2006年9月アーカイブ

公立高校というところは、アタマのいい子たちが集まっていると言われる学校でも、ドラッグの販売なんかして停学くらったり、タバコや酒で補導されたり、何だか不気味な素行の子供達がいる。地域で入学先が決まるのだから、様々な子供たちがいて当たり前だ。
校庭を我が物顔にのっしのっしと歩く、そんなコワモテの男の子(まず高校生に見えないが、近づくと顔がつるつるなので十代だとわかる)には、必ず化粧バッチリの女の子がくっついていて、まるで「マフィアとその情婦」の縮小版のようだ。
そういうヤツラと毎日顔を合わせて鍛えられている公立高校の子供たちは、人前であまり泣かない。びーびーとオオヤケに泣いたら、何人かには慰められもしようが、冷やかす連中だっているのがわかっているからかもしれない。

私立の女子高は、そんな公立と比べると、かなり大切に保護されている「深窓」の環境だ。
そして、お嬢様たちはすぐ泣く。

いや、いじめられたからとかいうわけではない。わたしの教えているのは12歳から17歳までだが、彼女らは「えっ?}と言うような理由でぴーぴーと泣く。
ロッカーの鍵が壊れた。ブレザーをどこかに置き忘れてしまった。日本語の教科書を忘れた。コンピューターのハードディスクがぶっ飛んだときに、大切なメール(もちろん友達からだよ)が消えた。友達がちょっと冷たかった。ナントカ委員に立候補したのに選ばれなかった。友達の友達の友達の金魚が病気になった。お弁当を買うお金がない(いやビンボーなのではなく、単に財布を忘れただけ)。ジュースをスカートにこぼした。テストの成績が悪かった。タイツに穴が開いた。教室で手を挙げたのにセンセイが見なかった。美術の宿題が雨でちょいと濡れた。ボタンがとれた。ネクタイが曲がっていると友達に言われた。帽子をかぶるのを忘れて、センセイに注意された。体育でxxちゃんと一緒のグループになれなかった。
びぇーーーーん。

最上級生のスピーキング試験、一対一のインタビューでも、それが終わってほっとしたのか目がじわっとうるむ子が何人もいる。インタビューの後、こうした方がいいよ、というアドバイスをしただけで指先で涙を拭く。おいおい。
何だか、わたしがコワイ先生で苛めているように見えるかもしれないが、決してそんなことはない。公立高校でもフツウにやってきた試験だ。

感受性が豊かな年頃なのだろうが、それにしても多い。そしてあまりにも突然だ。目の前にいる女の子の目がうるうるしてくると、「やべえ」と逃げ出したくなる。そりゃあほんとには逃げないけれど、泣いている子の肩を抱いて優しく慰め励ます、ってのが一週間に必ず何回かあるこのごろ。

musselsalad.jpg昨日は、魚屋でムール貝が大安売り。下処理がめんどくさいのが玉にキズだが、食べたいとなったら一応腰を上げる。1キロで約400円ほど。
いつものようにスパイシーなトマトソースで煮るかな、と思ったが、何週間か前に見たテレビの料理番組ではバーベキューにしていた。日本だって焼き蛤なんてのがあるんだから、ムール貝を焼いちゃったってマズイわけがない。

がりがりと洗って飛び出ているヒゲをむしりとったら、あとは庭のグリルを熱してぽんぽんとそこに置いていく。貝が開きだしたら蓋をして蒸し焼きに。殻を皿にしてぐつぐつと音をたてだしたムール貝は、ぷうんと磯の香りをたてて美味しそうだ。塩もコショウもしていない。
用意しておいたレタスの上にまだ湯気をたてているムール貝をたっぷりと載せ、フィッシュソース(ナムプラー)とライムジュースに、唐辛子、ニンニク、しょうがのみじん切りをさっと混ぜて上からかける。最後に香菜をぱらぱらと振りかけて出来上がり。
ぷりぷりとしたムール貝だけではなく、にじみでたソースも美味だ。

ただはまぐりと違って、ムール貝の殻は薄く壊れやすい。欠けた殻の細かい破片を食べないように、と眼鏡をかけた。

minestrone.jpgわたしは、イヤなことがあるとキッチンで料理をすることが多い。
瞑想すると色々考えちゃうので、このほうが体にもよいと思っている。テレビで見る「セレブリティ・シェフ」のような華麗な手さばきではないけれど、洗ったり切ったり炒めたり混ぜたりしていると、結構気晴らしになるのだ。

