2009年7月アーカイブ

実家にチワワの子犬がやってきてから、はや1週間。
やはり心配で毎日のように電話をしているが、老いた母の「新しい相棒」は小さいながら元気がいいらしい。部屋の中を全速力で駆け回り、オモチャを噛んで振り回し、ケージに戻って水を飲み、また走り回る。

「アタシはもう大奥の奥女中のようにスリ足で歩いているのよう。あまりにも小さくて速いから、踏んづけちゃいそうでさ」と、母は「楽しそうに」ため息をつく。

有名なペットショップのチェーン店はアフターケアも徹底していて、数日置きに電話までしてくるらしい。母が「もう走り回っちゃって、すごい元気なんですよ」と言うと、「まだ人間の歳では3歳から4歳ですから、あまり疲れさせないように」だとさ。「人間のおヒイさまのようだねえ、まるで」と電話で二人で笑ってしまった。

水は湯ざまし、餌は「徹底的にふやかせた」ドライフードに様々な「ふりかけ」をちらして子犬用ミルクで混ぜたもの、だそうで、以前のシーズーだって血統書つきではあったが、これほど世話はかからなかった。すごいなあ、チワワって。

思い出せば、わたしが小学生のころ飼っていた雑種犬なんて、人間サマのご飯の残りものを食べていたんだった。だからと言って、決して栄養失調だったわけではなく、家族の一員として大切にされ、元気いっぱいペット生活を謳歌していた。狂犬病の予防注射はかかさなかったし、玄関の表札の下には区の登録票である「犬」のシールも数限りなく繋がって貼ってあった。わたしたちは自他ともに認める「動物ダイスキ」な家族で、家にペットがいることは物心ついたときから当然だった。

人間の食生活が豊かになるに従って、犬の食生活も「ペット産業の一環として」商売になると見直され、晩ごはんの残りものは捨てるべきであって、ペットの餌にはならなくなった。犬たちは、犬用に開発された様々なビタミンやら缶詰やらドライフードを口にするようになり、雨が降ったと言ってはレインコートを羽織って散歩し、定期的に動物病院を訪問し、うつ病になって抗うつ剤を提供される。犬と人間の関係も「一段下のイキモノ」ではなく、対等の関係になってきたのかもしれない。いい意味にせよ、悪い意味にせよ。

母にとっては、前のペットだったシーズーを飼い始めたときからだったと思う。猫は別として、それまでの犬は全て外の犬小屋で飼われていたが、この犬は座敷で育てられたからだ。皮膚が弱くて夏になるとブツブツができ、ソファから飛び降りて股関節を脱臼した。毛が長いから2ヶ月おきには美容院に行き、「アタシより美容院に行く回数が多い」と母に言わせた。2ヶ月以上カットに行かないと、顔の毛が伸びすぎてまるで「おたふく風邪にかかったお下げの女の子」みたいになってしまうからだ。母は自分の髪の毛を染めに行くのを忘れても、ゆうちゃんの美容院通いだけは忘れなかった。
かなり手のかかる犬だったが、それでも対等で大切な相棒だっと思う。

「今度のゆうちゃんはねえ、頭がものすごくよくて、トイレもほとんどシートでできるんだよ」と母は言う。前の犬はトイレのしつけに何ヶ月もかかったからだ。
だが、待てよ。「お母さん、何でまたゆうちゃんなの? 今度の犬は女の子でしょ?」
「ゆうちゃん」は本当は「裕次郎」というイサマシイ名前で、石原裕次郎のファンである母の命名だった。
「いいのよう。今度の名前はゆうこなんだからっ。もう登録もしちゃったよ」
へええ。「ゆうちゃん」と呼びたいがためにコジつけたとしか思えないが、ま、いいか。
chinesesashimi.jpg週末ともなれば、ちょいとゆっくりと料理したい。時間をかけてじっくりと焼くラムのローストがメインだが、前菜には何かさっぱりした刺身でも、ということになった。

いつもの中国人の魚屋に行って、「今日は刺身で食べられる魚はどれ?」と聞いてみる。朝入ってその日のうちにさばいた新鮮な魚は、さばいたオジサンが一番よく知っている。ここでは、ほとんど全ての魚がオーストラリア産だ。

