2005年10月アーカイブ
芽キャベツは、こちらオーストラリアではブラッセル・スプラウト(Brussels Sprouts)と言う。
スイスにいたときにもよく肉のつけ合わせに出てきたが、わたしはこれがあまり好きではなかった。ぐつぐつと茹でてたっぷりとバターとキャラウェイシードをまぶしたそれは、「完膚なきまで」ぐちゃぐちゃに柔らかい。まあ、芽キャベツだけではなく、ヨーロッパではどの野菜もこんな感じで歯ごたえがなく、もちろん原型も留めていない。有名どころは違うのかもしれないが、普通の家庭やまた近所のオジサンオバサンたちが集まるビストロ系レストランは、皆こんな感じだった。
だからパースで初めて季節モノの芽キャベツを見たときにも、表面がとろとろとくずれかかっているような調理後の映像がアタマをかすめたものだ。こちらの芽キャベツは、ステーキやらなにやらと同じようにデカイ。ゴルフボールほどもあるし、何故か色も濃い緑色だ。
茹でるときには、あまりにも大きいものは半分に切ったほうがいい。
たっぷりの湯に塩をふたつまみほど入れ、ぐらぐらと煮立っているところで五分ほど。その間にドレッシングを作る。ドレッシングと言ったって、たかがヴァージン・オリーブオイルとバルサミコ酢を同量混ぜて、塩コショウしただけだ。ここにさっと湯を切った芽キャベツを熱いまま加えて、混ぜ合わせる。
フライパンにオリーブオイルを熱し、ニンニクと唐辛子のスライスを入れて香りが出たら、下ごしらえしておいた海老を入れて炒める。海老はぷりぷりしているほうが美味しいので、じっと覗きこみながら色がだんだん変わって半透明になるのを待つ。味付けは、これまた塩をぱらぱら、のみ。
この海老を深皿の芽キャベツの上にざざっとかけて、出来上がり。
芽キャベツは苦いし匂いがあるからキライというひともいるが、このシンプルなドレッシングをからめた温かいヤツは、きりりとした歯ごたえも楽しくていくらでも食べられてしまう。
もっとこってりさせたいときは、オーブントースターでかりかりにしたベーコンを振りかけても美味しい。
注文しておいた植木バサミが、金曜日に届いた。
写真を見て「おや?」と思うひともいるだろう。刃のつき方が反対だ。そう、これは左利き用の植木バサミなのだ。
もちろん、普通の店では売っていない。日本と違って矯正はしないけれど、やはり左利きは少数派だからだ。今までは、スーパーで買った安物を使っていたのだけれど、事務系のハサミと違って植木バサミは刃が厚いため、左手で使うと枝や茎がスパッと切れずにぐにゃりと曲がるだけのこともある。右利きのひとにはわからないかもしれないが、試しに左手でハサミを使っていただきたい。刃が逆だと使いづらいだろう。
買ってすぐに庭に出てみたのだけれど、いやーよく切れる切れる。薔薇やデイジーの咲き終わったところの茎をちょっきん。ブーゲンビリアの枯れた枝をちょっきん。それでも飽き足らずに、にょっきりと伸びた雑草もちょきちょきとコマギレにしてみる。楽しいなあ。
左利き用の道具を売っているサイトから、以前にもコークスクリューを注文したことがある。ワインにぎりぎりとねじこんで、ぽんと開けるあれだ。ふつうの折りたたみナイフのような形をしていて、スクリューとは反対側に小さなナイフもついているソムリエ用ワインオープナーの左利き版である。
やはりこれも、普通の右利き用のものはスクリューが反対の方向にぐるぐると回っているから、左利きとしては使いづらい。だからこれを買ってから、ワインを開けるのが確実に速くなった。
しかしひとりで飲むときは自分で開けるけれど、誰か来たときにわたしは決して自分ではワインを開けない。おもむろにこの左利き用ワインオープナーを差し出し、「ねえ、開けてくれない?」とムジャキに頼む。ふっふっふ。
右利きのひとたちは気づかないかもしれないが、左利きが不便を感じることはとても多い。
たとえば、マウスの位置。
そのまま右に置いて使う左利きもいるらしいが、わたしにはできない。だから、わたしのマウスの位置は左側、そしてクリックも右左逆だ。実は、ポインター(画面に出る矢印)も、アタマに来ていたもののひとつだった。左手でマウスを操作していると、左上を向いている矢印というものは、非常に不自然なのだ。だから、わたしのディスプレイに浮かぶポインターは、輝かしくも右上を向いている。これはウィンドウズ95の時代から毎回OSをアップロードしたり、新しいコンピュータを買うたびにインストールしているものだ。残念ながらこれは標準の矢印のみで、ハイパーリンクになっているところで現れる「指差している手」は右手のままだ。
以前、友達が「マッカなマニキュアを塗った左手」を作ってくれたのだが、どさくさにまぎれて失くしてしまったらしい。だれかまた作ってくれないかなあ。
急須。
大変行儀が悪いと日本古来の作法では思われている仕方で、茶をつぐしかない。つまり、手の甲を裏返しながら外に向かってつぐわけだ。だって、左手で持ったら、急須の口は後ろを向いちゃうんだから。
