2009年4月アーカイブ
豚インフルエンザが流行っているおかげで、豚肉の売れ行きがガクンと落ちたそうだ。新聞やテレビのニュースで「火を入れた肉にウィルスは残っていない」と再三言われていても、やはりこれだけ蔓延していると怖くなるらしい。今朝のニュースショウでは、マスクをかけていればある程度の感染は防げるらしいとあって、色々なマスクの紹介までやっていた。
ついでに「日本では、別に感染を防ぐわけではなく、冬になると日本人全員がマスクをかけて出かける」と、ありとあらゆる年齢の日本人たちの「マスクをかけて外出する姿」を次々と映し出す。
確かにマスクをかけているひとたちは多いけれど、こうやって見せるとまるで「日本全国民、顔隠して外出」といった様相を呈していて、マコトに奇妙ではある。
今日の夕食は、別に豚肉を食べないと宣言しているわけではなく、単に学校から一直線に帰宅したので、あり合わせのものだけで作った。材料は、冷凍庫にあった冷凍の加熱済みムキ海老、ニンニク、生の唐辛子、トマト、イタリアンパセリ、レモンだけ。
まず寸胴鍋にたっぷり湯を沸かし、ぐつぐつと沸騰したらトマトを一個ぼとんと落とす。一分ほどで引き上げると、皮がするりとむけるからこれをざく切りに。今度は時間を見て同じ鍋、同じ湯の中にスパゲッティをぱらりと入れる。沸騰しているんだから、トマトの湯ムキをした湯は、スパゲッティに使ったって大いに結構。
茹でている間に、フライパンにオリーブオイルを熱し、ニンニクのみじん切りをいれて香りがたつまで炒める。そこにやはりみじん切りの唐辛子を加え、次にトマトのざく切りを入れ、最後に海老を加える。海老はすでに調理してあるものだから、ざっと温めるぐらいだ。そこに、茹で上がったスパゲッティをいれて混ぜ合わせ、レモンを一個分上から絞り、イタリアンパセリを散らして出来上がり。
シンプルだが、これは美味しい。市販のトマトソースをぶっかけてスパゲッティを作るぐらいだったら、はるかに短い時間で腹も見た目も満足できる。
気がついたら、すでに五時半だ。バタバタと残った仕事を片付けていたらこんな時間になってしまった。朝七時半にオフィスの鍵を開けるのもわたしだし、結局最後に鍵を閉めるのもわたしだ。四人いるほかの語学教師たちはすでに帰宅してしまっている。おなかもすいてきたし、また仕事を持ち帰ることにして、とりあえず学校の近くのスーパーに飛びこんだ。六時にはすべての店が閉まってしまうのでうちの近くのスーパーなどには到底間に合わない。
鮮魚売り場には調理済みのロブスターがゴロゴロと並んでいる。うーん。高いけれど、もう料理する時間もない。まだ、明日までに採点しなきゃあならないものがゴマンとあるのだ。これさえあれば、調理なんて10分で済むし。
ロブスターは、マロンというザリガニや大海老に比べるとかなり大味だが、それでもソースをかけてさっぱりとしたサラダにすると意外にいける。さっと茹でただけのロブスターは、何もかけなくても甘みがあるが、タイ風のソースをかけるとさらに味が引き立つような気がする。
まず絹さやを電子レンジで蒸し、大まかに刻んでおく。絹さやは歯ごたえがよいので、茹でてサラダに足すことも多い。ここに、きゅうりの輪切りとちぎった香菜を加えてよく混ぜる。あとはベビーリーフのサラダもパラパラと。
ドレッシングは、このところよく作るさっぱりとしたアジア風のものだ。まずオリーブオイルをボウルにたっぷりたらし、レモンを一個分ぎゅうと絞る。そこに生の唐辛子をみじん切りにして入れる。あまり辛くしたくなかったので、種はていねいに取り除いた。そこにショウガのすりおろしをたっぷり入れ、最後にフィッシュソース(ニュクマムソース)とごま油を加えてよく混ぜる。最後に味をみながら、塩コショウだ。
ドレッシングとサラダを混ぜて皿に盛り、ロブスターの肉を厚切りにしてそこにもドレッシングの残りをたらす。
本当は白ワインでも二杯ほどつけたいところだが、イイ気分で採点するわけにもいかず我慢、我慢。
