実家に子犬がやって来る

「さびしいのよう」と言って、電話口の母は泣いた。

母の愛犬シーズーは三年ほどかけて少しずつ弱っていき、今年2月満19歳という高齢で死んだ。目はほとんど見えなかったし、鼻も利かなかった。足腰は立てないほど弱っていたから、19年間使っていたボウルにあごを乗せ、四つ足を開いたまま亀のように餌を食べた。排泄も自分ではできないようで、おむつをあてていた。そして、アルツハイマーまで患い、昼も夜もかまわずいきなり鳴き出した。どこが痛いわけでもないから、母が抱くと安心しておとなしくなる。そんな生活を長いこと送っていたのだから、母の苦労は並大抵ではなかった。80に手が届こうという母の、自分も持病をかかえながらの「老犬介護」だ。「早く楽にしてやろうか」と思ったこともあった。そのたびに、「今まで、相棒として尽くしてくれたのに」と考え直した。

しかし、いざいなくなってみると、母はどうしていいかわからないほど淋しくなった。無理もない。父が亡くなったときに、たったひとりになった母を支えてくれたのは他ならぬゆうちゃんだったからだ。10年以上も「ふたり」だけで生きてきたのだ。

泣く母をなだめながら、「じゃあまた犬を買ってあげようか?」と言ってみる。
「ゆうちゃんじゃなきゃイヤ、え〜ん」
「また新しい子を子犬から育てる自信なんかないもん、ひっく」
だだっ子のように口をとがらせている母が目に見えるようだ。

今回の学期休み(冬休み)に、そんなこともあって1週間だけ東京に里帰りをした。前後に2日ずつバンコクの滞在をはさんで、「駆け足里帰り」だ。東京はちょうどお盆。大喜びの母と、何年ぶりかの墓参りも済ませた。夏に帰国したのはもうほとんど10年ぶりだが、冬のパースから駆け足でバンコクを通り過ぎ、東京に着いてみたら梅雨の名残で蒸すこと、蒸すこと。おまけにちょうど伯母は入院から退院へかけての時期で、面会の都合がつかず、こちらのほうは来年1月の帰国にあらためて計画することにした。

実家にいる間、里親探しのページで、かわいいキャバリエ・スパニエル(成犬)を見つけ、メールで打診してみる。買うよりは、引き取り手のいない成犬でもいいんじゃないか、と思った次第。結果はボツだった。「ひとり暮らしの80に手が届こうという方は、元気なこの子には無理ではないかと思います」とのことだった。オーストラリアでもそうだが、犬の里親になろうと思うと結構審議がキビシイ。かたや、ペットショップではそうした審議なしにその場で買えることを思うと、そのギャップにビックリする。

1週間しかいなかったので、その返事が来て母がガックリするまで見届けると、もう成田行きだ。
近くにあるペットショップのHPでどのような子犬がいるか調べて、「ちょっと行ってみたら」と教えておいて結局名残惜しくもバンコクに戻ってきた。

膝の弱い母のことを思って、今度はシーズーはやめた。元気だし、散歩が必要だからだ。それよりももう1サイズ小さいチワワはどうか、と一応母には言っておいた。
ところが、行ってみたらシーズーの男の子がいたらしい。どうしても欲しかったらしいが、母はいつものようにゲンキンだから、ここ3年ぐらいのゆうちゃんしか覚えていない。その前の10年以上毎日散歩に行っていたことをすっかり忘れてしまっているのだ。持ち上げるのさえ大変な7キロほどの体重も問題だ。「無理だよ」と言ったのに、今度はいっしょに見に行った妹まで「かわいくって、アタシが欲しいくらい」などと無責任なことをのたまう。ああ、このふたりは似ていたんだった、と天を仰ぐ。

バンコクからの電話で説得したら、結局「そうだねえ」ということで、もう一度ペットショップへ。三日ほど、わたしの妹といっしょに毎日通いつめて、チワワの女の子に決定した。色は淡いグレーで、先っぽが黒い。変な色だが、これは子犬だからであって、成長するに従って淡い茶色になっていく。フォーンと言われる色だ。わたしの飼っていたペキニーズがまったく同じだった。

手のひらにはいるくらい小さな子犬だ。成長してもせいぜい3キロ。これなら、母にも世話ができるしシーズーのように毎月美容院につれて行くこともない。長毛ではあるが、あまりにも小さいので台所の流しでシャンプーさえできる。家の中で遊ばせるだけで、散歩する必要もない。

今日手続きを済ませてきたそうで、もう母はウキウキとして電話をしてきた。引き取りは月曜日にして、これから子犬を迎える支度をするとはずんだ声だ。これなら、大丈夫。できれば一度子犬のうちに見てみたかったなあ、とわたしも思うが、こればかりは仕方がない。母さえ元気になってくれれば、と願うばかり。

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