「一緒に」教育を受ける権利

雑用が多い。先学期もそうだったのだが、1週間に一度くらいは、生徒に関するレポート依頼が来る。学年ごとの管理担当からだったり、直接両親からオフィスを通して依頼が来ることもある。まあ当然のごとく、その子供たちは出来ない子、または素行不良の子であることが多い。

今 日もそんなレポート依頼が3枚届く。その中のひとりは、わたしのクラスでもどうしようもない悪ガキである。いや、そんな生易しいものではない。熱血先生だ ろうと、優しいオネエサン先生だろうと、どうにもならない病気だってあるのだ。世の中には、実際「物事を習得することの出来ない子」がいる。どこから何を したらいいのか、脳の中でそれを順序だてて教えてくれる機能が欠けている、と思ってもらえばいい。経験からは学ばない、経験すらそもそも何のことかわかっ ていない。そして、そうした問題がある子供たちはもちろん勉強ができない。やりたくもない。小学校の5年生から5年間日本語をやっていても、挨拶ひとつ言 えず、数を数えることすらできない。

彼らにも学校に行く権利はあるのだが、さすがにその子ひとりのために授業がとどこおることが多くな る。30人のクラスで、彼ひとりが騒ぎ歩き回り授業のジャマをする。日本語は全くわからないしつまらないし、そうすることでひとの注意をひく以外、自分が クラスの中心になる方法はないのだ。そして残りの29人は、おとなしくセンセイが彼になんらかの処置を与えるのを待つか、あるいはセンセイの注意が彼に向 いている間に自分たちも騒がしくなる。
この29人の「権利」はどうなるのだろうね。

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夕方帰宅すると、パティオの真っ白な花が増えているのに気づく。ツル科の植物なので、夏に向けてどんどん花が開きそうな気配だが、面白い形だ。朝はふわっと開いているのだが、夕方になると、くるくると花びらが巻かれる。まるで風車のよう。

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