2009年10月アーカイブ
西オーストラリアの大学入学資格試験では、全ての科目の筆記試験が始まる前に音楽、ダンス、ドラマは実技、そして外国語は口語インタビュー試験がある。今日と明日はそのインタビュー試験だ。わたしは試験官のひとりなので、二日間学校から許可を得てカンヅメになる。試験会場は某国立大学の五室。試験官は二人で、交互にインタビューを受け持つ。試験時間は、最初の90秒のスピーチを含めて12分以内。学生と直接話さないほうの試験官はその12分間ずっとメモをとらなければならない。十分の休憩を置いて五人続けてインタビューなので、なんらかの理由がない限り、たとえ相棒がオーストラリア人と言えど交互にインタビュワー役になる。でも、五人目の最初は必ず主試験官が担当するので、結果的にわたしはどのブロックでも三人のインタビューをこなす。
日本語が母国語だからといって決して楽ではない試験だ。最低でも五年は日本語を勉強している高校最上級生たちをたったの十五分間で採点するのだから、責任は重い。二人の試験官はインタビューのあと、最終結果を出す前にまず各々の結果を記す。それからお互いの採点を見せ合って協議する。二人の平均点が最終結果というわけではないからだ。なぜ、その点数にしたのか、またなぜその点数が適切と思ったかということを的確に述べなければならない。
そして、最終的にどちらも合意できる点数に達したときに、それがその学生の最終結果となるわけだ。合意に達しない場合は主席試験官がでてきて、もう一度協議になる。協議はもちろん全て英語だ。
それを二十回繰り返した今日は、終わったときに目の下にクマがくっきりと浮かんだ。
ジムにも行きたくないし、料理もしたくない。こういうときには、冷蔵庫の中のあり合わせのものを皿に並べ、題して「がびんちの取りあえずのオツマミ」となる。
行きつけのイタリア食材店で買ったソフトチーズのブリー(フランス産)とエメンタール(スイス産)は冷蔵庫にいつも切らせたことがない。そして黒いカラマータオリーブ。
サンドライ・トマト、ごく小さい酢漬けキュウリ。それからアーティチョークのマリネ(スペイン産)と自分でローストしたアーモンド。そこに香りの強い庭のローズマリとイタリアンパセリを添えた。
まだ薄暗い庭のパティオで、切らせたことがない「いつものワイン」のTaylorsのカベルネ・ソーヴィニオンを一杯。ゆきちゃんもこっそりと出てきて、薄闇のパティオで鼻をひくひくさせる。
春の香りは、まだ夜には遠いパティオをさわさわと満たしている。
放課後のミーティングの後、このところサボってばかりいたジムに行った。ヒト汗かいてうちに帰れば、ゆきちゃんがにやあ(訳:アタシのゴハンはどこよっ)と鳴く。時計を見たら、すでに七時半だ。「エクササイズは朝に限る」というひとも多いが、今でさえ六時に起きているのに暗いうちから鶏のようにごそごそするのは気が進まない。体にいいのはわかっているが、こればっかりは朝のヨワイわたしには無理というもの。
七時半に帰宅して「さあアナタ、ゴハンにしますか、オフロにしますか」と聞いてくれるような妻のいないわたしは、さて何食べようか、と冷蔵庫を開ける。運よく昨日の晩から冷蔵庫で解凍し始めた鶏肉がある。またもや「フレンチにした」鶏胸肉。もも肉のように見えるが、これは手羽元をつけたままの胸肉で、見た目のよさからまたもや「フレンチにした」という形容詞をつけられている。以前、ひとを呼んで晩ご飯をつくったときの残りだ。
フライパンはふたつ使う。
まず、鶏肉用の鉄のフライパンにはオリーブオイルを熱し、その間に鶏肉に塩コショウしてからクーミン、チリ、スマックをなすりつける。鶏肉をフライパンに入れたら、今度はつけあわせだ。もう少し大きいフライパンにこれまたオリーブオイルを熱し、ささっとマッシュルームを切って入れ、塩コショウしてバルサミコ酢を鍋肌からたらし、ざっと混ぜたら庭からむしってきたイタリアンパセリを加えて火を止める。
鶏肉をひっくり返して、もうひとつのフライパンを洗い、オリーブオイルを熱して今度はニンニクのスライスをぱらぱら。ほうれん草をさっと炒めて塩コショウ。皿に盛り付けて、鶏肉を待つ。回りがカリカリしてきたらちょいとフォークを刺してみて焼けているかどうか確認し、マッシュルームとほうれん草のベッドの上に置き、レモン片を添えて出来上がり。
スマックという中近東のスパイスは、クーミンとともに使うとなぜかとてもエキゾチックな味わいで気に入っている。写真を撮ってから、忘れていたギリシア風ヨーグルトを大さじたっぷり盛って鶏肉の上にたらし、クーミンをぱらぱらと振りかけた。
七時半に帰っても八時には食べられる手抜き料理は、わたしの得意とするところ。
土曜日の閉店ぎりぎりのショッピングセンターでは、様々なものが値下げされている。昨日買ったのはラム肉のコトレットだけではなく、ブダペストロールと呼ばれるこのケーキ。思わず買ってしまったので、今朝友達と朝の散歩のあとで入れたての珈琲とともにきちんと腹におさめた。軽いクラストにさっぱりとした日本人好みのあまり甘くないクリーム、そして桃の実がところどころで甘酸っぱく爽やかな味を添えている。
