2005年5月アーカイブ
毎日車を運転していても、ハンドルを切ってギアをDかRかPに入れたりする以外のことに無知なのは昔から変わらない。
車を本格的に「自分で」運転し始めたのは、運転できなきゃどこにも行けないパースに来てからだし、マニュアル車の運転なんて大昔に東京で運転免許を取ったときの教習だけだ。だからわたしはオートマチック車しか乗れないし、ギアのところについているボタンやら何だかわからないシフトなど、触ったこともないものが車の中に多い。
初めてセルフサービスのガソリンスタンドに行った時には、途方に暮れて「あのう、どうやってガソリンいれるんでしょ」と小さなスタンドの係員に質問し、彼がわたしの言ったことを完全に理解するまで数秒待たなければならなかった。
運転は下手ではないし、まだ一度もかすったりぶつけたこともない。駐車だって、アタマからつっこむのやオシリからそろそろと後退するのはなんとか出来るが、あの縦列駐車というやつはカラキシ駄目である。
一度、繁華街を歩いていた時に、中年のご婦人が「すみません、助けてください。お願いお願いっ」と道端で若い男性に頼んでいるのを見かけたことがある。車を道に沿って縦に駐車しようとして、身動き取れなくなってしまったのだ。左のドアは前方の車のオシリから2cmと離れていない。斜めになって止まった彼女の車は、完全に後方の交通を遮断してしまっている。若い男性は気軽に鍵を受け取って、何の問題もなくすんなりと車を動かした。見事だ。それを見ていてほっとしたと同時に、こんなオソロシイことは絶対試さないぞ、と固くココロに誓ったのだった。
そして、今朝。
車を出そうとしたら、エンジンがかからない。何度鍵を回してもウンともスンとも言わない。バッテリが上がってしまったわけではなさそうなのに、何故だ…。学校に遅れそうだったので、あせって契約してある路上サービスに電話をしようとしていたら、隣のオジサンが芝刈り機の世話をしながらひょいとこちらを見た。こないだ、電動ノコギリでハイビスカスの繁みをばきばきと刈り込んでいたひとだ。
「すみませんっ、エンジンがかからないんですー。バッテリは上がってないようなんですけど。わかりますか?」
「どれどれ」
わたしのガレージまでやってきて車に乗り込んだ彼は、5秒も立たないうちにエンジンをスタートさせた。
「あのねえ、車はドライブのDにギアを入れておいたらエンジンかかんないんだよ」
へー、知らなかった。
お礼を言って出発したが、いつも静かな生活を送っているオジサンとそのオクサンに、「隣人についての愉しい話題」を提供してしまったのだ、とあとで気がついた。
土曜日の夕方、やりだすと止まらない雑草むしりに精を出していて、ふと気がついたらすでに4時半。ぎえ、店が全部閉まるまであと30分。小さなシャベルを放り出して、泥のついたジーンズときったない手のまま車に飛び乗る。
この時間のスーパーは大変混んでいるが、もっとも人が群がっているのは精肉売場だ。サインペンを持った店員が、肉のパックに次々とシールを貼って半額の値段を書き込んでいる。巨大なカートに食料品を満載したひとびとが輪を作っちゃっているので、背も幅も買物の量も完全に負けているわたしには、とてもはいる余地がない(というより、売場の棚が見えない)。
「犬猫用生肉の棚」からウロウロと隙間を見つけようとしていると、わたしの横から手が伸びてひとつの小さいパックがその棚に戻された。ペット用ではない、仔牛のすね肉だ。買うのをやめたが、めんどくさいので取り合えず冷蔵の棚ならどこでもいいや、と戻していったらしい。
大きな脛骨が真ん中で存在を主張している。決めた。オッソ・ブッコだ。
たまねぎ、にんじん、にんにくをブツ切りにしてからバターで炒め、柔らかくなったら赤ワイン、ビーフコンソメ、缶トマト、レモンの皮を入れて煮立たせる。火を止めて、ベイリーフ、タイム、オレガノをぱっぱっと加えておく。
肉は、フライパンで両面ともきれいに焦げ目をつける。普通のイタリア料理は、ほとんどオリーブオイルを使うが、このオッソ・ブッコだけはバターだ。もちろん、肉もバターで焼く。
オーブンは180度、肉の上からたっぷりソースをかけて1時間ほどコトコトと煮込む。
実はここからが自己流なのだが、わたしは肉を取り出したソースを煮つめて半分の量にしてもそのままでは使わない。ミキサーでクリーム状にしてしまうのだ。ごろごろと野菜がそのまま残っている素朴なソースも好きだが、ミキサーで回すと意外なほど口当たりのいいソースになるからだ。
