がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

「安全運転」する権利を脅かすのはどちらか

オーストラリアにもニュース「ショー」があり、日本では夜比較的遅い時間に始まる番組が、7時ごろから様々なトピックスを記者の視点で流す。

週末にこうした番組を寝そべって見ていたら、「威嚇するドライバー」というタイトルが目に入った。こりゃずいぶんブッソウだが、車を運転したことのあるひとなら、バッシング(後ろにぴったりとついて「どけどけ」と意思表示をすること)や、後ろから追い抜いて鼻先をかすめて前に割り込まれたことが必ずあるだろう。
もちろんそうした行為を肯定するわけではないが、この番組が肩入れをしていたのはなんと、制限時速60kmの道を40kmで走りたい80歳以上の老人やら、運転がこのわたしよりヘタクソな主婦ドライバーなのだった。
「わたしゃ50年間無事故で来たんですよ。そんな安全運転のわたしを威嚇するドライバーにひとこと言ってやりたくってねぇ。わたしはいつもきちんと交通規則を守っているんですからね。」
と言いながら、レポーターを乗せて走るご老人の車は彼と同じぐらいオンボロだし、周りを他の車がばんばん追い抜いていっているところを見ると、ものすごいカメ速度のようだ。クラッチをふんでギアを変えるたびに、それ以上に速度が落ちるのがまた哀しい。ほとんど道の真ん中で止まっちゃっている。

「車がないと生活できないような国ですからね、わたしは速く走るのが怖いんですが、それでもなんとか乗っているんです。誰もがスピードを上げられるとは限らないんですから、威嚇することはないんじゃないですか。危ないですよ。」
たぶん四輪駆動のジープは「四輪駆動」にすらしたことがないお買い物用車なのだろうが、35歳の主婦はそんなデカイ車で高速道路の三車線目、「追い越し車線」を80kmで走る。制限速度は100kmだ。当然彼女の後ろには長い車の列ができ、思い余った車がなんとか二車線目にできた隙間から彼女の鼻先をかすめて追い抜いていった。
「見て見て見てっ。ものすごく危ないでしょっ。」
真剣にうなずくレポーターすら、大いなるカンチガイに気づいていないようだ。口をあんぐり開いて見入るほかはない。

個人主義はどこかタガがはずれると利己主義と紙一重だが、公共の場である道路上でひとりだけ度を越した低速で走るのを、非とは思わないひとがいる。
どちらのドライバーも「安全運転」という言葉を何度も口にしたが、彼らの安全は周りのドライバーたちの「寛大な黙認」に守られているのだ。それを当然と思う視野の狭さが、道路の真ん中で異次元を作っちゃったり、高速道路では低速車は第一車線を使うという「常識」の目をも曇らせる。そして「安全な自分」が、実は事故への発端となるかもしれないという事実に考えが至らない。

どうしてこんなに車の少ないパースで渋滞が起こるのか、理由のひとつがわかったような気がした。

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