「電子ブック」を考える

ソニーから発売される電子ブックリーダの記事を読んだ。これからはこうした端末での読書が主流になっていくのだろうか。

長年外国に住んでいて日本語の読み物に飢えていたから、、青空文庫ができたときには狂喜乱舞した。著作権の切れた日本文学には森鴎外、夏目漱石から、芥川龍之介、太宰治など、近代から現代までの良質な本の数々がどんどんと電子化されていたから、片っ端から読んだ。

ところがある時点から、どうもコンピュータで「読書する」という行為が苦痛になってきたのだ。

今でも時々読んではいるが、初めて電子ブックに接したころよりはぐんと減った。そして相変わらず日本に里帰りするたびに、大量の本を買い求め船便で送っている。中には、電子ブックで読んだばかりの作家の文庫まで潜んでいることもある。

随筆、小説、またはその他のジャンルにかかわらず、あるひとにとって「良い本」というものは、その中に「書かれたもの」だけを指すのではない。装丁と呼ばれる芸術、紙の種類、そしてフォントに至るまで、全てが「書かれたもの」に付随して、「読む」という楽しみを高めてくれるのだ。
手にとって何度も読み返した読者には、たとえ文庫本であろうとも手触りからかすかな紙の匂いまでが、「書かれたもの」と一体となって記憶に残ることが多い。
だから、たとえ電子ブック端末機がどんなに「白黒印刷された紙と同様の表現力を持つ」と言われても、どんなに便利で場所をとらないにしても、とてもじゃないが本と太刀打ちできるものではないなあ、と思ってしまうのだ。

私的関連リンク:gaby’s diary@anywhere 2003年06月02日(月)

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