2008年1月アーカイブ
学校が始まった。
とは言っても、今週火曜日から二日間はスタッフのみ、そして今日からは最上級生の十二年生だけが授業開始だ。昨日まで、すがすがしいほどしんと静まり返っていた学校が、「きゃああああ、げんきぃぃぃぃ」「どうしてたのぅぅぅ」という嬌声と騒音で満たされる。どうして二十センチぐらいしか離れていないのに、叫びあわなければならないんだ。
来週からは全生徒がそろうわけだけれど、ああ、想像したくもない。
しかし、月曜に学校に行けるのだろうか、わたし。
実は、今朝ギックリ腰になってしまったのだ。別に、ベッドを片手で持ち上げたわけでも、電子レンジを振り回したわけでもない。ただ床に落ちたヘアブラシを拾おうとしただけなのに。
学校に行くまではまだ鈍い痛みだったのだけれど、着いて車から降りたときにはすでに痛みがひどくなっていた。腰に響かないようにすり足で進んだけれど、とても荷物を運べる状態ではない。ほとんど壁伝いに歩き、椅子から立ち上がるときにもどこかにしっかりつかまらなくてはならない。階段を一段下りるだけで、脂汗をかく。
しかたなく理学療法士に連絡して予約をとり、午後は休んでやっと車を運転してたどりついた。
「こりゃあ腰の捻挫ですな」
「ね、ねんざ?」
「ひねったんですよ、神経を。で、そのときに筋肉が上手に働かなかったから、かたまっちゃったんです」
「へえ」
英語に「ギックリ腰」という言葉はない。味気ない「急性腰痛」という言葉だけ。ドイツ語では、Hexenschussがあって、まさに日本語の「ギックリ腰」と同じ状況で使う。「魔女の一撃」という意味だが、言い得て妙ではある。
とにかく、横になって療法を受けたが、今度は起き上がろうとしても激痛が走って起き上がれない。五分かけて慣らしながらやっと立ち上がり、療法士の助けを借りてなんとか歩き出したら少し楽になった。こんな痛みは初めて、あまりの苦痛でびっしょり汗をかいてしまった。
「明日の医者を予約しておいてあげましたからね。仕事に行くなんてのは、問題外です」はっきり宣告されて、新学期の第一週目に休むはめになったことを知る。
車を運転するのも大儀だ。何しろブレーキとアクセルを踏むだけで、腰にびびーんと来る。なるべくブレーキを踏まないように、いつものような「どけどけー」はなし、おとなしく制限速度以下でそろそろと進む。
途中「処方箋なしで買えるイチバン強い痛み止め」を買い、うちに帰ってそれを口に放り込んだら、しばらくして利いてきた。どんどん、どんどん利いてきて、今度はほとんどいいキモチになった。痛みはそれほどでもなくなりほっとしたが、いや薬局で「これ飲んだら、ゼッタイ車を運転しないでください」と言われた意味がやっとわかった。こんな強い薬、わたしぐらいの体で「オトナ分」飲んでよかったのかふと疑問がアタマをよぎるが、背に腹は変えられない。
明日の朝はこの「キモチよくなる薬」を飲んでから、そうっと起きあがるしかないね。なんてこった。
とは言っても、今週火曜日から二日間はスタッフのみ、そして今日からは最上級生の十二年生だけが授業開始だ。昨日まで、すがすがしいほどしんと静まり返っていた学校が、「きゃああああ、げんきぃぃぃぃ」「どうしてたのぅぅぅ」という嬌声と騒音で満たされる。どうして二十センチぐらいしか離れていないのに、叫びあわなければならないんだ。
来週からは全生徒がそろうわけだけれど、ああ、想像したくもない。
しかし、月曜に学校に行けるのだろうか、わたし。
実は、今朝ギックリ腰になってしまったのだ。別に、ベッドを片手で持ち上げたわけでも、電子レンジを振り回したわけでもない。ただ床に落ちたヘアブラシを拾おうとしただけなのに。
学校に行くまではまだ鈍い痛みだったのだけれど、着いて車から降りたときにはすでに痛みがひどくなっていた。腰に響かないようにすり足で進んだけれど、とても荷物を運べる状態ではない。ほとんど壁伝いに歩き、椅子から立ち上がるときにもどこかにしっかりつかまらなくてはならない。階段を一段下りるだけで、脂汗をかく。
しかたなく理学療法士に連絡して予約をとり、午後は休んでやっと車を運転してたどりついた。