肉を焼いている間に、今度はポレンタだ。英語ではコーンミールとも言うが、これを沸騰した同量の湯にバターを落としてから、さらさらと入れてかき回しているとクリーム状になる。塩コショウして、おしまい。
おお、忘れていた。
グラモラータのないオッソ・ブッコなんて、わさびの入っていない握り寿司のようなものである。何のことはない、パセリ・ニンニク・レモンの皮のみじん切りミックスだ。しかし、これをぱらぱらとかけると、こってりしたイタリアン煮込みがぴりっと輝く。
かなり時間のかかる料理だが、実際に調理している時間はそれほどでもない。
でかい脛骨のど真ん中でふるふると震えている骨髄は栄養たっぷり(カロリーもたっぷり)で、これをずずっとすくって食べたらもうやみつきになる。ミキサーでクリーミィになったソースは複雑な深みを増して、柔らかい仔牛肉にからみつく。
こういう料理を、わたしのように普段15分以内で作ってしまう「ファスト・フード」に対して「スロウ・フード」と呼ぶ。もちろんローファットだの健康だのとは無縁だが、素朴でこってりとした素朴なイタリアン煮込みは週末にとてもよく似合う。
「スターウォーズ・シスの復讐」を観てきた。
平日だと言うのに、いや混んでいること。もっとも、パースあたりの「映画館が混んでいる」という表現は、自分の「好みの場所に座れなくて、端のほう、またはものすごーくスクリーンに近いところにしか席がとれなかった」という意味であって、日本のように立ち見が出るわけではない。
さっそく「サイズ小」(タイの映画館では「サイズ大」に当たる大きさ)のポップコーンと、喉につまらせた際にうるおすためのミネラウォーターを買って、前から8番目のよい席を陣取る。
ジョージ・ルーカスは、この連作サーガの最初のほう(いや、正確には後のほうか。ややこしいが、わたしの指しているのは70年代後半のイチバン古いスターウォーズ4から6のことだ)でとんでもない額の収入を得た監督で、そのずば抜けたアイデアとCGを駆使したスクリーンで映画史上(=市場)に名を残したひとでもある。スターウォーズ4のあの戦闘場面は、当時豆粒ほどの会社だったインダストリアル・ライト・アンド・マジック(ILM)の駐車場で撮らざるをえなかった。つまり、おおがかりなセット場所を借りる余裕がなかったからである。
その上、続編を作る予算に自分の監督手当てを全部当てちゃったため、「それじゃあ、フランチャイズにして、いろんなものをスターウォーズの名のもとに売っちゃおう。そんで、もうけちゃおうっと」などと考えて、またもやとんでもない額の収入を得た金儲けの天才でもある。
しかし、いくらヒラメキとアイデアと金儲けがじょうずでも、残念ながら彼には登場人物に感情移入できる才がない。ひとの愛と苦悩が全く観客に伝わってこないのだ。陳腐な台詞には毎回天を見上げる思いをするし、ユーモアの無さにも辟易する。
確かレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーだったと思うが、ジョージ・ルーカスの演技指導を「とてもやりにくかった」と評している。「うん、とてもいいよ」か、「もうちょっと感情を出して」しか、コメントしてくれなかったと言うのだ。こりゃ、あんまりだ。
しかし、前回から登場した主役のひとりであるヘイデン・クリステンセンのデクノボー演技を見ていると、やはりルーカスの演技指導が変わっていないことがよくわかる。眉をひそめて下からじいいいっと見つめれば苦悩が表現できるというなら、わたしだってハムレットができちまう。
下から見つめるだけで人の心を捉えたのは、古くはローレン・バコール、比較的新しいところではプリンセス・ダイアナくらいのものだ。ヘイデン・クリステンセンには彼女たちにそなわっていたカリスマ性がないから、そんなポーズをとっても何も伝わってこない。
もっとも、CG使いすぎのために、ほとんどの演技がブルースクリーンの前で行われたらしいから、キャストたちは映画が公開されるまではほとんど何が自分たちの後ろに現れるのかわからない。こんな状況で陳腐な台詞満載の台本を渡されたら、たとえわたしの大好きなユアン・マクレガーやサムエル・L・ジャクソンがいくらがんばってみたところで、大して効果がないのは明らかだ。
