がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

西オーストラリアで日本語教師になるには:「直接法で教えたい」

メールでご質問があったので答えておこうと思う。

「日本で日本語教育能力検定試験に合格したのだが」というのは、オーストラリアでは通用しない。オーストラリアの前にはタイに住んでいたので豪語できるのだが、このふたつの国の日本語教師の需要と供給は全く違う。

タイでの日本語教師は、日本語しかできなくても大丈夫だ。タイ語で日本語を教えられる日本人教師が少ないこともあり、タイ人の日本語教師よりも貴重だとみられているからだ。日本で英語が母国語の教師が優遇されているのと同じ状況かもしれない。
ボランティアで日本語を教える人も多く、日本人だから雇われているひとも含めれば膨大な数の「日本語を母国語とする日本人教師」がいることは間違いない。日本で日本語教師として働いているひとたちの授業はもちろん、直接法と呼ばれる「日本語で日本語を教える方法」だ。外国人たちは様々な国から来ているのだから当然なのだが、タイでも同じ。「タイ語で日本語を教える日本人教師」は数えられるほどしかいない。

日本語熱は依然として高く、タイにおける日本語は英語の次に需要の多い言語だ。大学でも毎年どこかで日本語講師の求人がある。率直に言ってどこでも小遣い程度の給料だが、労働ビザも取得できるし、タイの生活は(贅沢さえ望まなければ)充分まかなえる。あなたが四年制大学の日本語学士課程を修了していたら、必ずどこかで職は見つかる。そして、日本語教育能力検定試験で好成績を残していたら、必ずどこかで職は見つかる。

だが、わたしの書いている「日本語教育」は西オーストラリアにおける中学と高校の必修科目のひとつだ。

日本の中学と高校の英語授業で使われる言葉を英語に限定するのは、不可能に近い。ネットのニュースで「そうなることを望んでいる、または近々そうなるような行動をとる」という記事も数ヶ月前に読んだが、実現にはほど遠いと思われる。オーストラリアの必修日本語教育もまた然り。日本語で授業をすることは不可能に近い。授業の中で日本語を使うのは、たぶんオーストラリア人の日本語教師より多いかもしれない。それでも、文法の説明や試験に関する説明などは全て英語である。そこまでのレベルには達していないからだ。中学1年生から習い始めた英語が、高校を卒業するまでに流暢になるかどうか。「なるよ」や「なったよ」と言うひとだって、そりゃあいるだろう。しかし、「六年間の授業と自習のみ」で流暢になるのはかなり難しい。言葉はコミュニケーションだからだ。

わたしは学校で、十四歳の九年生から高校最終年の十二年生までを教えている。それぞれ週三回から週四回の授業だ。日本語が好きで漫画やアニメが好きで、わたしに変な日本語で話しかける子供たちもいる。そういうときには、極力平易な日本語で答えるようにしているが、外国語必修学年の九年生と十年生のほとんどは、ふだん日本語を口にすることもないだろう。
日本の中学生が日常生活でほとんど英語を話さないのと同じようなものだ。

そういう義務教育での語学教育は、「日本語を勉強したい」または「日本語を勉強する必要がある」成人を相手にする語学教育とは全く違う。どんなに「日本語教師としての日本語力」が高くても、それを子供たちがわかるように「英語で」説明できなければ授業は成り立たないからだ。

ここからはオマケだが、オーストラリアの成人を生徒とする教育機関はどうか。

外国人のための私立英語学校はゴマンとあるが、実はオーストラリア人のための私立外国語教育機関というものは存在しない。TAFEと呼ばれるオーストラリアの専門学校は全て公立で、それぞれの州の教育省に属する。ここではスポーツ、語学、趣味などおよそ考えられる全てのアクティビティーを学ぶことができて、しかもオーストラリア人と永住許可を持った外国人にとっては非常に安い。日本語も外国語のひとつとして提供されている。上級クラスに行けばほとんど日本語の授業もあるだろうが、ここでも英語はかなり使われる。つまり、直接法ではない。

日本ではあまり知られていないが、オーストラリアには39の大学があり、そのうちの二校(一校は西オーストラリアにある)を除いて全て公立大学だ。パースにも公立大学は四つあり、その頂点に立つのが西オーストラリア大学である。どの大学にも日本人の講師または教授がいて、日本語は通常アジア学の一科目として提供されている。語学教室は初級から上級まで多岐に渡り、それによって日本語が直接話される量も違ってくる。

グローバル言語と化した英語圏での外国語教育では、少なくとも初級/中級のレベルにおいて直接法が使われることはまずない、と認識しておいたほうがいいと思う。「なぜ、英語だけが各国でそれも直接法で教えられているのか」または「英語が第一言語の英語教師は英語だけで授業をするのか」については、ここでは関係ないので触れない。

次のエントリーは「教師の職を得る」。

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