ま、そんなわけで、今日は実だくさんのスープ、俗に言う「ミネストローネ」ってやつだ。名前だけはイタリア風でカッコイイかもしれないが、こういうものは店で食べるより家庭料理のほうがやっぱり素朴で美味しい。

豆は貯蔵室に残っていた乾燥豆を整理することにしたので、昨日から水に漬けておいた。探したら出てくること、出てくること。赤い豆、白い豆、ひよこ豆。それを漬け汁ごとコトコトと煮る。ベイリーフ(月桂樹の葉)を1枚、そしてぐしゃりとつぶしたトマトも忘れずに。これを入れて煮ると豆の皮が柔らかくなる、とどこかで読んだけれど、本当だろうか。

ときどき豆の固さをチェックしながら、テレビニュースをつけて、こないだ買ったエアロバイクを漕ぐ。コンピュータ制御なので、色々な道を想定することができて面白い。昨日は坂道登りを設定して、坂のてっぺんに着くまでに死にそうになった。しかしそこから今度は下り坂なので、ぴゅーんと飛ばして楽になったけれど。便利なもんだ。

三十分ぐらい漕いだら、今度は汗を拭き拭き、ソフリート(Soffrito)を作る。ソフリートというのは、弱火でゆっくりじっくり炒めた野菜のことだ。冷蔵庫をかき回して、あるだけの野菜をごっそりと刻む。セロリ、にんじん、玉ねぎ、フェンネル(ういきょう)、いんげん、ニンニク、西洋かぶ、そして香菜とバジルの茎。
大鍋にオリーブオイルをたらして、これまた刻んだパンチェッタ(イタリアンベーコン)を炒め、野菜を入れて混ぜたらあとは蓋を半分ほどしてじりじりと煮る。焦げないように時々混ぜながら弱火で20分ぐらい。

さてそんなことをしながら1時間ぐらいたつと、豆がやわらかくなっている。水をコップ1杯くらい残して、あとはざあっとこぼしてしまう。乾かないようにオリーブオイルを回しかけて、塩コショウ。
後は、チャードと呼ばれるギリシア風ほうれん草をざく切りにする。

さあて、これで下ごしらえは完了だ。

やわらかくなった野菜の上にほうれん草をぶちこみ、ホールトマトを二缶、半リットルぐらいのチキンブイヨン、冷凍庫からは肉団子を出してこれもぶちこむ。赤ワインをグラスに1杯鍋の中へ、そしてもう1杯はわたしのイブクロへ。

これで15分くらい煮て、味をみたらオシマイ。
食べるときには、パルミジャーノチーズを削るのを忘れずに。

時間はかかっているが、たいした仕事はしていない。本来ならここにパスタがはいるのがイタリア風だが、今回はなし。こういう手作りスープは、ごっそり実だくさんが美味しい。もうスープなんか端のほうに追いやられているというふうなのだ。レストランで食べるミネストローネはこうは行かないよ。

「洗練」という言葉にはほど遠いが、うちの母の作る味噌汁だっていつも実だくさんだった。

先日女学校のお嬢様たちの「スカートぱたぱた」について書いた。
が、彼女たちの名誉のために追加すると、同性同士の気安さからそういうハシタナイ行為に及ぶだけであって、言葉遣いや礼儀正しさに関しては、公立高校とは天と地ほどの差がある。

実は、わたしは口こそ悪いが、礼儀に関してはヒジョーにうるさい。
わたしの脇をすり抜けて教室に先に入ろうとする男の子は首っ玉をひっつかんで戻すし、野球帽をかぶったまま挨拶をする子にも注意する。何かを手渡して「ありがとう」さえ言わない子は、じろりと睨んで「どういたしまして」と先に言い、気づくまで気長に待つ。何かをしてもらいたいときに「プリーズ」をくっつけないバカモンも、厳しく直す。
さすがに、お尻が見えそうなほど低くはいたズボンを引っ張りあげてやるようなことはしないが、「パンツを見せるなっ」ぐらいは一応言う。