いつもは二十分以内で出来上がってしまうような料理ともいえないシロモノを食しているが、そりゃあタマにはちょいとソースなんか作ってしまうこともある。スイスにいたころは、「肉料理=ソースは絶対添えようね」という料理を色々なひとたちから教えられたし、またレストランでもファミリーパーティーでも食べていた。それがドイツ系スイス料理の特徴なのだが、いささか食傷気味だったのも確かだ。
美味しいことは美味しいが、毎日食べられるものではない。スイスの家庭でも、日曜日のローストか人を招待したときの夕食に限られていた。
だから、「じゃあ今日はスイス風ポークと行きましょう」と友人たちを招待した時、「小麦粉とバターがあるかな」と一番先に思ったものだ。明日から第二学期のハジマリとはいえ、今日月曜日はまだ「祝日が土曜日だったので、振り替え休日になっちゃった月曜日」なのだ。休日のローストは、ソースがなければ「スイス風」とは言えない。
土曜日にほとんどの店が閉まっていたため、今日の振り替え休日は銀行を除いてほとんどが五時まで開いている。
最初は混乱してしまったが、「あばら骨の外側の肉」(リブアイ=Rib Eye)は、こちらオーストラリアではスコッチフィレ(Scotch Fillet)と言う。適度に脂が乗っていて、ステーキにしてもローストにしても柔らかくて、失敗も少ない。今回は、これをポットローストにした。普通の「焼くだけ」ローストとは違い、これはくず野菜とワインにつけてオーブンでとろりと煮込む。スイス風煮豚、というわけだ。
まず鉄鍋にバターを落とし、スコッチフィレの塊にまんべんなく焼き目をつける。取り出したら、バターを足して、今度は皮をむいたニンニクをひとつ分、ざく切りのニンジン、小さめの玉ねぎかエシャロット、そしてベイリーフとタイムをたっぷり入れて、五分ほど色がつくほどに炒める。ここにどぼりと白ワインの瓶半分ほど注ぎ、豚肉の塊を戻して百八十度ぐらいのオーブンで約一時間ちょいとほど煮こむ。
豚肉を取り出してアルミホイルにくるんで十分ほど「寝てもらう」。こうしないと、ローストは硬くなってしまうのが常識。
その間に、ソースだ。
ステンレス製のザルで鍋に残った肉汁を漉す。上からヘラで押し付けるだけで、柔らかくなった野菜も簡単ににゅるにゅるとザル目から落ちる。これを小さな鍋に入れ、泡立て器でバターと小麦粉を加え、煮立たせる。いくらわたしがイイカゲンでも、この肉汁を使ったソースだけは目を離さない。ずっと泡だて器で混ぜていないと、ダマになってしまうからだ。とろりとしたら、セージをたっぷりと入れる。
出来上がったポットローストは、所々にはさまった脂のおかげでナイフですうと切れるほど柔らかい。それどころか、招待客全員がパンを所望してすくい取り、セージ風味のソースはまたたく間に最後の一滴まできれいになくなった。
バンコクに帰ると必ず行くイタリア料理のレストランがある。ところが、一年ほど前に突然「居抜き」で新しいオーナーに譲られてしまった。オーナーのイタリア人は「なんだかめんどくさくなっちゃってねえ、年かな」と言っていたらしい。居抜きだから、新しいオーナーになったと言っても内装は変わっていない。ロウソクの灯をメインにした、暖かい雰囲気もそのままだ。ただ、音楽が変わった。今までは、会話を妨げない程度にイタリアンオペラが静かに流れていたが、いきなりそれがイタリアのポップミュージックになり、音量も上がった。
メニューを見ると、少し値段も上がっている。ワインは「かなり」上がっている。変だな、と思ったのはそれだけではない。客が少ないのだ。この店は全く広告を出さないのにクチコミで客が絶えなく、毎日三回転すると言われていた。つまり、六時ごろ来るのが日本人の家族、そして七時半あたりからドイツ、イギリス、オランダあたりの家族と入れ替わり、九時を過ぎてから十時にラストオーダーとなる時間帯にイタリアやスペイン、フランスあたりのひとたちが駆けこんで、最後まで粘りに粘って十二時過ぎまでににぎやかだったのだ。ところが、わたしたちが予約をして出かけていった七時半にまだ二割ほどしかテーブルが埋まっていない。