「今日薦められるのは、鮭とオレンジ・ラフィー」とすでにビニール袋を手にしたオジサンが重々しく言う。
オレンジ・ラフィーというのは鯛のような体つきだけれど、ものすごい仏頂面の魚だ。結構脂がのっている白身の魚で、煮付けにしても美味しい。ここで売っているのはもちろんもうすでに切り身になっているが、顔が怖すぎて丸のまま買うひとがいないからかもしれない。

うちに帰ってきて、白ワインを飲みながらラムローストをオーブンに放り込み、いつものようにただ醤油とわさびではつまらないな、とふと考える。せっかく何となくアジア風のラムローストなのだから、ついでに前菜も中華風にしてしまおう。

まず薄くスライスしたきゅうり、ニンジン、玉ねぎに塩をふりかけてしばらく置く。しんなりしたら、今度は米酢とほんの少々ナムプラーソースを加え、ラップして15分ぐらい。このままでは味が濃すぎるので、さっと洗い流してピクルスの出来上がり。

その間に、刺身のソースを作る。ショウガ、長ネギ、赤唐辛子を千切りにする。すぐに高温になるピーナッツオイルを熱し、ふつふつしてきたらざっと材料を加える。これは、材料の風味を油に移すため。そこに砂糖少々、醤油、ごま油をたらしてソースの出来上がり。冷めるのを待ちながら、また白ワインをぐびり。

後はピクルスと薄く切った刺身を盛り合わせて、山椒をはらはらと振りかけ、ソースをたらーりとたらす。ちょいと変わった中華風刺身のチリ風味醤油ドレッシングは、きりりと冷えた白ワインによく合う。
nibuta2.jpg東京は、暑かった。パースの夏だって40度近いが、さすがに東京ほど湿度が高くない。この湿度ってヤツが曲者で、オマケに実家での移動は徒歩が多い。そのせいか、東京にいた1週間、母の煮物以外は何だか冷たいものばかり口にしていたような気がする。

昨日の土曜日の朝にはすでにバンコクからパースに戻ってきて、休む間もなくゆきちゃんを迎えに行き、いつものように「車はダイッキライなんだってばあああ」と泣き叫ぶ彼女をなだめながら帰宅、またもや休む間もなく洗濯機に汚れ物をつっこみ、からっぽの冷蔵庫を満たすべく買い物へ。

今日も今日とて、誰もいない日曜日の学校へ行き今週の授業の準備。何もしたくないほどがっくりと疲れてしまったが、腹だけはすいている。
昨日買ってきておいたスコッチフィレを使おうと思ったが、何だかローストには気乗りがしない。久しぶりに帰った実家の和食嗜好が尾を引いているらしい。そんなわけで、南半球パースの冬は、懐かしの「煮豚」で再開。

わたしの煮豚も、母の作るのと同じく適当なもの。スコッチフィレはすでに紐で形を整えてあるので簡単だ。煮汁は醤油、みりん、酒、そして砂糖(わたしは人口甘味料使用)だ。そこに水を加え火にかける。ネギの青いとこをざく切りにしてほうりこみ、ショウガはざくざくとスライス。どうしようかなあ、とも思ったがニンニクも3かけほど、包丁でがつんとつぶして加える。そのまま沸騰させて、そうっと肉の塊をいれたら、あとはほうっておいても鍋が作ってくれる。時たま裏返しにしながら一時間。途中、煮汁が足りなくなりそうだったら、水を加える。

煮汁に入れたまま冷まして、あとは切るだけだ。煮汁は捨てちゃうひともいるようだが、そんなモッタイナイ。また煮豚を作るときに使ってもいいが、そんな後のことなど考える暇もなく、炒め物か煮物に活用できるからだ。

ああ明日は仕事かァ、とため息をつきながら煮豚をつつく。

「さびしいのよう」と言って、電話口の母は泣いた。

母の愛犬シーズーは三年ほどかけて少しずつ弱っていき、今年2月満19歳という高齢で死んだ。目はほとんど見えなかったし、鼻も利かなかった。足腰は立てないほど弱っていたから、19年間使っていたボウルにあごを乗せ、四つ足を開いたまま亀のように餌を食べた。排泄も自分ではできないようで、おむつをあてていた。そして、アルツハイマーまで患い、昼も夜もかまわずいきなり鳴き出した。どこが痛いわけでもないから、母が抱くと安心しておとなしくなる。そんな生活を長いこと送っていたのだから、母の苦労は並大抵ではなかった。80に手が届こうという母の、自分も持病をかかえながらの「老犬介護」だ。「早く楽にしてやろうか」と思ったこともあった。そのたびに、「今まで、相棒として尽くしてくれたのに」と考え直した。