そのわたしの「作法」を見るに見かねてか、下町に住む八十歳の伯母は、わざわざタクシーで浅草まで乗りつけて、「うちの姪の茶の注ぎ方、怒るわけにもいかなくってねえ」と左利き用の急須を買ってくれた。これも、大変便利で重宝している。
こんなふうに、毎日苦労しながら使いづらい道具を使う左利きたちのストレスは大変なものだ。日常の細々としたことに、皆いったんとまどってから手を出す。この一瞬のとまどいには、慣れることがない。
わたしの友達には不思議と左利きが多いので、同感してくれるひとも多いだろう。さ、同感したひとは「左手」をあげてクダサイ。お箸を持つほうの手ですよ、はいっ。
土曜日だから、ほんのちょっと手をかけて料理でもしようかと思ったが、どたばたと家中そうじをして洗濯を終えたら疲れてしまった。
そうじに手をつける前に、買い物に行っておいてよかった。新聞も買ったし、ロトも買ったし(当たらないかなあ、四億円)、月曜日の八年生「日本語でクッキング」用の和風チャーハン材料も買った。ついでに、もうそろそろ時期も終わりになろうかという、殻付きの生牡蠣も一ダース。ワインは西オーストラリア産の「マッド・フィッシュ」白が冷えている。
この生牡蠣に、冷蔵庫に残っていたイクラの瓶詰めを使う。こちらでもこのイクラは買えるが、とても高価だ。そして粒がカナシイくらい小さい。北海道産のイクラの醤油漬けなんて贅沢は言えないから、これで我慢するしかない。
これを、ちょんちょんと少しずつ牡蠣の上に乗せて、イタリアンパセリを少々、そして食べる直前にレモンをぎゅっと絞って醤油をひとたらし。ああ、美味しい。
生牡蠣はほとんど東海岸、あるいは南オーストラリアから運ばれてくるが、本当は西オーストラリアにもある。南下した港町アルバニーの近辺だが、この養殖牡蠣を扱うのは一社だけだ。だから、ほとんどレストランに流れてしまって小売の店には並ばない。パースで食べたかったら、生牡蠣を専門に扱うレストランに行くしかないが、あとはアルバニーまで足を延ばしたときに買い込む。
実は、この西オーストラリア・アルバニー産の生牡蠣にシーズンはない。潮の関係で、夏場でも水が生ぬるくならないかららしいが、一年中採れる。
一月にタイから戻ってから五日ほどアルバニーに南下する予定なので、夏にもかかわらず生牡蠣にありつけるというわけだ。今から、楽しみ楽しみ。
今日は、来年の職が当てに出来ないことが判明したため非常にクサっている。まあ、それ以外は週末バンザイなので、白ワインの西オーストラリア産セミヨンなんぞぽんと開けて酒盛りだね。
そして、こういうときはきっちり夕食と言うより「おつまみ」がいい。
鶏の骨なしもも肉を買ってきたので、これをまずマリネしておく。赤い唐辛子、ショウガのかけら、にんにく二かけ、豆鼓(トウチ、こちらでブラックビーンと呼ばれるもの)、そしてナンプラーソースと韓国味噌を混ぜ合わせたものに、1時間ほど漬けておく。庭のバーベキューに火をつけ、、マリネした肉を広げて十五分ほどじゅうじゅうと焼くだけだ。これをスライスしたキュウリの上に乗せる。バーベキューで焼いた鶏の汁がにじみ出るので、ほかの味付けはいらない。新鮮なキュウリのさっぱりしたところが口直しになり、スパイシーなチキンにとてもよく合っている。
日が落ちると少々肌寒いが、今晩はパティオのガスストーブをつけて外で食事をした。しーんとしたパティオで、ざわざわとする木々の音を聞きながらちびちびと飲み、香ばしい鶏をつっつく。夜は外に出さない家猫のゆきちゃんが、ドアをかりかりと引っかいてふにゃあと鳴いた。
同じ学校で2年半働いた。
常勤教師のステータスのないわたしがこんなに長く同じ場所にいられるのは、一重に学校が色々と手を尽くしてくれたおかげでもある。しかし、来年はもうダメなようだ。学校もわたしにいて欲しい、わたしも残りたい、と言っていても、常勤資格のある教師が教育省に余っている場合は、彼らに優先権が与えられるためだ。
西オーストラリアはパースを首都としているが、その面積はオーストラリア全土の三分の一以上ある。州土に散らばった辺境というしかない土地に行きたい教師は、ほとんどいない。日本の三倍はあるその土地にある学校の数は大変なものだが、パースを除いた西オーストラリア各地の教師不足は深刻だ。教育省では、何とかして充分な数の教師を確保しようと必死だが、その政策のひとつとして何年も前に打ち出されたのが、「常勤資格制度」だ。つまり、石の上にも三年ならぬ「鉱山村にも三年」我慢して、英語の読み書きもままならない現地民族アボリジナル人70%などという辺境の地で教えれば、晴れて「常勤資格のある教師」としてパースに凱旋できるというのだ。この「常勤資格」さえあれば、毎年契約に応募して常勤教師たちのオコボレに頼らずとも、どっかと腰を据えて何年でも同じ学校で教えられる。
まだ家族を持たない若い教師たちが、こうして何人も辺境の地に旅立って行く。鼻の前にぶらさがった「ニンジン」の魅力は大きい。
