母親が、「わたしが猫用のフローズンミートを買っている」のを見たそうだ。
そんな地域に住んだら、週末すっぴんに髪ボサボサでサンダルつっかけてスーパーに行くことなどできない。近くのパブで友達とイッパイひっかけて、ガハハと笑うこともできない。学校の不平なんざ、レストランで口が裂けても言えない。次の週、たちまち「あの日本語のセンセイさー」となる。

勤続年数が長くなるにつれて、ネズミ算式に増える「わたしの素性を知っているひとたち」から逃れるには、やはり通勤に35分かけるしかないらしい。うーん。

 

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