「こりゃあ腰の捻挫ですな」
「ね、ねんざ?」
「ひねったんですよ、神経を。で、そのときに筋肉が上手に働かなかったから、かたまっちゃったんです」
「へえ」
英語に「ギックリ腰」という言葉はない。味気ない「急性腰痛」という言葉だけ。ドイツ語では、Hexenschussがあって、まさに日本語の「ギックリ腰」と同じ状況で使う。「魔女の一撃」という意味だが、言い得て妙ではある。
とにかく、横になって療法を受けたが、今度は起き上がろうとしても激痛が走って起き上がれない。五分かけて慣らしながらやっと立ち上がり、療法士の助けを借りてなんとか歩き出したら少し楽になった。こんな痛みは初めて、あまりの苦痛でびっしょり汗をかいてしまった。
「明日の医者を予約しておいてあげましたからね。仕事に行くなんてのは、問題外です」はっきり宣告されて、新学期の第一週目に休むはめになったことを知る。
車を運転するのも大儀だ。何しろブレーキとアクセルを踏むだけで、腰にびびーんと来る。なるべくブレーキを踏まないように、いつものような「どけどけー」はなし、おとなしく制限速度以下でそろそろと進む。
途中「処方箋なしで買えるイチバン強い痛み止め」を買い、うちに帰ってそれを口に放り込んだら、しばらくして利いてきた。どんどん、どんどん利いてきて、今度はほとんどいいキモチになった。痛みはそれほどでもなくなりほっとしたが、いや薬局で「これ飲んだら、ゼッタイ車を運転しないでください」と言われた意味がやっとわかった。こんな強い薬、わたしぐらいの体で「オトナ分」飲んでよかったのかふと疑問がアタマをよぎるが、背に腹は変えられない。
明日の朝はこの「キモチよくなる薬」を飲んでから、そうっと起きあがるしかないね。なんてこった。
普段なら、日曜日の晩となるとどうも「一抹の哀しさ」がともなうものだが、今日は違う。土曜日が「オーストラリア・ディー」(建国記念日)だったので、月曜日は代休なのだ。ばんざーい。つまり、わたしの仕事始めは火曜日から。今日も37℃まで気温が上がり、なんだか火を使うのがめんどくさい。そういうときには、黙っていても勝手に調理してくれるオーブンの出番だ。
カボチャをぶつ切りにして百八十度のオーブンで20分ぐらいロースト、その間に昨日買っておいたサラダを洗う。水菜やコスレタス、その他色々な形のベビーリーフをひとつかみ。ドレッシングは、バージンオリーブオイル、バルサミコ酢、そしてディジョンの粒マスタード、塩コショウで味をととのえただけ。
余談だが、このドレッシング作りにはジャムなどの空き瓶が便利だ。材料をすべて入れて蓋をし、食卓でカシャカシャと振ってかければいい。日本で「ドレッシングメーカー」として売っている品を見かけたが、なあんだ、原理は同じだった。
大皿にサラダを敷き、その上からカボチャ、そしてフェタチーズをまぶす。結構ボリュームのあるサラダなので、あまり食欲がないときにはこれだけで十分だ。まだほんのりと温かいカボチャがとても甘くて、きりりとしたドレッシングによく似合う。
昨日早くパースに着いた。飛行機で眠れないわたしには、夜中の飛行機は非常に疲れる。が、この時間帯に着くと、その日のうちにゆきちゃんを迎えに行けるのだ(わたしが彼女を預けるところはボランティア団体の経営で、昼間の4時間しか送迎を受け付けていない)。
ゆきちゃんは車が大嫌いなので、この片道三十分の道のりはつらい。いや、彼女よりわたしのほうがつらい。何しろ、助手席の「いやああああん、いやああああああん」という鳴き声でラジオさえ聞こえないほどだ。よく疲れないものだと感心するが、彼女は家に着くまで鳴き続ける。
そして、やっと家に入ったと思ったら、安心してゴロゴロと喉を鳴らしながらわたしの足にまとわりつく。一日中べったり、トイレにまでついてくる。金魚のフンだって半日たてば切れるが、ゆきちゃんはそうは行かない。テレビをつければ、その真ん前に陣取ってわたしの顔をじっと見ている。キッチンに行けば、カウンタにひょいと飛び乗ってわたしのすることを目で追う。ベッドに入れば、耳のそばで半時間ぐらいゴロゴロとうるさいくらいに喉を鳴らす。
