がびのテラス - 軽妙にして辛辣、独断にして優雅に

インターネット創世記の「前」と「後」

二昔前わたしがスイスに住み始めたころは、手紙しか日本との通信手段がなかった。ファックスはまだ普及し始めたばかり、最新式のオフィスでさえ、まだでか いテレックスが置いてあり、IBM64だったか、洗濯機くらいの大きさで騒音も脱水するときの洗濯機にそっくりな旧式コンピュータが、どでんとオフィスの ど真ん中に鎮座していた。

日本のニュースは、一ヶ月に一度母が送ってくれる新聞のダイジェスト版で読むので、国際ニュースになるもの以外のわたしの知識ははなはだ遅れていた。
1年に1度日本に帰るたびに、親しんでいたものがすっかり様変わりしていていて驚いたのもそのころだ。父と母が少しづつ老いていくのを見るのも、つらかった。

だ から、97年初頭に初めて日本でノートパソコンを買ったときにはドキドキした。横文字のコンピュータには慣れていたが、日本語をワープロで使ったことがな かったからだ。そしてタイに帰ってからおそるおそるインターネットに繋いだ。情報があふれ出てきて、目を見張ってしまった。あんなに欲しかった情報がここ にある。そして声をださなくとも文字で、しかも同時に通信できるチャットにはまってしまった。メーリングリストにも手を出した。日本人の友達が少なく、そ して日本語を使う機会も限られていたのは、わたしだけではなかったのだ。各国から日本人が集まり、チャットにメーリングリストに出没し、そして情報を分か ち合い、またはただ日本語で話し(=書き)聞く(=読む)ことで、自分のアイデンティティを確認したかったのかもしれない。

そして、その ころアメリカからヨーロッパ、そしてわたしのいたタイ、日本からひとが集まっていたのが、ぐろばーずチャットと呼ばれていた何の変哲もないシンプルな チャット広場だった。インターネット創世記の熱が冷めてからは、だんだんと寝る時間をけずってまでネットにいることもなくなり、そのチャットもしばらくし て閉鎖された。日本に帰ったひともいる。そのころ住んでいた国に留まったひともいる。そして、わたしのようにまた新たな国に居を移したものもいる。

その中の何人かとは今でも交流が続いているが、ぐろばーずが閉鎖されてからそれを受け継ぎ、無料レンタルを介してチャットを開いていた友人がいる。その彼女のチャットを、わたしのドメインに移して一昨日から公開した。
今 やインターネット電話が普及し、また一対一のプライベートチャットがマイクロソフトやヤフーのメッセンジャーで気軽にできる時代である。CGIで自分の ホームページにチャットを置くことは「古臭い」ことなのかもしれない。そんなものは掲示板を使えばいいではないか、というひともいるかもしれない。
し かし、これは待ち合わせのできるラウンジなのだ。誰も来なかったら、他のサイトを読みながらときどき覗く。入ってきたらちょっと話をして、お茶を飲む。眠 くなれば、挨拶してネットを切ることもできる。残っていたログを見て、あらーもうちょっと早く入ればよかった、などと呟く。
さすがにもはや寝る時間をけずりたくはないが、こんなゆっくりとした時間の使い方がたまにあってもいいと、思う。

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午後には28度まで上がった気温がやっと下がってきた。暑い日の週末大掃除は疲れるものだ。
なんとなく辛いものが食べたくなって、砂肝を解凍し。ネギとショウガと共にチリソースで炒めてまたもやタイ風に。残っていたミントを沢山添えたので、辛いながらも口の中に爽やかな香りが広がる。

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