問題はそうして「常勤資格」を与えられて戻ってきた彼らの能力だ。わたしの知るうちにも、何人か高学年の数学や語学を教えられない教師たちがいる。高校と大学で日本語を習って教師の資格をとり、辺境ではもちろん最低限の初級日本語しか教えていない。日本語で大学に行く子供たちなど、そうした土地からは皆無に等しいからだ。
三年たって帰ってきてみると、なるほど教える態度はサマになってきたかもしれないが、肝心の日本語がサビついている。十二年生の採点ができない。中級文法がわからない。助詞の「に」と「で」の区別がつかない。漢字がほとんど書けない。
ある学校では、そうした常勤教師が二年ほどフルタイムで教えていたため、大学入学試験の日本語平均成績がいきなり悪くなった。彼女の机の上に開かれていた上級生の答案を見たら、間違いが半分以上添削されていない。彼女には間違いさえ見つけることができなかったのだ。こういう教師は、それでも解雇されない。あまりにも日本語の成績が全般的に落ちたので、彼女のほうが居心地が悪くなった。「高学年の日本語を教えたくないんですけど」と学校にお伺いを立てる。学校のほうでは「ちょっと無理だったみたいですねえ、では高学年を教えられる非常勤の教師を雇いましょう。そして、あなたフルタイムじゃなくなっちゃうけど、どうしましょ。何か他に教えられるものある?」「大学で一応、外国人のための英語教師の資格をとりましたけど」「あ、じゃあそれいきましょう。うちの学校の外国子女のための英語教室には、確か非常勤の教師がいたから、その職をとりあげましょう。週六時間だから、あなたが教えられる下級生の初級日本語と合わせればちょうどフルタイム。これでいい?」
かくして、彼女は今だにその学校でフルタイムの教師をしている。
教師の「質」は問われない。とりあえず「数」だけはそろえてみても、これでは英国公立高校の荒廃を確実に追っているのではないか。
夜中に鳴り出すアラームほど、不気味なものはない。
アラームと言っても、かわいい目覚まし時計のアラームではなく家についている警報機のことだ。自分の家ではなく、何軒か先の家の警報機が夜中の二時に鳴り出した。誰も家にいないらしく、十分ほども鳴り止まない。泥棒か、と思って震え上がったがパトカーの来る気配もない。わたしの家は、引っ越してから間もない去年の十月二十七日にも書いたが、「要塞」である。アラームをかけているときには、高らかに(と言うより耳をつんざくほどの)鳴り響く騒音なしで、わたしの家に侵入することは不可能だ。鳴り響いてもまだだれもアラームを止めないときには、登録してある全ての電話番号に連絡が行く。それでも誰も電話を取らなければ、武装した警備員がわたしの家の鍵を持って確認にやって来る。
ところが、普通の家ではそこまでしているところはあまりないから、警報アラームが鳴り響くだけだ。そりゃあものすごい音だから、とてもじゃないがそのままゆっくり居座って盗むなんてことができるわけもない。しかし、夜中だろうと何だろうと、留守の家でアラームをオフにするひとはもちろんいない。
かくして、わたしを含めて、半径五十メートル以内の家でぐっすり寝ている隣人たちは皆起こされてしまったらしい。それが証拠に、外にまで(たぶんパジャマ姿なのだろう)出てきて立ち話をしている隣人たちの声が聞こえる。
寝そびれてしまったわたしは、今日一日中非常に機嫌が悪い。しかし、機嫌が悪いと言っても腹は減る。
こういうときはパスタだね。週末に買っておいたカペレッティがあるから、炭水化物を摂取してイライラ頭にたまっている血流を胃に戻そう。
湯を沸かしている間にトマトソースを出そうとして、冷凍庫にあった最後の残りをこないだ使ってしまったことを思い出した。また作らなきゃなあ。貯蔵室を開けると市販のトマトソースならあったので、ほっとした。持つべきものはデカイ食料貯蔵室だ。
カペレッティはイタリア語で「小さな帽子」という意味だ。ちょうどツバ広の帽子を伏せたような形をしている。わたしがいつも買うのはイタリア食品店の手作りだが、ここのは中身によってパスタの色が違う。ペストとチーズのものは、バジリコがたくさん入っていて薄い緑色をしているし、牛肉のミンチ入りは、薄い茶色をしている。そして、今回わたしが買ったのは赤ピーマン、マッシュルーム、モッツラレーラチーズ入りの薄い赤色のもの。
茹でて市販のソースをかけイタリアンパセリを散らしただけだが、評判の店で買った手作りパスタは実に美味しい。ベビーサラダをちぎったものを添えて、眉間の皺用に辛口のシャルドネを一杯だけ。いや、ひょっとするともう一杯くらい。
すっかり忘れていたが、昨日の朝のホームルームの教室で子供たちに言われて気づいた。今日は十二年生の学校最後の日だ。毎年行われている「ドレスアップ・ディ」の日なのだ。
一応十二年生だとて授業はあるのだが、ほとんど授業らしいことはしていない。他のクラスに行ってはいけない、と言われているだけだ。第一「ドレスアップ・ディ」だから、教室に座っているのはいつもの彼らではない。180cm以上あるデカイ熊のぬいぐるみや、、インディアンのねーちゃんや、ダースベーダーや、スパイダーマンや、ニンジャや、マリリン・モンローや、バットマンたちだ。そう、今日は十二年生たちが思い思いの仮装で学校に来る日なのだ。