ところが、私立の女学校で教え始めたらそんな機会がなくなってしまった。(いや、もちろんスカートまくり上げて片膝立てて座っている子には、注意するけどね)

ほんのちょっとぶつかっても、彼女たちは「申し訳ありません」とはっきり言う。何かを頼むときには、「プリーズ」どころか「…していただけませんでしょうか」という実に丁寧な言い方さえする。キャアキャアと騒いでいても、ひとこと注意するだけで「すみません」と謝る。階段から降りてきた子にぶつかりそうになるだけでも、「すみません」が飛んでくる。教室でワークシートを渡しただけで、「ありがとう」と言う。

いやー、なんてシツケがいいんだろう。よすぎて、わたしまで何だか言葉遣いが改まってしまったこのごろ。

chillipickedorange.jpgここんところオレンジやみかんが大量に出回っているので、今回のサラダはオレンジ入りだ。オレンジはそのまま食べるだけではなく、メインの食事にも使うことが多い。豚肉のステーキなども、この新鮮なオレンジジュースを使ったソースでさっぱり食べることがある。

昨日の晩御飯のあとにオレンジを食べていたら、以前作ったピクルスを思い出した。簡単なので、ピクルスだけをとりあえず作ることに。
まずオレンジの皮を厚くむいて5mmくらいのスライスにしたら、種をとって深皿にいれておく。鍋に白ワイン酢をどぼどぼ(と言っても、カップ半分くらいか)、砂糖を大さじ三杯、刻んだ赤唐辛子とともに沸かして、砂糖が溶けたら熱いうちにオレンジにかけて、あとは一晩ほったらかしておく。

夕食の時間になったら、そのつけ汁をボウルに入れてオリーブオイルをたーらりたらりと加え、塩コショウする。これがドレッシング。
あとは冷蔵庫にあるもので、何だかギリシャ風かなと思うものを何でも加える。フェタチーズ、オリーブ、庭からむしってきたオレガノとイタリアンパセリ、そしてベビーリーフのサラダ菜。混ぜ合わせてから、並べたオレンジの上にどさりとかけて、出来上がり。

ピリリと唐辛子のきいたオレンジピクルスのせいで、微妙な味のコンビネーションになった。

今年一月に書いた通り、四月に戻ったバンコクでレーザー手術を受けた。所謂「近視矯正手術」だ。

手術は目薬風の局部麻酔のみ。片目二十分ずつ、いやー汗びっしょりになってしまった。もうあんなコワイ手術は二度と受けたくない。
角膜をぱっくり開けた時点で視界がマックラになるし、いくら経過を事前に教えられていたとは言え、やはりあせる。それでも、「動くな」と言われ素直に体を硬くこわばらせていたから、二日ほど筋肉痛が消えなかった。そして、そのマックラの視界にレーザー光線があたり始めたら、今度は焦げ臭い匂いがただよう。これにも、うろたえた。
「80%ぐらいの視力回復ですから、一年後にもう一回くらいやって100%にしますか」なんて言われたけれど、とてもじゃないがそんな勇気はもう残っていない。

術後一日ほとんどベッドで過ごしてから、次の日そうっと目を開けてみたら天井がはっきりくっきりと肉眼で見える。これには、本当に感動した。なんせ、中学生のとき以来、朝起きたら「見えない」というのが常識だったから。

もちろん、驚きはそれだけではなかった。術前に知らされてはいたが、いきなり近くのものが全部ぼやけてしまう。ああ、「老眼」ってこういうことだったのね。
副作用のひとつだが、私ぐらいのトシでは当然らしい。近眼ゆえに今までまぬがれていたが、近眼じゃなくなったとたん、出た。普通のひとは段々と見えなくなっていくのに、手術のおかげで矯正も老眼も突然だ。「近づければ必ず見えていたもの」が「近づけたら見えない」に一日で変わってしまった。