それでも何回か行ったのだが、シェフも変わったようで料理が以前ほど美味しくない。
今年に入ってからは、新聞や観光客目当ての無料ペーパーなどに広告も載るようになり、自然と足も遠のいた。
普段着のイタリア料理なら、美味しいところも何軒か知っているが、白いテーブルクロスでサービスもよいところとなると、色々と試してはみたが、どうもコレというレストランが見つからない。
ところが偶然ネットで見つけたのが、三年ほど前から営業している小さなレストランだ。テーブルが八つしかなく、細い路地を右に左にと行ってやっと見つかる隠れ家のような一軒家だが、これは掘り出し物だった。
イタリア人のオーナーのひとりがフロア担当で、きちんと料理の説明をして、好みの料理を見つけてくれるし、それに合うワインの相談にも乗ってくれる。エノテカ(ワイン屋)イタリアーナというだけあって、イタリアワインの充実には舌を巻くほど、空調のついたワインルームを覗いてビックリした。三百本以上あって、これからも増える予定とのこと。
しかし、ホテルのレストランのように、いきなりン万円もするワインを勧めたりはしない。八千円から一万五千円あたりのワインを三本並べて説明し、「もっと予算があれば、相談にのります」という良心的な店だ。
料理はどちらかというと、創作イタリアンでかなり楽しめる。卵の殻に入った「パスタのつかないカルボナーラ」はとても豊かな味わいの前菜だったし、イタリア直輸入のハム類も食べきれないほどだ。
そして、わたしがメインとして頼んだのは、「子豚のスロウロースト」。イタリアから輸入した生後30日の子豚を半日以上ゆっくりとローストしたもので、タイ野菜のタワーと栗のクリーミィマッシュがついてくる。皮はカリカリなのに肉はフォークで切れるほど柔らかい。栗のクリームをちょっとつけてほおばると、繊細なタイムの香りがそっと鼻をくすぐるだけの淡いスパイス使いなのに臭みがまるでなく、豚肉とも思えない味わい。
これからのバンコクの愉しみがまたひとつ増えたね、とひとりほくそえむバンコク最後の晩。
バンコクに戻ることで、日常から離れてまた「もうひとつの日常」を体験する。
つまり、「戻る」という言葉を使うこと自体、すでに「休暇」という本来の意味から離れていて、一年に一度「日本に戻る」ことも、これから先また機会あって「スイスに戻る」ことも、わたしにとっては「旅行」ではない。
過去にわたしが存在していた場所を数日間なぞることで、記憶を確かめる。家族や友達に会い、近況を交換して「じゃ、またね」と言って別れる。
わたしが会ったひとたちは、それぞれに異なった日常を持ち、普段はわたしの知らない交友関係も持っていることだろう。そして一年に一度、または何年かに一度会い、「そうか、がびっていうひともいたっけね」と思い出す。
わたしが疑似体験している日常とは、相手にとっては過去からの囁きなのかもしれない、とこのごろ思うようになった。
つまり、「戻る」という言葉を使うこと自体、すでに「休暇」という本来の意味から離れていて、一年に一度「日本に戻る」ことも、これから先また機会あって「スイスに戻る」ことも、わたしにとっては「旅行」ではない。
過去にわたしが存在していた場所を数日間なぞることで、記憶を確かめる。家族や友達に会い、近況を交換して「じゃ、またね」と言って別れる。
わたしが会ったひとたちは、それぞれに異なった日常を持ち、普段はわたしの知らない交友関係も持っていることだろう。そして一年に一度、または何年かに一度会い、「そうか、がびっていうひともいたっけね」と思い出す。
わたしが疑似体験している日常とは、相手にとっては過去からの囁きなのかもしれない、とこのごろ思うようになった。
トスカーナ風とは一体なんだろう、などと難しく考えちゃあイケマセン。わたしのマコトシヤカに使う言葉に「プロバンス風」だとか「ナントカ風」「カントカ風」とあるのは、要するにその土地で頻繁に使われるものをマネしているだけのことだ。
今晩の夕食「トスカーナ風」とあるのは、つまりスパイスとハーブをたっぷり使って、おまけにイタリアのバルサミコ酢まで足したから、そう名づけた。いいかげんは、がびの得意とするところ。うん。