朝、わたしが学校に来た時間には、すでに「熊」と「あひる」が立ち話をしていたし、後ろからは「イエス・キリスト」が「相撲力士」と歩いてきた。
わたしが担任のホームルームは八年生から十二年生まで総勢二十八人、そのうち卒業する十二年生は五人だ。最初にやってきたのは、頭になが~い羽を三本つけたインディアンの酋長の娘で、あまり羽が長いためドアの上にひっかけてカツラがもげそうになった。次にやってきたのは、60年代調の大きな金髪のカツラをかぶったウエイトレスたちが二人、そしてゴリラと映画のオースティン・パワーズの格好をした男の子たちが教室に入ってきた。
オースティン・パワーズというのはアメリカのコメディ映画の主人公で、黒ブチの眼鏡をかけて派手なスーツ姿をしている。ビロードのマッサオなスーツは結構その子に似合っていた。普段あまりふざけているときには、わたしが一喝することの多い子だった。わたしと冗談を言い合うのが大好きだったが、調子に乗りすぎてはまたわたしに怒られる。わたしもかなり頻繁に冗談を言うが、きちんと大事な情報を連絡しているときはおしゃべりは禁止だ。限度と節度を教えているつもりなのに、ヤツは性懲りもなくハメをはずす。しかし、気分の起伏の激しい子で、しゃべりだしたら止まらないときもあれば、黙って誰とも話さないこともある。あまり勉強ができるとは言えないし、遅刻することも多い。
昨日、「明日の高校最後の日は、このホームルームの全員にハグ(軽く抱きしめること)するからなああああ」と宣言して、下級生たちから「げええええ」とブーイングされていた。
今日は無礼講なので、わたしもあまりうるさいことは言わない。さんざ写真を撮りあった後、教室で皆の前に立ったヤツはこう言った。
「このホームルームの全員にハグするのはめんどくさいので、オマエらは省略してセンセイだけにハグすることにする」
ええっと思ったのもつかの間、わたしより頭ふたつぐらい大きいヤツにがばっと抱きしめられ、背骨が折れそうになった。恥ずかしいから、いきなり乱暴にハグしたらしい。
それでも、小さく「センセイ、ありがとーな」と言っている顔を見上げたら、やっぱりマッカになっていた。
午後のコンピューター研修は意外に時間がかかって、帰宅したらすでに六時だ。何にも作りたくないけれど、外に食べに行くのもめんどくさい。
ランチ用の平たくて丸いピタと呼ばれるパンなら、ある。これは中近東からギリシャにかけてよく使われるパンだ。ランチには、半分に切ってポケットのように中にいろいろなサンドイッチの具を詰めるが、そのままで小さめのピザの台にすることもできる。
サーディンの缶詰もある。オイルサーディンじゃなくて、水煮のほうだ。このほうがカロリーも少ない。
サーディンをくずしてピタの上に散らしたが、やはりサカナ臭い。そこで、ネギの小口切りとレモンの皮の刻んだのをはらはらとふりかけて、塩コショウ。卵を一個割ってそこに同量のチェダーチーズをすりおろしてクリーム状になるまでかき混ぜる。どろどろとピタの上にかけて、二百度に温めておいたオーブンへ。簡単なグリーンサラダを作っている間に、チーズと卵に薄く焦げ目がついてきたら出来上がり。
サーディンは和風のつまみにもよく使うけれど、こんなチーズの香りがぷーんとただようスナックにもちょいと変わっていて美味しい。
昼から臨時の教師を頼んで、パース南から北の端っこまで大横断の旅。高速道路を使ったらたかが三十分の道のりに「大横断」もないものだが、パースのひとびとにとってスワン川をはさんで「北」と「南」にはかなり感情的な距離がある。
ウィンドウズXPのフォーマットと再インストールの研修があったのだ。時々ある教師用研修会のひとつだ。わたしは、ウィンドウズ98のときにフォーマットに失敗した苦い経験があるので、前から一度くらいきちんと習っておきたいと思っていた。
そうしたら、なーんだ、XPになってからの再インストールって拍子抜けするくらい簡単だ。待ち時間がちょいと長くて退屈だったが、後はほとんど説明にそって順番にクリックしていけば、すんなりフォーマットそして再インストールもできる。ドライバーはほとんどXPで見つけてくれるし。自分のコンピュータで試すのは何となくためらわれたので、まあ、いい勉強にはなったけれどね。
先週、西オーストラリアの教師のアンケート結果が出た。質問は一般的なものだったが、移民の国であるのにもかかわらず、英語以外の母国語を持つ教師は五パーセントにも満たない。そして、教師人口の平均年齢はなんと四十六歳だ。若いひとたちの教師離れが進んでいるが、ここにもそんな事実が見え隠れする。
