がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

若いキモチ

明日大学入学共通試験のスピーキングで試験官をしてくれないか、と電話を受けた。担当の教師が身内の急病で、オーストラリアにいないらしい。
そんな急に言われてもー、と断れないところがつらい。なにせ、もうひとりの試験官はわたしの同僚なのだ。と言うことは、日曜日だというのに「出勤」である。明日は非常勤教師を頼むので、授業の準備のためだ。

休日の学校は静寂がハバをきかせていて、真昼間だというのにちょいと不気味でさえある。そんなオフィスにはいり、練習問題のコピーやらをしていたら、デスクに先週やった九年生のライティング答案が一枚。名前がWになっている。ひっくり返してみたら、やはり来週から田舎の学校のTAになるWさんだった。お礼の手紙だ。
「まだセンセイのように天職と言えるものは見つかっていないけれど、とりあえず英語の勉強をがんばるつもり」とある。本当にやりたいことがまだわからなくって、と書く彼は二十四歳だ。

「行けば何とかなるだろう」「行けば何かが見つかるかもしれない」と毎年大勢の日本人が外国へと飛ぶ。もうふた昔も前にわたしが渡仏したときも、大義名分はあれど気持ちは同じだった。
ひやりとすることにも遭遇し、またどきりとすることに自ら足をつっこんでしまったこともある。現在のわたしから見れば、バカなことをしたものだなあ、といまさらながら思い出して苦笑いしてしまうことも多い。
そして、実に様々なことを学んだ。

わたしの友達のアメリカ人は、ベトナム戦争を体験している。輸送機のパイロットだった彼は、隣に座る砲手を銃撃で失った。
「どうしてそんな恐ろしい所へ志願して行ったの」というわたしの素朴な疑問に、彼は笑ってこう答えた。
「若かったんだよ。何も怖くなかったんだ、本当に何も。あるのは高揚感だけだった。そして、帰国してから怖くて怖くて眠れなくなった」

Wさんも普通の若者だし、わたしとわたしより一世代上である友人も、皆普通の若者だった。未来の夢はあいまいだし、かと言ってたった今歩いている場所も、なんだか雲の中のようにたよりない。しかし、何でもできそうな気がする。そして次の瞬間には、何にもできそうもない気がする。
用意周到なんて言葉は、ロシア語より理解しがたい。
若いということは、切ないね。

Wさん、手紙をどうもありがとう。
田舎のTA生活で何かを見つけて帰ってきてください。

 

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