ちくりと胸が痛む子供のときの記憶

Twitterでは時々自分の昔の記憶を呼び戻すようなツイートを見る。


8歳には8歳なりの悩みがあるのだ。この男の子は大きくなっても時々このなくした傘のことを思い出すだろう。ちくりと胸に痛みを覚えながら。

わたしにもそうした子供のときの思い出がある。

幼稚園生のときだからまだ5歳か6歳のころだ。
遠足があって母が朝になってから色々と準備をしてくれていた。水筒に入った飲み物、おやつ、おにぎり。親が付き添う遠足だったから、当時2歳年下の妹も母と一緒に来ていたと思う。写真も残っているから、たぶん楽しい一日だったことだろう。ただし当日のことは写真のせいでおぼろげに覚えているが、遠足自体の記憶はない。

はっきりと覚えているのは、その晩に見た夢のことだ。

わたしはいつもの幼稚園のカバンではなく、リュックサックを背負って元気に幼稚園に行っている。どうも遠足らしいが、親たちの姿は見えない。担任の先生と同級生たちだけだ。
幼稚園の建物の前にある広場に集まって皆が揃うのを待っていたら、なんとわたしの妹が正門の前に立っているではないか。小さな身体にリュックサックまで背負っている。

妹のところまで行って「なにしてるの」と声をかけると、「アタシも一緒に行きたい。だから全部おにぎりもおやつも持ってきたよ」と。
「ダメだよ」と、わたし。「これは幼稚園の生徒たちだけだから、妹は連れていけないんだ」
妹は「でも行くの」と言って泣き出した。うえーん、うえーん。

わたしはただ「ダメだよ」ともう一度言って皆が集まっている場所に戻った。泣きベソの妹を正門の前に残して。

夢はそこで終わっている。

たかが一度だけ見た夢なのに、その後も途方もないほどの後悔の念に何度も苛まれた。夢の中の妹の泣き顔が忘れられなかった。正門の前にぽつんと立つ妹の姿が忘れられなかった。なんで準備までしてきた妹を残していけたのだろう。なんてひどいことをしたのだろう。

そして、半世紀たってもその夢は時々わたしを苛む。
たかが夢なのに、わたしが本当に妹にひどいことをしたかのように、時々ふっと思い出しては胸を痛める。

子供のときの夢を鮮明に覚えているなんて、と友達には笑われた。でも、結局夢の中のことだからこそ容赦も救済もなく、わたしは6歳の子供のままどこか時の彼方で途方に暮れているのかもしれない。

 

情けは人のためにならないのか

夕暮れの街を走っていて、遠くにパースの高層ビルが見えているのを写真に撮ってみた。パースは東京と違い、まだ空が大きい。

………

「情は人の為ならず」ということわざがある。

現代では間違って使われていることが多く、文化庁の調査では実に75%以上のひとたちが「ひとに情けをかけることは、結局そのひとのためにはならない」という意味で使っているという。実際の意味は「ひとに情けをかければ、結局は巡り巡って自分のためになる」で、全く違う場面で示さなければならないことわざだ。

元々は仏教の教えで、「善因善果・悪因悪果・自因自果」という因果の道理から来ている。結果には必ず原因があるし、原因が「善」ならば善い結果となり、「悪」ならば悪い結果になるのは当然、自分の結果(=未来)は自分のしてきた行為がつくりあげたもの、というのが因果の道理である。

ことわざには時に全世界共通の言い回しで、言語が違えど同じ意味を持つものがかなりある。

英語では普通「A kindness is never lost」だの「Charity brings its own reward」だのというが、最近では「Pay forward」というのが同じような意味で使われているような気がする。「Pay forward」は文字通り「先払い」の意味だが、つまり「親切の先払い」として、例えば持ち帰りの珈琲を買ったときにホームレス用の「珈琲貯金」にコインをひとつ入れたりする。そうすると、店のひとが近くに来たホームレスのひとに「Pay forwardの珈琲があるから、飲んで行きなよ」と言うわけだ。

パースではPay It Forward Perthという団体がフェイスブックのページを作っていて、そこでは様々なひとたちが主旨に賛同して見知らぬ人たちへの支援とプレゼントを勧めている。壊れたコンピューターを修理して、買えないひとたちにプレゼントするひともいれば、子どもたちに絵本をあげるひとたちもいる。ちょっとしたお菓子を作って見知らぬ老人へのささやかなプレゼントとするひとたちもいる。

親切は巡り巡って何かの拍子に思いがけないところから自分に戻ってくるという、優しさの先払いとそこにこめられた希望。コミュニティー、社会共同体としてのあるべき姿をそこに見てはいけないだろうか。

日本ではこのごろ「自己責任」という言葉が横行し、ベビーカーの母親や高齢者に舌打ちをし、それどころか助けを必要としているのに見ないふりをするひとがいる。「ひとに情けをかけることもない」となったということか。それなら、「情けは人の為ならず」を全く反対の意味に解釈するひとが増えたのも当然かもしれない。