平均四十六歳でもかまわないのだが、この年齢以上のひとたちはコンピューターに弱いひとが多い。使うのは、メイルと手紙用のMSワードくらいだ。エクセルもアクセスもパワーポイントも触ったことさえない。練習問題のシートを書くくらいはできるが、画像をそこに貼り付けることができない。三次元の世界で「コピペ」をする教師の姿はまだまだフツウなのだ(つまり、ハサミで切ってノリで貼り付けるということ)。コンピューターを使えば時間が短縮できることがかなりあるのだが、そこまで使えないのだ。
今日の講師だった女性は「いやいやながらのコンピューティング」講座も開いて、そうした中年以上の教師たちがもっと授業や雑用などにコンピューターを使うようにと教えているそうだ。だが、まだまだ人数は少ないらしい。
このところ肉食が続いていたので、たまにはベジタリアンパスタでも。
今回使ったのはスパゲッティーニと言って、一番細いカッペリーニの次の太さだ。カッペリーニまで行くと、本当にソウメンのように細い。お湯をじゃんじゃん沸かしてから、塩をひとつかみ入れると、ぱあっとお湯の中で散る。そのくらいぐらぐらと煮立っているということだ。ここにパスタをぱらぱらと入れて、袋に書いてある茹で時間を目安にその一分くらい前から味見を始める。この場合は五分となっていたから、すぐにソース作りにかかる。
フライパンにオリーブオイルをほんの少し入れて火にかけ、そこに自家製トマトソースのかけら(わたしは平らにして冷凍している)を入れて温め、黒オリーブのスライスを加えてから火を止める。スパゲッティの味見をしてみると、まだ固い。あと二分くらいかな。庭に飛んでいってイタリアンパセリをちぎって戻り、レモンの皮を少し刻み、チェリートマトを半分に切って、全部合わせておく。もう一回味見をすると、スパゲッティーニは出来上がり、お湯を切ってから勢いよくフライパンにぶち込む。火はついていない。ささっと混ぜてから、パセリ、レモンの皮、チェリートマトを加え、またささっと混ぜて、そのまま皿へ。最後に、冷蔵庫に残っていたフェタ・チーズを軽くくずしてぱらぱらとかける。
おしまい。
レモンの皮を入れたのは、これがトマトソースとちょっと塩気のあるフェタ・チーズととても相性がいいから。
冷蔵庫にアタマをつっこめば何かしら材料は見つかるし、月曜日のあまり料理をしたい気分じゃないときにも、こんなふうに十分くらいで出来てしまう便利な一品。
今日は、ボランティアのひとたちが一ヶ月も前から準備していたホスピス・ディだ。
ホスピスと言うのは、日本でももうそろそろ一般に知識が浸透してきたが、癌などの末期症状患者のためのいわゆる介護センターだ。病院という雰囲気は、ない。どちらかというと、リゾートのように美しく開放的だ。治療も最低限痛みを軽減する程度で、最後の日々を穏やかに過ごしてもらおうとするための施設だ。だから、体にとても負担のかかる化学療法も管を体中にくっつけたまま亡くなるということもない。
わたしの同僚である日本語教師のお姉さまも、去年癌のためここで亡くなった。そのせいもあり、彼女は率先してボランティアを引き受けた。わたしの通う公立高校の中庭を開放して、近くのマードック病院付属のホスピスへの寄付を集めるため、チャリティ・イベントをプロデュースしたのだ。今日までの一ヶ月間、チケットを作り、寄付の品々を仕分け、値段をつけ、食べ物の屋台を提供してくれるボランティアや、その他の屋台を担当してくれるひとびとをつのっていた。
わたしがしたのは、家で眠っていた小さな品々を寄付したり、一ヶ月前から十一ドル分買える十ドルのチケットを売るくらいだったが、当日は「客」に早変わりだ。
どちらかと言うと、内輪の催しだから、近所のひとたちや生徒たちとその家族だけだろう、と思っていたら、とんでもない。わたしが着いたのは朝十一時を過ぎていたが、まるでお祭りのように混雑して活気がある。生徒たちが屋台から声をはりあげて、寄付のぬいぐるみや、CD、本、小物などを売っている。せんせええええ、の声に振り向いてみれば、日本語クラスの生徒たちが、中華料理やインドネシア料理のお弁当を売っている。
中庭のステージでは、生徒たちのオーケストラや外からのボランティア・ミュージシャンたちの演奏が始まっている。
天気がいいこともあって、親子連れも子供たちもとても楽しそうだ。
オソロシイことに、もちろんお菓子やケーキの屋台もあった。うちの学校は国際色豊かなので、なんだか珍しいものもあって思わずたくさん買い込んでしまう。まずい。これは、まずい。わたしのダイエットはどうなるのだ。
あまり長居をすると本当にもっと買ってしまいそうだったので、一目散に逃げようとしたら、「ちょっとーっっ」と声をかけられた。副校長だ。
「がびっ、わたしの屋台を素通りする気ぃっ」
引き戻されて、屋台の前に立ったのが運のツキ。彼女はギリシャ系オーストラリア人だ。覗いてみると、ギリシャなんとか、と銘打った不思議なお菓子がたくさん並んでいる。
「わたしのターキッシュ・デライトは最高よ」
そう言えば、トルコとギリシャはお隣同士だったな、と思って、ひとつ四十円ほどのその小さなデライトをいくつか買った。ローズ・ウォーターを使っているので薄いピンク色をしている、ゼリーのようなお菓子だ。市販のものは食べたことがあるが、副校長の手作りはそれよりはるかに美味しい。うちに帰って四つ全部平らげてしまいそうになり、あわてて最後の一個の写真を撮った。(写真は、その最後の一個)