そんな突然の老眼には数ヶ月たった今でもまだ慣れず、ド近眼風に寄り目になりそうなほど近づけたものをあわてて目から遠く離す、という行為を性懲りもなく繰り返している。

primula.jpg都会育ちのわたしにとって庭というものはいつも猫のヒタイだったし、母の「園芸」はチマチマとした観葉植物や鉢におさまったままの植物が多い。

いや、そう言えば二階の窓にとどかんばかりの椿のタイボクもあったっけ。「幹」は直径十五センチ以上あって、上のほうにしか葉が茂っていない。なんだか椰子の木みたいだが正真正銘ン十年ものの白椿、木造モルタルの家がたったばかりの時に父が植えたままだ。もうとてもじゃないが剪定できるほど低くないが、それでも毎年ちらほらと白い花をつける。

二年前パースの街ど真ん中のアパートを出た後で、パティオつきの「庭」つき一軒家に住むことになった。バンコクでもやはりマンション住まいだから、庭を持つのは何十年ぶりだろう。
裏庭だけではなく玄関の前にもかなりのスペースがあるから、これでも季節ごとに腰を上げて世話をしている。

冬の間は寒くてあまり外にも出ず、新しい学校で教え始めたこともあって、ここのところ裏庭には目を向けていなかった。庭の池にいる金魚たちも、冬の間はあまり活発ではないので、そそくさと餌をやるだけであまりゆっくり鑑賞することもない。
ところがその餌をやったついでにひょいと回りを見ると、花が開いている。プリムラだ。今年はまだ植えた覚えがない。と言うことは、去年の春に池の周りに植えたやつの種がこぼれて芽が出たわけだ。薄桃色の花弁が、まだ雨で湿っている地面でぽやぽやと輝いている。

ドライブウェイにも去年のパンジーが種を落としたとみえて、ご丁寧にもレンガの石畳の間から紫色の小さな花がいくつも開いている。アリッサムという小さな花の茂みも同様だ。普段は石畳の間から生えるにっくき雑草を除草薬を使って一掃しているのだが、今回は雑草と自分で種をばらまいちゃった花が混在している。困ったなあ。これじゃ「手動」で草むしりかなあ。

pumpkinsoup.jpg雨模様の空が何日か続いたら、また夜の冷え込みが戻ってきてしまった。ヒーターをつけないと肌寒い。
日曜日の市場で大きなカボチャを買って来ておいたので、それを使って大鍋でパンプキンスープを作ることにした。寒い日は温かいスープが一番。ココナッツミルクを入れてタイ風にこってりさせるのもいいかと思ったが、いやいやローファットで行こうと決心。

カボチャは、そのままローストするだけで付け合せになるのでよく買う野菜だ。日本カボチャも手に入るが、今回はバターナッツと呼ばれる瓜型で大きなものを使った。

まずブツ切りにして皮をむいたカボチャを油を熱した大鍋に入れ、ニンニク2片と一緒に強火で焦げないように炒める。クーミンパウダーをぱっぱっと振りかけ、香りが出るまでもう少し。
チキンブイヨンと水を半々で1リットルくらい加え、沸騰したら火を弱めてコトコトと十分くらい。これをハンドミキサーでなめらかにしたら、塩コショウして味を整えるだけ。
ギリシャ風にプレーンヨーグルトをたらして、ふうふうと言いながら食べる。残ったスープは、小分けにしてから学校でのランチ用に冷凍。

ここまで書いてひょいとカテゴリを見たら、これが百個目の「食話休題」。
ホームページをブログにする前からゴハンを写真とともにアップしていたから、ホントはもう少し多くなっているはず。
凝ったものを作っているわけでもなく、更新も気ままで不定期だ。どちらかと言うと、「アレ、どうやって作ったっけー」の答えにするべく、メモ程度の意味で始めたカテゴリだった。きちんとレシピとして残そうなんて思っていたら、モノグサのわたしには続かなかっただろう。
それでも電子本まで出ちゃったことだし、とまた宣伝しておく。

lambsteak.jpg土曜日のショッピングセンターは、午後も遅くなると肉類が安くなり、もう少し遅く行くとほとんどの棚が半分以上空になってしまう。賞味期限の近づいているものを売り切ってしまいたいからだ。
だが専門の肉屋に行けば、パック詰めではない新鮮な肉を好みの厚さに切ってもらえる。子羊(ラム)のステーキはモモのところ、脂がちょんちょんと入っていていかにも柔らかそうだ。それをちょいと厚めに切ってもらう。