次の日にはようやくほっとして好きなことをするようになるが、一日目はゼッタイ離れるものか、とゆきちゃんの決心はカタイ。そして、この休暇の終わりを告げる儀式が、実はわたしも嫌いではないのだ。
バンコクは日本語だけで生活できる場所だ、と言っても過言ではない。日系デパート、スーパー、本屋、居酒屋、お稽古教室、ゴルフにテニス、エステに美容院、ありとあらゆるものが日本語でサービスされ、日本語を使うだけで手に入る。スーパーに行けば無料のミニコミ誌が山積みにされているから、ガイドブックに載らないような最新情報を得ることもできる。
そりゃあ、時には妙な日本語に出くわすこともある。たぶん「日本語ができる」と豪語したタイ人にまかせてしまったのであろうヘンテコな看板や、字の間違いがふんだんに盛り込まれている広告などがそうだ。だから、日本人の作っているミニコミ誌で、まさかこんなものを見るとは思わなかった。日系不動産屋の広告だ。
「土・日・祝も、喜んで営業しております。」
お問い合わせを喜んで承る、なら話はわかる。どんな無理難題だろうとも、へりくだって是非やらせていただきましょう、相手の話を喜びを持って承諾しましょう、という意味だ。店を開けているのは、その店の勝手である。何もこっちが開けてくれと頼んだわけでもないのに、「喜んで店を開けている」んじゃあ、なんだかニヤニヤといかにも嬉しそうに待っているようで気味が悪い。いや、もしかしたらこれは冗談なのかもしれない。今時の広告は、肩すかしを食わせるものだって多いんだ、うん。
今度はその文の隣のキャッチフレーズに目をやると、
「日頃のご愛好にお応えして、お客様に大還元プロモーション」とある。おお。
「ご愛好」って、アナタ。この店をペットのように好んで楽しんじゃっている客がいるのか。すごいな。商売人は「いつも目をかけてもらう(=日頃のご愛顧)」だけで十分でございます、とへりくだるべきなのに、このひとはまたもや「うちの店をすっごく楽しんでもらったからサア」とやっちゃったわけだ。
お願いだから辞書ひいてください、たまには。
そりゃあ、時には妙な日本語に出くわすこともある。たぶん「日本語ができる」と豪語したタイ人にまかせてしまったのであろうヘンテコな看板や、字の間違いがふんだんに盛り込まれている広告などがそうだ。だから、日本人の作っているミニコミ誌で、まさかこんなものを見るとは思わなかった。日系不動産屋の広告だ。
「土・日・祝も、喜んで営業しております。」
お問い合わせを喜んで承る、なら話はわかる。どんな無理難題だろうとも、へりくだって是非やらせていただきましょう、相手の話を喜びを持って承諾しましょう、という意味だ。店を開けているのは、その店の勝手である。何もこっちが開けてくれと頼んだわけでもないのに、「喜んで店を開けている」んじゃあ、なんだかニヤニヤといかにも嬉しそうに待っているようで気味が悪い。いや、もしかしたらこれは冗談なのかもしれない。今時の広告は、肩すかしを食わせるものだって多いんだ、うん。
今度はその文の隣のキャッチフレーズに目をやると、
「日頃のご愛好にお応えして、お客様に大還元プロモーション」とある。おお。
「ご愛好」って、アナタ。この店をペットのように好んで楽しんじゃっている客がいるのか。すごいな。商売人は「いつも目をかけてもらう(=日頃のご愛顧)」だけで十分でございます、とへりくだるべきなのに、このひとはまたもや「うちの店をすっごく楽しんでもらったからサア」とやっちゃったわけだ。
お願いだから辞書ひいてください、たまには。
オーストラリアでも、そろそろトランス脂肪酸の表示が増えてきた。体に害を与える、別名「プラスチック食品」と呼ばれる油のことだ。安いマーガリンや植物油、そしてお菓子でもよく使うショートニングに含まれている。心臓病のリスクを高めるので、米国では表示が義務付けられているそうだが、オーストラリアではまだそこまでいっていない。一度テレビで見て怖くなり、少しネットで調べてみたらもっと怖くなった。何しろ、市販の揚げ物や菓子パン類には大量に含まれているのだ。