こりゃあ、是非ともレシピを奪わねばならないね。
昼過ぎにはわたしは学校をあとにしたが、催しはまだ続いている。ただ単に寄付集めとして献金をつのるより、それを地域でチャリティー・イベント化してひとを呼び寄せるというのも、オーストラリアらしくてわたしは好きだ。生徒たちも皆誇らしくボランティアを引き受けているし、家族で何かを売っているひとたちも多い。売り上げは全てマードック・ホスピスに行くから、目的もはっきりしている。学校という場所を提供することで、それがコミュニティの媒介ともなっている。
今度こういう機会があったらもっと積極的に参加してみよう、と思った。
Hilde Dixonは、わたしが二年半前今の高校で働き出したときから同僚だった女性だ。改めていくつかのエントリを読み返してみたら、「同僚のフランス語教師」という名で、わたしがgaby's diary@anywhereという日記を書き始めたときから何度も登場していた。
あるとき、何百人もの生徒の成績表を書く期末に、睡眠時間を削りながらやっていたら、学校にいる間もなぜか険しい表情になってしまっていた。そういうときに限って、悪ガキが授業中におしゃべりをしたり、いたずらをしたり、全く集中できないなんてことがある。
ヒルデは、そうしたわたしのため息に敏感だった。
「あなたねえ、今日はもう4回も『今日はダメだわあ』ってため息ついているのよ。帰りなさい。うちに帰ってワインでもかっくらいなさい。採点なんかの仕事を持って帰っちゃだめよ」
そう言って、放課後まだ残っていたわたしを追い立てた(自分も実は残って仕事しているのに、である)。何となく晴れやかに、答案を放り出したまま外に出た。しかし、十メートルも行かないうちにヒルデが追いかけてきた。
「もう。放り出して帰っていいのは、答案よ。うちの鍵から車の鍵までついているキーホルダーを置いて行っちゃったら、何にもならないでしょっ」
ふたりで吹きだしてしまった。そして、わたしに向かって放り投げられたキーホルダーを受け止めながら、「ありがとー、愛しているわよー」と叫んで、放課後に校庭を掃除していた掃除係のオジサンをぎょっとさせてしまった。
ヨーロッパからの移民、ベルギー人だったヒルデの乾いたユーモアは、オーストラリア人たちのものとは確かに違っていた。
40度を越す夏に、サウナのような教室でへろへろになりながら、わたしたち教師が授業をしていたときのことだ。職員室にも総務にも受付にもさわやかなエアコンというものがある。しかし、2年前そんな気の利いたものは教室にはなかった。
涼しげなワンピースを着た総務の女性が、「エアコンの効いた」職員室で暑さに文句をたれる教師たちに、にこやかにこう言い放った。
「あら、わたし夏って大好きよ。熱気が体に触れるのっていいわあ。海もきれいだし、町も生き生きとしているし。汗をかけるってのもキモチがいいわ」
ヒルデは、片方の眉毛をひょんと上げて言い返した。
「そりゃあそうよねえ。わたしだって、ビーチで本でも読めるんだったら夏だーいすき。そして、エアコンの中でキモチよく授業ができるんだったら夏だーいすき。でも、それでなくても体温の高い子供たち30人と一緒に40度の教室に押し込められていたら、もっともっとイジメてえええ、ってマゾじゃないかぎりそういうこと言えないのよ」
ワインもチョコレートも好きだったヒルデは、休み時間時々缶に隠してあったチョコレートをわたしにくれた。
「中年ぶとりの世界にようこそおおおお」
そう言って、わたしには到底真似のできないような洒落たウィンクをよこした。
ランチから帰ったわたしが、オフィスのドアを半分ほど開けたまま外の生徒と言葉を交わしていたことがある。立ち話が終わって、そのままドアを見ずに手で「それ」を押したら、何だか柔らかい。あれ、とドアを見たら、それはオフィスの中からドアをちょうど開けたばかりのヒルデの胸だった。
「やあねえ、生徒の見ている前でわたしの胸触っちゃだめよっ」
「あらま、なんかドアが柔らかいと思ったら…」
二人で涙の出るほど大笑いをした。
ランチのあとでほとんど剥げてしまった口紅を塗りなおしているとき、わたしはヒルデが後ろにいないか確かめることがよくあった。気をつけていないと、彼女が後ろからぽんと頭を押すからだった。もちろん口紅はとんでもない方向にはみ出す。細心の注意を払っているのに、何回もわたしは口紅を鼻の方向に塗ってしまった。ヒルデは「へっへっへ」と楽しそうに笑う。
ほかのオーストラリア人フランス語教師たちが知らないようなスラングを言い合って、爆笑したこともある。
「何だか変よねえ、オーストラリアで日本人のあなたとフランス語のスラングを言い合って笑うなんて」
休み時間や授業が空いたときなど、よく二人で色々な話をした。ヨーロッパのこと、家族のこと、そして彼女の好きなヨットのこと。