用意するのは、いつものように大きなガラス製のボウル。そこにつぶしたニンニクを五かけぐらい、オリーブオイルはどぼりどぼりとそそいでニンニクが浮かぶくらい。そこにレモンの皮一個分と、ジュースもついでにぎゅうと絞り入れる。庭からむしってきたローズマリとタイムもちぎって放り込む。最後にコショウをがりがりと挽いて、バルサミコ酢をたっぷりとそそぐ。これがマリネ液。
ブロイラーは食べない主義なので、「放し飼いの鶏」の産地、西豪州マウント・バーカーの鶏丸一匹使う。名古屋コーチンもそうなのだろうが、餌と運動のせいかこの鶏は全くと言っていいほど臭みがないし、肉も弾力があって美味しい。
今回はたっぷりマリネをしみこませたいので、キッチン鋏を使って適当な大きさに切り分けた。これをボウルでマリネ液にからませて、冷蔵庫で半日ぐらい寝てもらう。時間が許せば一日だっていい。マリネはきちんとしみこんだほうが美味しいからだ。
ところが、庭のバーベキュー台でこの鶏をじゅうじゅうと焼き始めたら、十分ぐらいたって火がいきなり弱くなった。ああ、何ということだ。ガスボンベのガスがなくなっちゃったのだ。舌打ちしても、はじまらない。わざわざガソリンスタンドまで行って新しいボンベと換えてもらう気力もなく、鶏はそのまま温めたオーブンに直行となった。
それでも、焼き上がったチキンはあめ色に輝いているし、たっぷり加えたハーブのおかげでとてもいい香り。これにサラダと茹でたベイビーポテトを加え、日曜日の晩はカウチポテトだ。
さっそくテレビの前に陣取って、一番好きなドラムスティックを手にとったら、膝の上にそっと置かれた猫足が一本。片目のゆきちゃんだ。これを無視していると、段々とその前足からツメが出てきて膝に食い込む。いけない習慣なのだが、わたしだってテレビの前で行儀悪く食べているのだから、オアイコというべきか。
今年もやってきたエイプリルフール。女学校の生徒たちだって「公認」でイタズラできるとなったら、しないわけがない。
去年は、九年生(日本の中学二年生)のクラスでやられた。
教室の中には、細い釣り糸を通すためのフックが天井にいくつかある。クリスマス前には日本語で書いた年賀状やカードなどをつるしたり、七夕になったら短冊などの飾りもつるす。天井に釣り糸を張ると、ひらひらとしたものを飾るのに便利なのだ。
4月1日に教室でホワイトボードに何かを書いていたら、頭に何かがふわっと当たる。
蝿かなと思って手で払い、また書く。またふわっと何かが頭に触る。また払いのけて、書く。そのことが何度かあって、「やだなあ、蝿かよ」と思っていたら、子供達がくすくすと笑いをかみ殺し始めた。そして、とうとうたまらなくなったのか、イタズラの仕掛け人が「わはは」と大声で笑いだしたのだった。
つまり、ホワイトボードの上にもあるフックを使って、細く黒い糸を通し、その先に小さな紙玉をくくりつけてあったのだ。フックを使ってイチバン前にいた生徒が、わたしが背中を見せてなにかを書くたびに、糸をゆるめてその紙玉がわたしの頭にふわりと当たるようにしていたらしい。わたしが振り向くたびに、さっと糸を引いて天井に紙玉を上がらせていたから、わたしは全く気がつかなかったのだ。
九年生ぐらいだと、もう笑い出したら止まらない。わたしも仕方なく苦笑いしてしまったが、「センセイがやられた」話はすぐ学校中に広まった。
今年は、その九年生たちが十年生になっている。
またやられるかなあ、と思っていたら案の定だ。
語学オフィスは日本語教室の隣にあるから、時々ものを取りに戻ることがある。今日それをやって教室に戻ってみると、20人いる生徒たちの席が全く入れ替わっている。一番後ろにいた子が前にいるし、前に座っていた子が窓際になっているじゃないか。「あれ」と思ったが、そのまま授業を続けた。