自分では揚げ物料理をほとんど作らないが、カラリと上手に揚がったチップス(フライドポテトの英国名)は嫌いではない。あまり食べないようにはしているが、レストランで付け合せとして皿に盛ってあるとつい手が出てしまう。作り方によっては、50%以上がトランス脂肪酸になってしまう食べものだ、とわかってはいるのだけれど。
だから、うちでは決してチップスを添えない。別に我慢しているわけではなく、もっと簡単で美味しく、ヘルシーなじゃがいも料理があるからだ。
普段はメインの肉料理に添える脇役だが、ちょっとした酒のつまみにも使えるので重宝している。
じゃがいもはフライドポテトのような「拍子木」ではなく、英国式チップスのような「くし型」に切る。わたしは一個を四等分するだけなので、かなり豪快な一切れになる。それを大きなボウルに入れて、オリーブ油をたらす。がりがりとコショウを挽き入れる。海の塩をぱらぱらと振りかける。新鮮なローズマリーの葉を手でちぎって入れる。両手でじゃがいもごと混ぜ合わせて、百八十度のオーブンで45分ぐらい。きれいな焼き色がついてフォークがすっと通るようになったら、熱いまますぐ食卓に運ぶ。
簡単すぎて拍子抜けしてしまうほどだが、これは美味しい。国民的にじゃがいもがダイスキなスイス人たちが、一人残らず褒めてくれたのだから間違いない。
ここのところ涼しいバンコクでは(つまり、冬の東京から戻ってきたということだが)、こんなローズマリーの香り漂う温かいおつまみでちょいと一杯ひっかけるのも、楽しい。
東京最後の晩、母と妹と一緒に近くの焼肉屋に行った。つい1週間ほど前に開店したところだから、何もかも清潔で新しい。まだ早い時間だったので、あまり客もいない。注文した品は十分とたたないうちに次々と運ばれてきた。「こちら、カルビと上ミノになりまーす」と元気よく言われて、「ほう、じゃあ今はまだ変身してないんだ」と呟いたわたしは、母に膝をつねられそうになる。妹は、鼻をもごもごとさせて笑いをこらえる。
そして、がび家三人の女たちは、ハタと気づいた。
男がいない。
実は、世の男性たちが「僕の趣味は、料理です」と堂々と言える時代に逆行するかのように、わたしと血の繋がった男たちは実の弟も含めて、料理がまったくできない。その、テーブルについたとたんに料理が次々と出てくるわ、ビールが注がれるわ、という生活に慣れたケシカラン男たちが唯一文句も言わずにするのが、焼肉やすき焼き、なべ類などのテーブルを囲んでつくる料理なのだ。これは、母方の親戚でも同じ。従兄弟たちは、わたしたちが箸を持って待ち構えている前で、このときとばかり甲斐甲斐しく「料理」する。その前の下ごしらえや食器など全て準備ができているのだから、当たり前だが(と、がび家の女たちは考える)。
それなのに、今回は頼みの綱の弟もいない。三人でちらちらと目を合わせているうちに、年齢順ではドン尻の妹が渋々とトングを取った。そして、わたしもこれまた渋々と手伝う。母は、決して手を出さない。出すのは、口だけだ。
「向こうの焼けてるから、取って。こっちからだと熱いよ」「火が出ちゃったじゃなーい。そこにある氷で消してよ」「あ、それもうひっくり返さないとダメ」
煙の出たテーブルを囲みながら、女たちはひっきりなしにカシマシイ。そして、誰もが「焼肉は、やっぱり男に黙って焼いてもらってゆっくり食べるのがイチバン」と心の中で毒づく。
久しぶりに、山手線に乗った。母は膝をかばって杖をついているので、ひとつだけ開いていたすみっこの席に座らせ、わたしは隣に立つ。母の席の隣に、ちょこんとこんなボックスが。「ランプがついているときはご使用いただけます。」
この表示には、一瞬「トイレかっ」とひっくり返りそうになった。そんな、まさか。
気を取り直して、今度は「この緑のボタンを押せば、簡易椅子が出てくるのかしら」と考えた。そして、やっと一駅分かかって気づいた。「これって、わたしの母がすでに座っているシートのこと?」
満員電車のときは、緑のランプが消えて立つ場所が増えるんだ。へえ。
たまにしか日本に戻らないと、驚くことが結構あるものだ。