CGはもちろん70年代後半のものよりはるかに技術が進んでいるが、最近の映画自体がほとんどCGを使っているので、感動するべきところもあまりない。オープニングの戦闘場面は確かによかったが、共和国(のちの帝国)のクローンたちはあいかわらず「あらぬ方向」を撃ち続けて絶対にまっすぐに主人公たちを狙わないし、オビワンとアナキンの一騎打ちはいいかげん長すぎて、飽きた。
実は、その戦いのあたりからもう席を立ちたくなったのだが、突然画面から何かが伝わってきた。ダース・ベイダーの誕生する場面とパドメが双子の兄妹を出産するくだりだ。「悪」と「新しい命」の誕生が交差し、台詞のほとんどない情景の中、パドメは命を落とす。同じころ、帝国の手術室で生命維持装置である輝くヘルメットを顔にかぶせられたアナキンは、ダース・ベイダーとしてお馴染みの姿で立ち上がる。
遥か彼方の宇宙で繰り広げられる壮大なドラマは、こうして25年前の作品へと余韻を残していたのだった。
だがね…この宝石のようなシーンは、これでもかこれでもかと見せ付けられたCG戦闘シーンに比べたら、わずか10分くらいのものなのだ。
これを観るためにわたしは120分もトイレを我慢していたのかと思ったら、なんだか悲しくなった。
家の横にも小さく細長い庭、というより2mほどの幅の通り道がある。ここは家の側面なので4-5mほどあり、引っ越してきてからすぐに植えた様々なハーブのおかげですっかり「ハーブジャングル」と化してしまった。最初から庭師を頼んで植えたので、それなりに庭石とハーブで洒落たつくりにはなっていたのだが、半年以上たてばもう嬉しいのを通り越して、「どうしよう、こんなにたくさんのハーブ」とため息のひとつも出てしまう。もう庭石なんぞ、半分以上隠れてしまっているのだ。
そんなわけで、今日の晩ごはんは盛大にハーブを使った「スナッパーのハーブオイル・オーブン焼き」だ。スナッパーは鯛の一種だが、身が厚くてボリュームがあるわりには淡白で味がつけやすい。
まず、ジャガイモをスライスして、オリーブオイルに塩コショウで味をつけオーブンに放り込む。その十分ほどの間に、バジリコ、オレガノ、イタリアンパセリ、ニンニクをきざみ、塩コショウして、オリーブオイルとまぜておく。
オーブンからトレイを出し、ジャガイモの上から順番にレモンスライス、スナッパー、そして最後にハーブオイルをたっぷりかける。チェリートマトをぱらぱらと散らして、あとは12-3分ほど待つだけ。トマトがはじけてきたら、出来上がりの証拠だ。
火を通したレモンはジューシーになっているので、たっぷりとスナッパーにしみ込ませ、ハーブの香りと味を楽しみながら熱いところをほおばる、ほおばる。
朝、家を出て3kmほど行ったところで、雨も降っていないのに道路に水がたまっている。迂回路から出てきた車が続々とわたしの通勤路に入ってきているようで、いつもは空いている道をのろのろと進むしかない。暴風雨と竜巻の次は一体何なんだ、とラジオのニュースに耳をかたむけたら、早朝五時ごろなんと近くの下水管が破裂したらしい。
下水の匂いとあふれる汚水で、ひどい所では10cmほど浸水したというのだからたまらない。たとえ水がひいても、床にたまったゴミと汚臭は落とすのにかなり時間がかかるだろう。
パースでは、老朽化した下水設備が問題化している。今回壊れた下水管も1913年に作られたものだから、大変なアンティックだ。二週間ばかり前にも、やはりわたしの家の近くの高速道路に破裂した下水管の水があふれ出て、一時交通が遮断されたばかりである。
学校で同僚たちとその話が出て、「わたしの家は結構近いんだけれど、大丈夫かなあ」とこぼしたら、「あなたんとこは、絶対大丈夫よ。だって、バースウッドの森の裏でしょ?あそこは五十年くらい前まではまだウッソウとした森だったから、ぽつんぽつんとしか家がなかったはず。てことは、まず下水なんか通っていなかったんだから。あそこらへんは、確か戦後よ、下水が通ったのは」だとさ。
毎日雨の日が続いていたが、この週末はとてもいい天気だ。夕方ににわか雨が来るが、その後は青い空が広がる。
昨日のうちににっくき雑草を取り除いておいたので、ドライブウェイ(車庫から公道に出るまでの私道)がすっきり。ここに何か植えようと思ってガーデンセンターに行ったら、またいつものように買うつもりのないものまで買ってしまった。
1mほどの木だが、鈴蘭のような愛らしく淡いピンクの小さい花がたくさんかたまって咲いている。アイリッシュ・ストロベリー(Irish Strauberry)という名だ。花が咲き終わるころには、大きな赤い実をつけると言う。しかし、普通はまっすぐに伸びるべきなのに、なぜかびよ~んと斜めに伸びてしまったこの小さな木はすみっこのほうに押しやられ、なんと日本円にして約250円などというとんでもない安値がプラスティックの鉢に書きなぐられていた。