うちに帰って、庭からむしってきた大量のローズマリ、はちみつ、赤ワイン、そしてパプリカのマリネ液にたっぷり浸し、冷蔵庫に寝かせておく。これを、日が落ちてから庭のバーベキュー台でじゅうじゅうと焼いた。わたしのうちにあるのはガスでさっと火のつくやつだが、ラムの脂が焦げて美味しそうな香りの煙がもくもくと上がる。

付け合せは、アルミホイルに包んで同じくバーベキューにしたジャガイモと、タブーリー(Tabouleh)と呼ばれるレバノン料理のサラダ。
このタブーリーを初めて食べたのは、バンコクのレバノン料理の店だった。メインはパセリだから、いやと言うくらいビタミンCを摂った気分になる。バンコクのタブーリーはもちろん普通のパセリを使っていた。平べったいイタリアンパセリは、口当たりも柔らかくて生食にぴったりなのだが、わたしはなぜかこの普通のパセリで作ったものをバリバリと食べるほうが好きだ。

まずブルグール(Burghul)に熱湯をそそいで蓋をして三十分。ブルグールというのは、細かく砕いた小麦でインド料理や中近東料理によく登場する。ふやけたら、水を切る。
ミントの葉、玉ねぎ(または細ネギ)、トマト、そして大量のパセリをすべて細かく刻む。これにブルグールを加え、塩コショウ、クーミンパウダー、チリパウダーをぱっぱっと振りかけたら、あとはオリーブオイルとレモン汁をたらーりたらーりと混ぜ込むだけ。

甘く香ばしいラム肉のステーキを、タブーリーでさっぱりと口直ししながら食べる。これに楽しいおしゃべりが加わると、もう赤ワインが進むこと、進むこと。

kangaroo.jpgパースは地球上で最も孤立した「都市」と言われている。つまり一番近い大都市まで何千キロも離れているということだ。しかし、さすがに街中でカンガルーを見かけることはない。だが、郊外に行けばまだまだ大小様々なカンガルーが生息している。
一般の哺乳類と違って、有袋類カンガルーの赤ちゃんは生まれて数時間で走り回るということはできない。人間と同じように未熟な状態で生まれ、自力で袋に入った後は何ヶ月もの長い間母親のおなかにある袋の中で育つ。だから、動物園などでは、赤ちゃんの顔が袋から見えた時点を誕生日とするらしい。それだけ、小さいということだ。

しかし、カンガルーは夜行性の動物で、夜になると光に向かって進んでしまう習性を持つため、交通事故に遭う確率が非常に高い。母親が事故に遭って孤児になったカンガルーの赤ちゃんを育てるのは、カンガルー募金に登録しているボランティアたちだ。

わたしの友人の働く西オーストラリア州北部の田舎にも、そんなボランティアがいる。

先日、また孤児になったカンガルーが彼女のうちにやってきた。体長20cmほど。長いこと放置されていたと見え、汚れてやせ細っていたそうだ。当然のことながら、まだ歩けるほど成長していない。小さな籠にタオルと毛布を敷き詰め、母親の袋と同じ状態にして小さな体をくるむ。ミルクは、3時間置きだ。だから、田舎の小さな空港で管制官として働く彼女は、カンガルーの赤ちゃん持参で仕事にやってくる。オフィスの隅にそっと置かれたバスケットの中で、赤ちゃんは次のミルクの時間まですやすやと眠る。

このひとは、確かバンディクート(同じく有袋類だが大きなネズミのような動物)の赤ちゃんを道端で見つけ、自分のブラジャーの中に入れて保護センターに持ち帰ったこともある。心臓のそばに置くことで、暖かさと鼓動を感じさせるためだ。緊急の場合の処置らしい。

今までに何十匹ものカンガルーを育て上げてきたが、彼女の役目は赤ちゃんが飛び跳ねることができるまでだ。その後は、保護センター内の広大な敷地で野生に返すためのリハビリが始まり、最終的には野生のカンガルーとして放される。何ヶ月か育てたあとで、彼女がそのカンガルーたちを見ることは二度とない。

かなり手のかかる仕事だと思うのだが、彼女は一度も保護センターからの要請を断ったことがないそうだ。
「別れるときは、いつもちょっと悲しいって言ってたよ」とわたしの友達は付け加えた。