そして、生徒のひとりが「センセイ、xxxがもう一枚ほしいんですけど」と言ったので、またオフィスに取りに行く。そして教室に戻ると、今度もまた生徒たちの席が完全に入れ替わっている。「なんで帰ってくるたびに、みんな違うとこに座っているのよー」と言っても、「え、そんなことありませんよ。さっきから、わたしたちみーんな同じところに座ってますけど」とすまして答える。
三度目にまたみんなそっくり席が入れ替わっていたのを見て、「やられた」と思った。「エイプリルフールでしょっ」と言ったら、すまし顔を続けることもできなくなり皆どっと笑い出した。
しかし、今年は違う。「センセイだってやるぞ」と固く心に誓っていた。
そして、10分ほどたった時、わたしは「あ、忘れていたけど」と今思い出したように、マジメに言った。
「来週の読み書きテストね、キャンセルになったって知ってるよね?」
「ええっ」
「あれ、だって昨日の朝礼のとき***先生から連絡があったでしょう。先週、校長先生との話し合いで決まったの。だって、来週は休み前の最後の週だし」
「ええっ、ほんとーーーーっ」
「うそだよ」と、わたし。
センセイを甘くみるとこういうふうにやられるのだよ、キミたち。ふっふっふ。
去年は、九年生(日本の中学二年生)のクラスでやられた。
教室の中には、細い釣り糸を通すためのフックが天井にいくつかある。クリスマス前には日本語で書いた年賀状やカードなどをつるしたり、七夕になったら短冊などの飾りもつるす。天井に釣り糸を張ると、ひらひらとしたものを飾るのに便利なのだ。
4月1日に教室でホワイトボードに何かを書いていたら、頭に何かがふわっと当たる。
蝿かなと思って手で払い、また書く。またふわっと何かが頭に触る。また払いのけて、書く。そのことが何度かあって、「やだなあ、蝿かよ」と思っていたら、子供達がくすくすと笑いをかみ殺し始めた。そして、とうとうたまらなくなったのか、イタズラの仕掛け人が「わはは」と大声で笑いだしたのだった。
つまり、ホワイトボードの上にもあるフックを使って、細く黒い糸を通し、その先に小さな紙玉をくくりつけてあったのだ。フックを使ってイチバン前にいた生徒が、わたしが背中を見せてなにかを書くたびに、糸をゆるめてその紙玉がわたしの頭にふわりと当たるようにしていたらしい。わたしが振り向くたびに、さっと糸を引いて天井に紙玉を上がらせていたから、わたしは全く気がつかなかったのだ。
九年生ぐらいだと、もう笑い出したら止まらない。わたしも仕方なく苦笑いしてしまったが、「センセイがやられた」話はすぐ学校中に広まった。
今年は、その九年生たちが十年生になっている。
またやられるかなあ、と思っていたら案の定だ。
語学オフィスは日本語教室の隣にあるから、時々ものを取りに戻ることがある。今日それをやって教室に戻ってみると、20人いる生徒たちの席が全く入れ替わっている。一番後ろにいた子が前にいるし、前に座っていた子が窓際になっているじゃないか。「あれ」と思ったが、そのまま授業を続けた。
そして、生徒のひとりが「センセイ、xxxがもう一枚ほしいんですけど」と言ったので、またオフィスに取りに行く。そして教室に戻ると、今度もまた生徒たちの席が完全に入れ替わっている。「なんで帰ってくるたびに、みんな違うとこに座っているのよー」と言っても、「え、そんなことありませんよ。さっきから、わたしたちみーんな同じところに座ってますけど」とすまして答える。
三度目にまたみんなそっくり席が入れ替わっていたのを見て、「やられた」と思った。「エイプリルフールでしょっ」と言ったら、すまし顔を続けることもできなくなり皆どっと笑い出した。
しかし、今年は違う。「センセイだってやるぞ」と固く心に誓っていた。
そして、10分ほどたった時、わたしは「あ、忘れていたけど」と今思い出したように、マジメに言った。
「来週の読み書きテストね、キャンセルになったって知ってるよね?」
「ええっ」
「あれ、だって昨日の朝礼のとき***先生から連絡があったでしょう。先週、校長先生との話し合いで決まったの。だって、来週は休み前の最後の週だし」
「ええっ、ほんとーーーーっ」
「うそだよ」と、わたし。
センセイを甘くみるとこういうふうにやられるのだよ、キミたち。ふっふっふ。


