扇のように広がる紙幣は母の得意技

88歳の母は昔旧富士銀行で「ミス富士銀行」と呼ばれた美人だ。いや正確に言えば「だった」。
出向していた国鉄で父と出会い恋に落ちたが、その時代は結婚したら寿退職が当たり前。周りに隠してひっそりとデートに出かけ、と言ってもそんな優雅でロマンチックでは決してなく、いつもラーメン屋か駅のホームのベンチだったそうだ。それでもオフィスでお茶くみをする母が湯呑みを下げようとすると、中にはデートの約束のメモがちょんと入っていたという。

そんな母はちょっと紙幣の束があるとこうやって広げて昔の腕前を披露した。そして、小さかったわたしたちはいつも感嘆の声をあげたものだ。機械がなかった時代には、銀行員はこうして紙幣を手で大きく広げて数えていたのだった。

今回わけあってオーストラリアドルを100枚ほど持ってきていたので、「お母さん、昔取った杵柄ってヤツをまた見せてよ」と言ってみた。

昔よりはかなりスピードが落ちているが、それでもキレイに広げてみせたのはさすがだ。すごいや、お母さん。

今100枚の紙幣をこんなふうに数えられる銀行員はまずいない。こうした小さな技はいずれ消える運命なのだろう。たぶん母とともに。
そう思いながら、わたしと母は懐かしい昔に戻ったように微笑んだ。

 

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