がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

奇妙な言語と派生する意味について

オーストラリアの高校では、上級生の11,12年生(15歳から17歳)の日本語授業では、尊敬語と謙譲語への「入門」に手をつけなければならない。「くれる」「あげる」「もらう」とその前に動詞をくっつけただけの単純なものだが、これがどうして彼らには非常に難しい。
おなじ意味の文なのに、何故幾通りもの言い方があるのか。「先生は、わたしに本を貸してくれました」「わたしは、先生に本を貸してもらいました」、そしてこの場合先生のほうが立場が上で、しかも「わたし」に対しての行動だから、「あげる」は使えない。
日本語を母国語とするひとなら、まず大半が間違いなく言える文章である。(「大半」と添えたのは、「犬に餌をあげる」と言うひともいるからだ。これは「犬に餌をやる」である。)
ここらへんまでは、日本語を勉強する10代の少年少女たちでも、なんとか理解することができる。
問題は、「先生は、わたしの妹に本を貸してくれました」だ。そしてこれに、「○○先生は、△△先生に本を貸してあげました」や「ナニナニくんは、コレコレちゃんに本を貸してくれたのよー」が加わると、天を仰いでアタマを抱え込んでしまう。
第三者に関する文章にはさまるこれらの言葉は、「自分と自分を含むグループ」と「自分と自分を含むグループの外にいるひとたち」の境界線をどこに引くかによって、決まるからだ。
この「境界線」は実にあいまいで、同じ第三者のことを話していても、そのひとが誰と対するかによって、「あっち」に行ったり「こっち」に戻ってきたりする。また、境界線のこちら側が拡大すると「自分と自分を含む日本」になったり、非常にマレではあるが「自分と日本を含むアジア」になったりもする。
ここまで来ると、イタイケな少年少女たちは、「めんどっくさああああい」とため息をついて、バッグから最新号のファッション雑誌を取り出し、机の下で開くのだ。
しかしこうしたタグイまれなる言語を母国語とするかぎり、そして日本以外の国に住み続けるかぎり、わたしは死ぬまでその弁護と説明に明け暮れるのではないかと思う。日本語教育に携わろうとなかろうと、だ。
わたしは実のところ愛国者であり、できる限り自分の母国に「わたしの存在」を認めてもらいたいと思う在外日本人のひとりだが、人生の半分を外国で暮らしていると、「すごいわねー、何ヶ国語も話せて」という言葉の裏に、「このひとはこっち側のひとじゃないから」という視線が幾度となく透けて見えることがある。

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