ゆうちゃんは今年十八歳になる。人間の年齢ではすでに百歳以上になる老犬だ。名前を呼んでも聞こえないし、目も見えない。鼻も利かなくなっている。足腰さえ弱くなっているので、オシッコをするときにも腰を支えていてあげないと尻餅をついてしまう。歩く姿はよろよろとおぼつかなく、すぐにころぶ。そして、ゴハンのときと排泄のとき以外はほとんど寝ている。
去年里帰りをしたときには、まだ餌ボウルの前で立ったまま食べることができた。だが、今年はもう鼻さえ利かないので、ボウルまでたどり着くのが容易ではない。鼻先まで持っていってやると、顎だけ上げて頭ごとボウルにつっこんで食べ始める。力の入らない足は、うつぶせ大の字に開いたままだ。
オシッコは、もう自分ではどこでやっているのかわからないようだ。だからほとんど自分のハウスのそばでやってしまう。周りに厚く新聞紙が敷き詰められているのはそのためだ。
そのゆうちゃんの世話をするのは、喜寿のわたしの母だ。餌をやり、新聞紙を取替え、医者に目薬と栄養剤をもらいに行き、一ヶ月に一度は美容院にも連れて行く。手作りの寝床はダンボールをきれいに貼り合せたもので、天井には電気毛布がサカサマに貼り付けてある。昔使っていた犬用ハウスは大きすぎて寒いらしい。
何ヶ月か前には、「安楽死させてやったら」という伯母(母の姉)の言葉に怒り、いい年してものすごい姉妹喧嘩をしたらしい。よぼよぼにはなっているが、ゆうちゃんはまだ歯もしっかりと全部あるし、心臓も強い。亀のような姿勢で食べるが、食欲も旺盛なのだ。「病気で苦しんでいるわけじゃないのに、世話がかかるからってコロセとは何よっ」まあまあ、お母さん。
しかし、父の死後、ひとりと一匹は寄り添って十年間生きてきたのだから無理もない。わたしたち子供はすでに家を出ていたし、たったひとりで残された母はゆうちゃんがいなければひきこもりの生活に入ってしまったからもしれないのだ。「ワンワン」と鳴けば「うるさいわねっ」と小言を言い、「クンクン」と甘えれば「なあに」と撫でてやる。そんな日常が、ささやかではあるが母を支えてきた。今ではもう甘えることもなくただひたすら寝るだけだが、ゆうちゃんはそれでも母の大事な家族なのだ。
お茶を飲んでいると、ゆうちゃんがくぐもった声で「ワンワン」と吼えた。寝ていたと思っていたので、びっくりしてハウスを覗いてみる。
「夢見ているみたいよ」と母が言う。「時々、寝ながら前足と後ろ足を両方動かして、走っているみたいなカッコもするのよ」
「若くて、まだ全速力で走れて大きな声で吼えていたときのこと、夢みているんでしょうねえ」
ため息をついた母の姿も、ずいぶん小さくちぢんでしまったことに気づく。
(写真は、母に抱かれた去年のゆうちゃん shot by 弟)
「身辺メモ」の庭師でも、スムーズに移行できなかったようで。
実際、このMovable Typeというヤツはヴァージョンが変わるたびにタグまで変更になるから、アップグレードがめんどくさい。MT3.33のテンプレートのせいで、様々な部分が機能しなかったり、マッシロになっちゃったり、クラッシュしたりで、わたしも結局昨日全て新しくした。
つまり、アップグレードしたばかりのMTからエクスポートですべての記事を書き出し、ブログを削除し、新たに同じブログを作成し、記事をインポートしたってわけ。すでにMT4.01にしたブログからエクスポートしたので、リンクのずれはなかった。テンプレートの修正に思いのほか時間がかかって、途中で放り出したくなったが。おかげで、機能しなかった部分が全てMT4.01になり、正常に動いている。
あとは、月別カテゴリだな。でれ~っと長くなっちゃっているので、年別にたたみたい。いつになるかわからないけれど。
しかしこれだけ苦労したのに、痕跡がまったくオモテに現れないというのがちょいと腹立つ。
実際、このMovable Typeというヤツはヴァージョンが変わるたびにタグまで変更になるから、アップグレードがめんどくさい。MT3.33のテンプレートのせいで、様々な部分が機能しなかったり、マッシロになっちゃったり、クラッシュしたりで、わたしも結局昨日全て新しくした。
