「ビシバシ」のあとは甘いジェーリービーンズ

わたしの授業は基本的に「飴と鞭」のビスマルク主義であるから、厳しく怒鳴り散らしながらも、最後には復習のために楽しいゲームなんぞのために正真正銘の 「飴」まで用意する。だからわたしの教室の机の中には、いつも色とりどりのジェリービーンズがはいった容器が隠れているのだ。
厳しくするばかりで はクソ面白くもない授業になってしまうし、かと言って子供のご機嫌をとって楽しいばかりの授業ではアタマに何も残らない。15歳くらいまでのオーストラリ アの子供たちは、集中力に欠けている。持続してひとつのことに集中できるのは、せいぜい10-15分が限度なのだ。だから教えることを細かく3つか4つの カテゴリに分け、手を変え品を変えて1時間の授業にする。わたしはセンセイだから一番話すのが多いことには変わりないが、せめて40%は子供たちが考えた り話したりするアクティビティを用意するようにしている。ふてくされたような反抗期の子供たちも、賞品にジェリービーンズが出るだけで目の色が変わる。い きなりがんばっちゃうのだ。たまにはこうして楽しくひらがなゲームなどして、何かしら覚えてもらうのも悪くない。

日本と違い、こちらには 中央集権的ないわゆる「指導要領」のようなものはない。外国語科目の指針として、「聞いて話す」「見て、読んで、答える」「書く」の3つのカテゴリに各々 レベル1から8までどの程度の日本語能力が要求されているかが示されるだけである。たとえば必修の8年生を終了した時点でのレベルは平均で1となり、「聞 いて話す」のカテゴリでは「習慣化した、或いは形式的な日本語の質問、命令に対して、以前から与えられていた形式的な答えを返すことが出来る」となる。つ まり「立ってください」といわれれば立ち、「おなまえは?」と聞かれれば「xxxです」と答えられる、という意味だ。もちろん最低限これだけの文法と言い 回しをカバーしましょう、と言った豪州の基本的な教習本のようなものはあるが、あくまでこれも「指針」である。様々な教科書も指定できるが、これも教師に まかされる。わたしのように、教科書を使わなくてもいいのだ。言い換えれば、ほとんどの教師が自分で学期ごとのプログラムを組み、ワークシートを作ってい るのだ。程度の差こそあれ、彼らは皆、試行錯誤の中で自らの「道」と「城」を築いていく。

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