しかし、いざいなくなってみると、母はどうしていいかわからないほど淋しくなった。無理もない。父が亡くなったときに、たったひとりになった母を支えてくれたのは他ならぬゆうちゃんだったからだ。10年以上も「ふたり」だけで生きてきたのだ。

泣く母をなだめながら、「じゃあまた犬を買ってあげようか?」と言ってみる。
「ゆうちゃんじゃなきゃイヤ、え〜ん」
「また新しい子を子犬から育てる自信なんかないもん、ひっく」
だだっ子のように口をとがらせている母が目に見えるようだ。

今回の学期休み(冬休み)に、そんなこともあって1週間だけ東京に里帰りをした。前後に2日ずつバンコクの滞在をはさんで、「駆け足里帰り」だ。東京はちょうどお盆。大喜びの母と、何年ぶりかの墓参りも済ませた。夏に帰国したのはもうほとんど10年ぶりだが、冬のパースから駆け足でバンコクを通り過ぎ、東京に着いてみたら梅雨の名残で蒸すこと、蒸すこと。おまけにちょうど伯母は入院から退院へかけての時期で、面会の都合がつかず、こちらのほうは来年1月の帰国にあらためて計画することにした。

実家にいる間、里親探しのページで、かわいいキャバリエ・スパニエル(成犬)を見つけ、メールで打診してみる。買うよりは、引き取り手のいない成犬でもいいんじゃないか、と思った次第。結果はボツだった。「ひとり暮らしの80に手が届こうという方は、元気なこの子には無理ではないかと思います」とのことだった。オーストラリアでもそうだが、犬の里親になろうと思うと結構審議がキビシイ。かたや、ペットショップではそうした審議なしにその場で買えることを思うと、そのギャップにビックリする。

1週間しかいなかったので、その返事が来て母がガックリするまで見届けると、もう成田行きだ。
近くにあるペットショップのHPでどのような子犬がいるか調べて、「ちょっと行ってみたら」と教えておいて結局名残惜しくもバンコクに戻ってきた。

膝の弱い母のことを思って、今度はシーズーはやめた。元気だし、散歩が必要だからだ。それよりももう1サイズ小さいチワワはどうか、と一応母には言っておいた。
ところが、行ってみたらシーズーの男の子がいたらしい。どうしても欲しかったらしいが、母はいつものようにゲンキンだから、ここ3年ぐらいのゆうちゃんしか覚えていない。その前の10年以上毎日散歩に行っていたことをすっかり忘れてしまっているのだ。持ち上げるのさえ大変な7キロほどの体重も問題だ。「無理だよ」と言ったのに、今度はいっしょに見に行った妹まで「かわいくって、アタシが欲しいくらい」などと無責任なことをのたまう。ああ、このふたりは似ていたんだった、と天を仰ぐ。

チワワ1.jpgバンコクからの電話で説得したら、結局「そうだねえ」ということで、もう一度ペットショップへ。三日ほど、わたしの妹といっしょに毎日通いつめて、チワワの女の子に決定した。色は淡いグレーで、先っぽが黒い。変な色だが、これは子犬だからであって、成長するに従って淡い茶色になっていく。フォーンと言われる色だ。わたしの飼っていたペキニーズがまったく同じだった。

手のひらにはいるくらい小さな子犬だ。成長してもせいぜい3キロ。これなら、母にも世話ができるしシーズーのように毎月美容院につれて行くこともない。長毛ではあるが、あまりにも小さいので台所の流しでシャンプーさえできる。家の中で遊ばせるだけで、散歩する必要もない。

今日手続きを済ませてきたそうで、もう母はウキウキとして電話をしてきた。引き取りは月曜日にして、これから子犬を迎える支度をするとはずんだ声だ。これなら、大丈夫。できれば一度子犬のうちに見てみたかったなあ、とわたしも思うが、こればかりは仕方がない。母さえ元気になってくれれば、と願うばかり。