今の世相を暗示しているようで、わたしにはとても笑えないのだった。

2件のコメント

さらば、胆石の日々 3

胆嚢摘出手術に関しては、オーストラリアの主治医やすでに同じ手術をした友達から「ああ、内視鏡手術なら日帰りね」などと言われていたので、軽く考えていたような気がする。実際「日帰り」で胆嚢摘出手術をした同僚は、2日家で療養したあとは普通に仕事に来たそうである。が、わたしの経過を見るに、こりゃ1日でそのままウチに帰って2−3日療養で済むわけがないということがわかった。体力の違いなのだろうか…。

ひとによるのかもしれないが、まず背中をまっすぐにして立てない。歩くとき前かがみで「く」の字のまま進む。まっすぐ立つと、大きな絆創膏を貼った内視鏡の穴がかなり痛むのだった。穴は全部で4つ。一番大きいのはおへそのすぐ上だ。この部分の絆創膏はまるで「お座布団」である。あとはお腹の前面にそれよりは小さめの穴が3つ。この全部の「穴」が歩くたびにつれて「イタタタ…」となる。おまけに、尿もほんの少ししか出ない。便もダメ。結局2日目には利尿剤と座薬のお世話になった。

「トイレに行くときは必ず看護師を呼んでください」のせいで、残尿感のあるわたしは頻繁に看護師を呼ばなければならず、そのたびに点滴を電源からはずし、ガラガラと点滴スタンドを引きずってトイレに行き、ドアは半分開けたまま、用足しが終わったら「すみません、終わりました」で色と量を点検される。看護師にとってはいつものことでも、慣れていないわたしには屈辱の時間である。

そして、肺の機能がまだ低下したまま。これは手術が1時間じゃなく3時間かかったための副作用か。
歩けないわけではないのに、ちょっと動くと息が切れる。「息は十分吸い込むようにしてくださいね」と、1日に何回も点検される血圧、体温、酸素吸入状態のたびに言われる。業を煮やした担当医がこんなヘンテコな機械を持ってきた。

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息を吹き込むのではなく、息を吸ってニコニコマークが真ん中辺りに行ったらしばらく息をとめる。この繰り返しを1時間に10回は続けろ、と。ヒマだということもあるし、早く退院したいのでこれはかなり繰り返し練習した。

そして、熱とこめかみが締め付けられるような頭痛。退屈な入院生活でこれは辛かった。毎日看護師さんが持ってきてくれる読売新聞も(まあ、好き嫌いは別として)ざっと読めるだけで、すでに目の前がぼうっとしてしまう。熱は3日の間常時37から38度ほどあり、頭痛はほとんど絶え間ない。睡眠薬をもらってからはずっと楽になったけれど。やはり、夜寝られないということが影響を及ぼしていたらしい。

看護師たちは本当に優しくて、隅々まで行き届いた世話をしてくれるし、ちょっとしたことにも笑いころげるカワイイひとたちだ。お仕着せの寝間着は病院の薄い緑色だが、それがわたしのネイルと同じ色だ!と言って他の看護師を呼んできて笑う。回復室にいたときと同じだ。

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大体手術の際にネイルなんぞしているのは普通はもってのほかで、絶対オフしておかなければいけないんだよ…と妹も友達も言っていたが、いや、そんなヒマもない緊急手術だったので、これは例外。

しかし4日間の入院生活は退屈で退屈で、頭痛がひどいにも関わらずこんなに読書をしたのは久しぶりだというくらい本ばかり読んでいた。やっと「それじゃ今日は退院できますね」と朝の検診で担当医に言われたときには、もうそのまますぐにでも逃げ出したい気分。それでも最後の検査と精算のせいで午後まで待機だ。

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最後の病院食である昼ゴハンは「和風ラーメン」を注文しておいたが、来たのはコレ。なんだか麺が見えないぞと思ったら、下のほうに隠れていた。半分ぐらいはエノキダケである。ラーメンというより実だくさん細ウドンに薄いスープという具合で、こういうものを食べていたら1ヶ月でゲッソリと痩せられるなあと思った次第。

2時になっても来ないのでシビレを切らして会計に電話を入れたら、ものの10分もたたないうちに2人のスーツ姿の経理スタッフが飛んできた。つまり自分で会計に行くこともなく病室内で精算できるというわけだ。クレジットカード用のマシンももちろん持ってきている。この2人1セットというのは、安全のためにタイにおける高額の精算では一般的である。後は歩いて下まで降りて、車に乗って…退院。

数日後にまた検診のため病院を訪れたが、外来は初めてだったので迷ってしまい、看護師がひとりついて3人の医者(責任者の年寄り医者、執刀した若い外科医、頭痛のために担当になった脳外科医)まで案内してくれた。ここらへんも、タイの至れり尽くせりのサービスと言っていい。待合ロビーにはピアノの生演奏が流れ、まるでホテルである。

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パースに戻ってコトの顛末を友達や同僚に話したら、「そんな素晴らしいサービスはオーストラリアじゃ望めないわねえ」と笑われた。よかったのか悪かったのか、パースで緊急手術だったら全て無料になるところをかなり自費で埋め合わせている。こちらは財布に痛いが、とにかく新学期には1週間遅れ、胆嚢はすでに無く、食事にはまだ身体がなじんでいないので少々下痢もあり、それでも元気に暮らしている。あの激痛から開放されただけでもラッキーだな、と思う日々である。