わたしはヒルデが大好きだった。
今度わたしのうちにも遊びに来てね、と約束していた。もう少し暖かくなってパティオで食事ができるようになってから、ね。そのころちょうど引っ越したばかりだったわたしは、そう言ってヒルデがうなずくのをとても嬉しく思った。
そして去年の十一月、ヒルデの乳癌は再発した。
長い療養にはいったヒルデに会ったのは、それからたったの二回だ。去年の十二月に学校を訪れた彼女は、もとの金髪に似たとても美しいカツラをかぶっていた。化学療法のために髪を全て失っていたのだった。
その次に会ったのは、今年の四月だった。ふくよかだったヒルデは少し痩せていた。そして、いつも周りのひとびとを楽しくさせた微笑みが消えていた。わたしはそれでも彼女にまた会えたことが嬉しくて、とても疲れて見える彼女をそっと抱きしめた。もっと話したかったのだが、授業のベルがすでに鳴っていた。わたしは名残リ惜しくその場を離れたが、授業が終わったときヒルデはすでに帰ったあとだった。
それが、彼女の顔を見た最後だった。
先月九月十日、ヒルデは自宅で家族に見守られながら亡くなった。五十二歳だった。
葬式の後、たった一度だけ電話で話したことがある彼女の夫はわたしの手を握って言った。
「電話で話したあなたを覚えているよ。ヒルデがあなたのことを話していたのも覚えているよ」
葬式の間中悲しくて涙の止まらなかったわたしだが、それを聞いてまた喉もとがつまった。
来週のランチにも重宝するので、チキンを丸ごと買ってきた。わたしのいつも使うのは、「棚で育てられた鶏」ではなく「放し飼いの鶏」だ。冷凍ではないし、餌も吟味されているので嫌なにおいもしない。
これを開いて、いつものようにニンニク、しょうが、香菜、チリを刻んでからフィッシュソースとレモン汁と合わせ、昼間から漬け込んでおく。夜になってから庭のBBQに火をつけ、じゅうじゅうと焼いてからアルミホイルにくるんで落ち着かせること十五分。
その間にサラダを作る。
缶詰のヒヨコ豆、半分に切ったチェリートマト、ラディッシュの薄切り、スライスした赤玉ねぎ、ミントの葉をボウルに混ぜ合わせる。まだ何かないかな、と冷蔵庫をごそごそと探したら、今週食べたそら豆の残りがある。これも、入れちゃおう。
ドレッシングは、プレーンヨーグルト、オリーブオイル、レモン汁全て同量、そこに中近東のスパイス、スマックをぱらぱらとふりかける。スマック(Sumac)は中近東のスパイスだ。スマックの実が赤く熟したときの外側の肉だけを乾燥させ、挽いて粉にするらしい。真紅のパウダーは、レモンのようなきりりとした味がして、わたしはよく肉料理やサラダに使うことが多い。塩コショウしてから、キュウリの角切りをそのヨーグルトドレッシングに加える。そして、出来上がったサラダのの上にグリルドチキンの一切れを置き、その上からドレッシングをたらした。
わたしは亡くなった父に似て、豆類が好きだ。特に、そら豆を食べると父を思い出す。母が茹でたそら豆が父の晩酌に添えられると、あっという間になくなった。それほど好きだった。こちらでは今がそら豆のシーズン、長いさやにはいったそら豆が八百屋で買える。しかし悲しいことに、このデカイさやにはそら豆がいくつも入っていない。スーパーのビニール袋いっぱいに買っても、さやをとって茹でるころにはその量は片手の手のひらに乗るくらいまで減っている。
わたしはもちろんヒヨコ豆も大好きだが、父は残念ながらこれを一度も食べたことがなかった。「今度買ってきてあげるからね」と言っておきながら、忘れっぽい娘はいつも父に「買ってきた?」と聞かれてから思い出した。
わたしの料理は本当にイイカゲンなので、友達がいつか来たときにも「アンタの作り方は、ずいぶんテキトーなのねえ」と感心されたくらいだ。そのひとは、しょうがねーなー、と思ったのだろう、夕食に招待したときにわざわざ早めにやってきた。わたしが「えーと、まあレモン汁はこれくらいね」と見せたところを、「じゃあ、まあ、大さじ2はい、としておくか」と書いていたのだ。(ここで、苦笑してください)
もちろん、雑誌や本のレシピを見ながらつくるときもあるが、あまり正確に計ったためしがない。だから、わたしが料理をつくるところを見た彼女は、「アンタってずいぶん、いろんなところに指つっこんで舐めるのねえ」とまた感心した。自分に美味しいと思えるものをつくるのが基本なので、舌で調節しちゃうわけだ。(ここでもまた、セイダイに苦笑してください)
もちろんお菓子やらパンを焼くときには粉やべーキングパウダーを正確に計るが、そのほかにヒトサマに堂々と公開できるような「正確なレシピ」と呼べるようなものはない。写真を撮るのは、このところそれに凝っているからでもあるが、証拠写真を残しておいて後で「ああ、こんなものも作ったっけな」と記憶を再生させるためだ。
昔クックパッドというサイトでレシピの保存を始めたこともあったが、4つくらいでオテアゲになった。わたしの「目分量」「舌分量」を正確に大さじだのカップ一杯だのに置き換える作業がめんどくさくなったし、実際そんなヒマもなくなった。