四年前に亡くなったわたしの公立高校での同僚ヒルデは、このケーキに目がなかった。
「ケーキ? そこらへんの安物ケーキ買っちゃダメよっ。ヘンにべちゃべちゃ甘くて色さえ華やかならいいと思っているケーキはもってのほか。わたしが買うわっ」
その学校のクリスマス前のスタッフデイは、皆学科ごとに持ち寄ったり、レストランに行ったりしてランチを愉しむのが慣わしだった。わたしはほうれん草とフェタチーズのパイを作って持っていったが、ヒルデはケーキとなると真っ先に手を挙げた。どちらかというとクリスマスケーキには素朴な形と色のそのブダペストロールは、軽くて美味しくて皆声を上げて舌鼓をうった。
ヒルデは得意げに鼻をふふんと鳴らせ、「この体を作りあげるためにどれだけ苦労したと思ってんの?」と楽しげに笑った。乳癌が再発するまでの彼女はとてもふくよかで、痩せる努力なんぞこれっぽちもしないよ、といつも美味しいものをわたしたちに勧めてくれたものだ。
ヒルデが亡くなったあとで、わたしはその公立校を去り、その時外国語科の主任だったフランス語教師は二年前に退職した。当時からとても気の合っていた日本語教師も、子供たちが皆成人して家を出たために、近い将来退職後に小さな郵便局出張所を開く決心をしている。わたしが最後に教えた卒業生たちはすでに大学生で、そろそろ卒業後の進路を考える歳になった。今もFaceBookで連絡を取り合う仲で、将来医者や理学療法士や薬剤師になるだろう彼らは写真を見るたびにオトナになっていく。そして、ヒルデの名前を冠したフランス語関連の奨学金は今でも成績のよい高校生たちの学費補助をまかなっていて、ローカル新聞でその名前を見るとわたしは彼女のことを思い出す。
月日がたち、死者は遠くなり、ひとも変わり、子供たちは成長する。
友達が帰ったあと、まだ少し残っていたケーキを切った。口に含めば、さっぱりした甘さとともにさほど遠くない過去の出来事がひとつひとつよみがえる。忘れないよ、と声に出して言ったとたん、不覚にも涙がこぼれた。
関連エントリ:ヒルデのこと(2005年10月25日)
ようやくお腹がすいたと思ったら、すでに八時を回っている。お昼に飲茶をたらふく食べてしまったせいだ。週末に飲茶をするといつもこうだが、「いろいろなものを少しずつ」でついつい食べ過ぎてしまう。飲茶のあとで閉店ぎりぎりに飛び込んだスーパーには、案の定肉はあまり残っていない。どうしようかなあ、と精肉コーナーで思案にくれていたら、スタッフがラベルの束を持って現れた。このオニイサンが来ると閉店前の値下げが始まる。ざっと見渡して、月曜日に賞味期限の切れるパックを肉の種類ごとに手際よく集め、ラベルを貼り、マジックで二ドル(約140円)引き、三ドル(約210円)引き、または半額の値段を書き、終わると次の肉の棚へ行く。オニイサンにはもちろん常連の「金魚のフン」たちがいて、彼が移動するたびにその輪が動き、ラベルの貼られたパックをさっとさらってカートに放り込む。
身長でははるかに負けているわたしはこの「金魚のフン」軍団の輪の中に入ることができない。いきおい、彼らも目をかけないようなパックにのみありつけるわけだが、今日は子羊肉(ラム肉)のフレンチ風コトレットだった。2キロ以上のロースト肉か1枚300グラムはあるステーキ肉を捜す彼らには、どう考えても小さすぎたらしい。
コトレットはチョップとも言う「骨付きの背中肉」のことだが、オーストラリア風は骨に沿って切ってあるだけで、「フレンチにしたコトレット」(Frenched Cutlet)などというわけのわからん名前になると、骨の部分から肉を削ぎとってきれいな曲線が見えるようにしてある。他の肉でも同じように「フレンチにしてある」ものがあるが、ラムとなったらかなり小さい。骨の部分をつまんでかぶりついたら3口でオワリだ。パックにはこれが3つ。
八時になってようやく冷蔵庫から取り出したのは、このラム肉のパックだ。
まず、フライパンにオリーブオイルを熱している間に重い石のモルターを出し、刻んだ黒いカラマータオリーブと庭からむしったローズマリを入れてがんがんと叩く。オリーブオイルをたらしながら、またがんがん。ほとんどクリーム状になったら、塩コショウしたラム肉をそっとフライパンに入れ、まず片面を焼いている間に表の肉の表面にこのオリーブクリームを塗る。ひっくり返して2-3分で焼き上がりだ。
またひっくり返して、火をすでに止めたフライパンで温めておく。
皿にトマト、ヒヨコ豆、ミントの葉を散らし、ちぎったフェタチーズを少しのせて、オリーブオイルとバルサミコ酢をたらす。あとは、ラム肉のコトレットをぽんぽんと置くだけ。
こういうものを「料理」と呼んでいいのかどうかはわからないが、オリーブとローズマリの香りをたっぷり含んだラムは柔らかくてとても美味しい。こういうものはナイフとフォークなど使わずに、指でちょいとつまんでかぶりつくのがよろしい。