つまり、アップグレードしたばかりのMTからエクスポートですべての記事を書き出し、ブログを削除し、新たに同じブログを作成し、記事をインポートしたってわけ。すでにMT4.01にしたブログからエクスポートしたので、リンクのずれはなかった。テンプレートの修正に思いのほか時間がかかって、途中で放り出したくなったが。おかげで、機能しなかった部分が全てMT4.01になり、正常に動いている。
あとは、月別カテゴリだな。でれ~っと長くなっちゃっているので、年別にたたみたい。いつになるかわからないけれど。
しかしこれだけ苦労したのに、痕跡がまったくオモテに現れないというのがちょいと腹立つ。
新年、明けましておめでとうございます。
正月が明けてから、日本に里帰りしている。こないだ来たばかりのような気がするのに、もう一年たってしまったということだ。月日の過ぎるのは、はやい。
日本を離れている間に年号が「昭和」から「平成」になり、「成人の日」が一月十五日ではなくなった。確か、昭和天皇の誕生日は「みどりの日」になったはずだ。
新聞(実家では、わたしが物心ついたときから毎日新聞だ)を開いて、初めて今年が「平成二十年」だと知る。成田に向かうリムジンバスの窓から、騒音も飾りつけもない喪に服した繁華街の風景を見たのは、もう二十年も前のことだ。
一年に一度戻る日本は、変わってしまったものたちを確認する旅でもある。
それでも、実家の中だけは昔ながらの「正月」だ。母の手作りのおせち料理を口にし、鶏肉のはいったおすましのお雑煮をすする。古い玄関には、小さなしめ飾りと門松が添えられている。仏壇には、これまた小さなお供え餅がでんと載せられているし、父の写真の前には赤ワインの小瓶がある。
一年に一度戻る日本は、ほんの少しの哀しさをともなって、忘れ去られようとしている日々を確認する旅でもある。
「がびのテラス」を始めたのは、2001年の正月だ。当時はブログなどというものはなかったから、手打ちのHTMLでページを作っていた。七年という年月の中で、わたしの文体も多少変わり、写真も増え、何度か更新が止まり、そしてまた再開した。そのたびにもう少し定期的に書こうかなと決心だけはするのだが、生来「筆不精」なので自らため息をつくのみ。
だから、皆様にたまに思い出していただければ、こんなに嬉しいことはない。
今年も、どうぞよろしくお願いします。
正月が明けてから、日本に里帰りしている。こないだ来たばかりのような気がするのに、もう一年たってしまったということだ。月日の過ぎるのは、はやい。
日本を離れている間に年号が「昭和」から「平成」になり、「成人の日」が一月十五日ではなくなった。確か、昭和天皇の誕生日は「みどりの日」になったはずだ。
新聞(実家では、わたしが物心ついたときから毎日新聞だ)を開いて、初めて今年が「平成二十年」だと知る。成田に向かうリムジンバスの窓から、騒音も飾りつけもない喪に服した繁華街の風景を見たのは、もう二十年も前のことだ。
一年に一度戻る日本は、変わってしまったものたちを確認する旅でもある。
それでも、実家の中だけは昔ながらの「正月」だ。母の手作りのおせち料理を口にし、鶏肉のはいったおすましのお雑煮をすする。古い玄関には、小さなしめ飾りと門松が添えられている。仏壇には、これまた小さなお供え餅がでんと載せられているし、父の写真の前には赤ワインの小瓶がある。
一年に一度戻る日本は、ほんの少しの哀しさをともなって、忘れ去られようとしている日々を確認する旅でもある。
「がびのテラス」を始めたのは、2001年の正月だ。当時はブログなどというものはなかったから、手打ちのHTMLでページを作っていた。七年という年月の中で、わたしの文体も多少変わり、写真も増え、何度か更新が止まり、そしてまた再開した。そのたびにもう少し定期的に書こうかなと決心だけはするのだが、生来「筆不精」なので自らため息をつくのみ。
だから、皆様にたまに思い出していただければ、こんなに嬉しいことはない。
今年も、どうぞよろしくお願いします。


