がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

ヒルデのブダペストロール

 土曜日の閉店ぎりぎりのショッピングセンターでは、様々なものが値下げされている。昨日買ったのはラム肉のコトレットだけではなく、ブダペストロールと呼ばれるこのケーキ。思わず買ってしまったので、今朝友達と朝の散歩のあとで入れたての珈琲とともにきちんと腹におさめた。

軽いクラストにさっぱりとした日本人好みのあまり甘くないクリーム、そして桃の実がところどころで甘酸っぱく爽やかな味を添えている。

四年前に亡くなったわたしの公立高校での同僚ヒルデは、このケーキに目がなかった。

「ケーキ? そこらへんの安物ケーキ買っちゃダメよっ。ヘンにべちゃべちゃ甘くて色さえ華やかならいいと思っているケーキはもってのほか。わたしが買うわっ」

その学校のクリスマス前のスタッフデイは、皆学科ごとに持ち寄ったり、レストランに行ったりしてランチを愉しむのが慣わしだった。わたしはほうれん草とフェタチーズのパイを作って持っていったが、ヒルデはケーキとなると真っ先に手を挙げた。どちらかというとクリスマスケーキには素朴な形と色のそのブダペストロールは、軽くて美味しくて皆声を上げて舌鼓をうった。

ヒルデは得意げに鼻をふふんと鳴らせ、「この体を作りあげるためにどれだけ苦労したと思ってんの?」と楽しげに笑った。乳癌が再発するまでの彼女はとてもふくよかで、痩せる努力なんぞこれっぽちもしないよ、といつも美味しいものをわたしたちに勧めてくれたものだ。

ヒルデが亡くなったあとで、わたしはその公立校を去り、その時外国語科の主任だったフランス語教師は二年前に退職した。当時からとても気の合っていた日本語教師も、子供たちが皆成人して家を出たために、近い将来退職後に小さな郵便局出張所を開く決心をしている。わたしが最後に教えた卒業生たちはすでに大学生で、そろそろ卒業後の進路を考える歳になった。今もFaceBookで連絡を取り合う仲で、将来医者や理学療法士や薬剤師になるだろう彼らは写真を見るたびにオトナになっていく。そして、ヒルデの名前を冠したフランス語関連の奨学金は今でも成績のよい高校生たちの学費補助をまかなっていて、ローカル新聞でその名前を見るとわたしは彼女のことを思い出す。

月日がたち、死者は遠くなり、ひとも変わり、子供たちは成長する。

友達が帰ったあと、まだ少し残っていたケーキを切った。口に含めば、さっぱりした甘さとともにさほど遠くない過去の出来事がひとつひとつよみがえる。忘れないよ、と声に出して言ったとたん、不覚にも涙がこぼれた。

関連エントリ:ヒルデのこと(2005年10月25日)

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