「有名な店」というカミサマ

池袋の「行列のできるラーメン屋」が、実家から歩いて3分くらいのところに開店した。
「ものすごーく美味しいらしいよっ」と妹が力説するので、ま あ近いことでもあるからと母も連れて3人で出かける。2時くらいなら混んでないよねえ、と思っていたら大間違い、店に着いたら中には数人の立ち姿が見え る。それでも、いくらも待たずに座れたが、カウンタ席が3つ並んで空くはずもなく、母だけはるか彼方のすみっこに導かれた。

何ということ もない普通のラーメン屋である。そして正直に言うと、不味い。スパゲッティのような太麺はあまり好きではないし、量が多すぎる。そして何より「ちゃぶ台を ひっくり返したくなる」のは、そのスープだった。まったくコクがない。醤油味のとんこつスープなのだが、油がただ浮いているだけで、スープ自体にまるで深 みが感じられない。
むらむらと何か言いたくなるネーチャンの気配を察した妹が「あとでね、あとでっ」とわたしに釘をさす。

こうい うところにどうして行列ができるのだろう。わたしの好みは、そりゃあ醤油味のさらりとした東京風だが、それを差し引いてもひとの並ぶ理由がわからない。も しかしたら、池袋の本店はもっと美味しいのかもしれないが、それでも「支店」と名のつくところがこんなに不味くていいのか。

うまいものを食べたい気持ちは誰でも同じだろうが、それよりもまず「皆が行きたがる有名な店」に行きたいひとが多すぎる。「行った」「食べた」ということがある種のステータスとなるなんて、日本ぐらいだ。

わたしの妹は、昔ひどく有名な料理屋の経理をしていたことがあった。料理はおまかせのみ、そして1人確実に5万円はかかると言われた店である。
おまかせはいい。その日の最高の素材で、それに一番合った料理をつくるのが料理人だと思うからだ。そしてそれが5万円の価値があるなら、食べたひとにそれだけの財力があるなら、払うことに不満があるわけもない。

し かしわたしがどうも合点がいかなかったのは、その店の「売り」が「頑固な店主」だったことである。客の食べ方にケチをつける。頼んだ酒が自分の料理に合わ ないものだと、客を無知呼ばわりする。話こんでてんぷらに箸をつけるのを忘れていると、嫌味が飛んでくる。「別に来てくれって、頼んでるわけじゃないよ」 だの、「俺は料理人だからね、気に入らなきゃ言いたいことは言う」だの、料理屋にあるまじき態度なのに、それを言われた客自身がその態度を、「これが有名 なんだよ、ここは」と愉しんでいるふうなのだ。
来てくれって頼んだわけじゃないだろうが、来なかったら困るだろうが。近頃の客には食べ方のきれいなひとが少ないかもしれないが、それでも客である。
高級レストランや料理屋では、サービスと料理はセットだとわたしは思う。どちらかひとつだけよくても、その場所を楽しめない。行き届いた気持ちのよいサービスがあってこそ、料理が引き立つのではないか。そして客も気持ちよく財布のひもをゆるめるのではないか。

費用は違えど、これも「行った」「食べた」の、有名な店のひとつに過ぎないのかもしれない。不味いラーメン屋も、客を馬鹿にすることをウリにする高級料理屋も、「皆が行くから有名だから」教の信者たちに支えられている。

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