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リッパー・ストリート (2012)

ripperテレビに関して言えば、出勤前の1時間ほどつけっぱなしで天気やらニュースやら時間などをチェックするだけで、その他の時間帯はほとんど観ない。
元々あまりテレビを観る生活ではないせいもあるが、WiFiで観るストリーミングが台頭してきたおかげで、DVDの代わりのように「観たいときに観たいものだけを観る」日々になりつつある。

そのストリーミングの大手Netflixで最近観たのが、この「リッパー・ストリート」である。チェックしてみたら日本ではGyaoとAXNミステリーで配信されているようだが、日本のNetflixでは見当たらなかった。

1890年代のロンドンの貧民街イーストエンドを舞台にした刑事モノだ。ちょうどジャック・ザ・リッパーという殺人鬼が、娼婦ばかりを何人も残虐に殺した事件の直後、題名もそこに由来がある。

主 人公の警部補エドムンド・リード、その配下の巡査部長ベネット・ドレイク、そして元軍医で探偵のアメリカ人、ホーマー・ジャクソンを軸として、様々な事件 の解決に挑むドラマだ。毎回、歴史的な事件やそれを模した事件も登場し、考証も緻密、そして言語も表現の豊かな19世紀風で興味深い。現代のようにコン ピューターやDNAなどの科学的調査ではなく、警部補の頭脳とその配下の力と足を使った調査で事件の全容が明らかになる課程が返って新鮮で楽しい。

第一話は、まだ無声映画でさえ試行錯誤のころ、ポルノと殺人をフィルムに収めようとして実際の殺人を犯す者の話。ジャック・ザ・リッパーもどきの殺人事件をからめて、1時間があっという間に過ぎてしまった。

主 人公たちも魅力的だ。警部補役のマシュー・マクファディエンが、このひと特有の哀愁を秘めた演技で私生活の秘密を垣間見せ、時には捜査上の間違いを犯し、妻 との不和に悩み、酒を飲み、容疑者を殴らせる。ちなみにMcFadyenは日本語名としてはマクファディンと書かれているが、これは間違い。Yを発音しな くちゃイカンのだ。映画の「プライドと偏見」でキーラ・ナイトレイの相手役として抑えた演技が光っていたのが、記憶に新しい。

ドラマのシ リーズとしては1時間モノが6話で、比較的短い。それだけに、各々の事件が一話完結で掘り下げが少ないのが気になった。これはこれで楽しいのだが、それを 縫って登場人物たちの魅力が様々な形で浮き彫りにされるのを期待していたのだが、これはこれからのシリーズに持ち越された課題なのかもしれない。

いずれにしろ、毎晩寝る前に一話ずつ観るのが楽しみだったシリーズ1である。本国イギリスではシリーズ4が始まったそうで、シリーズ2で完結するはずだったのに、ファンからの要望が高くてシリーズ再開となった。これから順次配信されるのが今から待ち遠しい。

PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~ (2015)

PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~何もない日曜日の昼過ぎ、少しは外に出ようと友達と約束して大きなショッピングセンターの映画館へ。観たのは「PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~」。

チケットを買って中に入ってみたら。。。やっぱり子供だらけだった。そりゃそうだよね。日曜日の午後だもの。本編前の映画予告も全部子供アニメばかりだし。

さて映画そのものだが、これはもう悲しいことに駄作と言うほかはない。
ピーターパンがピーターパンになる前の話ということで、宿敵フック船長はまだ友達だし、ピーターも飛べない。そのピーターが悪役の海賊の親玉である黒ひげヒュー・ジャックマンと対決、母を探しながら飛べるようになるというお話。
CG のシーンは夢のようだがどうにも目が回りそうなほど長いし、その他の時間は進み方がのろくて飽きる。CGがいかにハラハラドキドキの夢の世界を見せてくれても、途中でアクビが出るくらいの脚本では観客の興味を繋ぐことはできない、というよい例かもしれない。大体このテの「男の子が様々な困難をくぐり抜けて自分を見つける」という話はどれだけ映画界で繰り返されたことだろう。それでも、良作がいくつかあるのは脚本の素晴らしさのせいなのだと思う。

ヒュー・ ジャックマンはあまりの凝った変装のせいでヒュー・ジャックマンに見えないし、それはそれで素晴らしい悪役にはなっているが、だからと言って心に残るほど の存在感をもたらしているとも思えない。大体彼が最初に登場したときの、あの囚人たちの大声のコーラスはなんだ。全く意味不明。

もっとかわいそうなのは、若き日のハリソン・フォードを彷彿とさせるギャレット・ヘドランドだ。コメディーも中途半端、アクションも中途半端、いくら脇役でももう 少し役作りをさせてやってほしい。これまた存在感が希薄だ。唯一光っていたのは、表情が豊かなピーター役のリーヴァイ・ミラーぐらいか。

一 応原作に書かれているワニや「大量の」ティンカーベルなども登場するが、最後まで見てもなんでフック船長がその後ピーターの宿敵になるのかさっぱりわからない。シリーズ化する意図がミエミエだが、英語圏ではかなり辛い批評がほとんどのこの映画に、果たして2作目のオファーがでるのかどうか。

でも、予告編は確かにワクワクするほどおもしろいよ。だから、観に行ったんだけどさ。

主人公は僕だった (2007)

ウィル・フェレルというコメディー俳優は、あまり日本では知られていないような気がする。どちらかというと「アタマがちょっとどこかおかしくて、子供っぽくてバカげたことばかりやるヤツをニコリともせず演じる俳優」というイメージが強い。いくつか彼が主演する映画は観ているが、それほど面白いと感じたこともない。つまり、わたしの中の「笑い」の感性に合っていなかったのかもしれない。

その彼が演じるのが国税局の監査官ハロルド・クリックだ。
ある日突然、自分の生活を「文学的に」表現する「声」を聞くようになる。その「声」は彼の頭の中にだけ響くものらしく、誰もハロルドを信じようとしない。
その彼が恋をするのがマギー・ギレンホール演じるアナ・パスカル、税金を払うことが信条に反するとする菓子屋のオーナー。このふたりが段々と惹かれ合っていく様が、なんとも柔らかく甘く切ない。まさか、ウィル・フェレルとマギー・ギレンホールが…と思ったが、息の合ったカップルで心が暖かくなるシーンをいくつも見せてくれた。

そして、「声」は何とスランプ中の小説家(エマ・トンプソン)の「小説としてのハロルド・クリックの人生」だったのだ。しかも彼女のヒット小説の数々は、スランプの始まった10年前まで、主人公が必ず最後に死ぬという結末。さて、実在の人物であるハロルドの運命は…。

コメディーではあるが、ウィル・フェレルがいつもの「やり過ぎのバカなオッサン」を抑えて、外から与えられた喜劇(または悲劇)に悲しくもおかしくオロオロとするさまが実にいい。こんなにいい俳優だったのか、と少々驚いた。
そして、これはストーリーの勝利でもある。10年に一度の傑作か、実在のひとの幸福か。芸術か、市井のささやかな人生か。視聴者への問いかけに考えさせられる。

英語名は「Stranger than Fiction」(直訳すれば、「フィクションよりも奇妙な…」)で、たぶんジム・ジャームッシュ監督の1986年の名作「Stranger than Paradise」をもじっているのだろう。ただし日本語名を探したら「主人公は僕だった」になっていた。