まだサイトだけは残っているので、興味のあるひとはこちらからどうぞ。あのころは写真も非常にヘタクソだった。
誰かが「レシピブックを書きませんか」なーんて言ってくれたら、またこのブログに残っている料理を全部一度やり直して正確に計ることもできるが、今のところまだそんな酔狂なひとはいない。当たり前だけど。
作り方と材料だけは一応手順どおり書いてあるので、もし作ってみたいというひとはこのとおりにすれば何とかできあがる。と思う。いや、思いたい。気が向いたら分量も記すかもしれないが、次から同じものを作るときには分量が微妙に違っているような気がする。こういう私的な事情をさらすのは実は非常にハズカシイのだが、まあ何度も苦笑してアタマふってくだされば幸いです。ごめんなさい。
かのん51さんがグレンのトマトチャツネを誉めてくださったので、10月21日のエントリにそのレシピだけは付け足した。グレンのレシピは、もちろん彼が送ってくれた正確な分量がある。
グレンは「友達の友達」だから、たまにパブで合流するくらいの仲だ。
だから、「チャツネを作ったんだけど食べる?」と聞かれたときには、ものすごーくたくさん作っちゃったから誰でもいいからもらってくれない、というニュアンスがあった。
次に会ったのは、友達のうちのBBQパーティだった。
約束を忘れていなかったグレンは「はい、これ」と言って、たぶんジャムの壜だったらしい容器にはいったドロドロの赤いものをくれた。ラベルには、とても几帳面な字で「グレンのトマトチャツネ」と書かれ、作った日付も記されていた。もちろん、わたしだけがそのプレゼントをもらったわけではなく、グレンは何人かほかの友達にも同じような容器を渡した。
冷蔵庫にいれてしばらく忘れていたのだが、ある時ふとローストチキンの残り物に添えてみた。そして、ビックリした。とんでもなく美味しいじゃないか。
ぴりぴりと舌を刺す唐辛子の味に隠れて、何か他のスパイスもハーブもはいっているらしい。野菜のスティックにも添えてみたし、冷たいパスタサラダに混ぜたこともある。チャツネは自分でも作ったことがあるが、どうもその「スパイスは効いているけれど、ちょっと甘ったるい」というのがシックリ来なかったのだ。
その次に会ったのは、やはりまた土曜日のパブだった。ビールを片手に談笑している彼を見つけ、土曜日の混雑をかきわけながら彼目指して突進した。
「グレンっ。あのチャツネのレシピ、教えてっ」
わたしの目の真剣さに押されたのか、タジタジとなったグレンはそれでも口元を何とかホホエミの方向に動かした。
そんなわけで、わたしはメイルで彼からそのレシピを奪い取り、こうして自分でも作っているのだ。
今日は、解凍したリブのステーキを重い鉄製のフライパンで焼いて、ブロッコリーニを添えた。ブロッコリーニと言うのは、オーストラリアでも比較的新しい野菜だが、一応ブロッコリーの仲間だ。太いブロッコリーの茎とは違い、こちらのほうは茎が細いので全部食べられる。つまり茎を切って捨てなくてもいいのだ。
焼きあがったステーキにこの甘くないチャツネを添えたら、もう他のソースなんかいらない。
★グレンのトマトチャツネ★
粒マスタード(スパイスとして売っている粒のこと)小さじ4
粒クーミン(同じくスパイスの粒のもの)小さじ8
リンゴ酢 125ml
サラダ油 125ml
クローブ(粒ではなくパウダーのもの) ひとつまみ
ターメリック(パウダー) 小さじ2
しょうが(細かく刻んだもの、またはすりおろし) 小さじ8
にんにく 10片
生唐辛子(小さくて赤いもの、こちらではbird-eye chilliと呼ばれている)10個
トマト(湯むきして4等分したもの) 2kg
パルムシュガー(椰子からつくられた砂糖だが、なければ普通の砂糖) 75g
ナンプラーソース(ニュクマムとも呼ばれるフィッシュソース) 60ml
1.なべにリンゴ酢とマスタードをいれ、弱火で十分ほど煮る。冷ましておく。
2.フライパンで粒クーミンを弱火で香りが出るまで乾煎りする。冷ます。フードプロセッサーまたはすり鉢で挽く。
3.サラダ油(計量外)を底の厚い鍋に熱し、挽いたクーミン、ターメリック、マスタードを香りが出るまで炒める。冷ます。
4.①②にしょうが、にんにく、生唐辛子を加え、フードプロセッサーでなめらかにする。③にサラダ油とともに加える。
5.鍋にトマトを加え、弱火で時々かきまぜながら、トマトがくずれてなめらかになるまで1時間ほど煮る。
6.砂糖とフィッシュソースを加え、30分ほど煮る。
7.熱湯消毒した容器にひとさじずつ入れ、最後にオリーブオイルを表面に3mmくらいの厚みにたらす。(これは、油のふたをして雑菌がはいるのを防ぐため) 最後に容器のふたをする。
8.冷めたら冷蔵庫にいれておけば、ふたを開けないかぎり2-3ヶ月以上はもつ。ふたを開けたら、1ヶ月以内に食べきるようにする。食べるときには、冷蔵庫の冷気で固まった油をこそげとること。