愛らしい花に心が動くが、失敗した盆栽のごとき角度はイカンともし難い、と考え込んでいたら、センター内を散策していたらしい白髪のオジイサンが横に立った。植木センターは庭いじりの好きなひとが集まるので、横に誰かいれば自然と一言二言交わすことが多い。
「ほとんど角度45度くらいですねえ」感心しているらしい。
「ほんとうですよね、いくら可愛い花でも安くてもこれじゃあねえ」
「いやいや、こんなのもイトオシんで育ててやれば、まっすぐにいくもんですよ」
「えっ?」
「いや冗談です。鉢から出して反対45度斜めに植えてやりゃあいいんですよ。まっすぐになるでしょ」なるほど。
そんなわけで、買ってしまった。
さっそくうちに帰ってから豪州植物図鑑で調べてみたら、この木は成長すると3mから5mほどになるらしい。結局、わさわさと大きくなりだしたオリーブの木の隣に植えたが、いったいわたしの「ゆきちゃんのヒタイほどの庭」はこれからどうなるのだろう。
今晩は、また大雨だ。月曜日ほどひどくはないが、夕方の道路は水があふれ気をつけてゆっくりと運転していかないと、歩道を歩くひとびとにざんぶと水をかけそうになる。
実は、月曜日の暴風雨は何百万ドルにものぼる被害を及ぼしたのだ。
例によって、朝はバタバタと忙しいわたしはニュースも見ずに車で家を後にした。月曜日は、十一年生の口答試験の日だ。八時半からひとりひとり24人分の日本語インタビューを、わたしと同僚が一組となってテストすることになっていたのだ。
さて、外に出てみるとなんだか道がいつもより混んでいる。しばらく行くと、信号にライトがついていない。停電か、故障か。十字路をやっとのことで通り抜けると、今度はもっと道が混んできた。高速道路とスワン川の上を走る橋が完全に封鎖されている。わたしの学校はこの先にあるので、どうしても渡らなければならない。誘導された左端の道路から抜けて何キロもの遠回りをし、やっと橋から2キロほどの地点でまた同じ道に合流した。
そして、驚いた。
道路わきに植えられた街路樹が、枝をもがれて倒れている。もぎとられた枝が道をふさいでいる。ビデオ屋の屋根がはがれかけている。大きなゴミ箱が横に投げたおされている。まるで台風が通過したような光景だ。付近一帯が完全に停電しているようで、交通信号はどれも光を失い警官が誘導している。
いつもは聞き流しているラジオの交通情報に初めて耳をかたむけた。
何と、わたしの通う高校からほんの1キロほどしか離れていないビクトン小学校は、完全に破壊されてしまったらしい。暴風雨の中、朝六時ごろ小さな竜巻が近辺を荒らしたのだった。
竜巻は、通り道にあるものを破壊するが、圏外のものはそのまま無傷のことが多い。あとから聞いた話では、破壊された小学校の2ブロック先に住んでいた教師の家では、停電だけで被害がなかったと言う。
渋滞と迂回のために、試験があるからといつもより十分ほど早くうちを出たわたしは、いつもより三十分遅く学校に着いた。木々や背の高い繁み、そしてかなり古い建物を持つ学校に、直接竜巻が通らなかったのは幸運だったが、たくさんの生徒が遅刻、そして試験に遅れた上級生もいる。
しかし、あと30秒で試験がスタートという時、うろうろしながら腕時計とニラメッコをしていた同僚は「ああ、よかった」と胸をなでおろし、わたしが竜巻が被害を及ぼした地域で働いていることを知っている友達が二人、携帯に伝言を残していた。
まだわたしがとても小さかったころ、「奥様は魔女」というアメリカのコメディドラマがあった。もちろん吹き替えで、「奥様の名前はサマンサ…」で始まるそのドラマは、アメリカという国がまだ遠い彼方であったころのわたしに、若くしがないサラリーマンさえ立派な一戸建ての大きな家に住み、わたしの部屋より大きなキッチンを持てることを教えてくれた。
玄関のドアを開けるとすぐに居間があるという米国式の家も目新しかったが、ちょっと上を向いた鼻をもごもごと動かして魔法を使うサマンサはとてもチャーミングだった。
今晩、友達と三人で中華の焼鴨にかぶりついていたとき、その中のひとりが鴨からにじみでる油で唇をてらてらと光らせながら言った。
「ねえねえ、今度ニコール・キッドマンが "Bewitched"のサマンサ役をやるんで、鼻をもごもごさせる練習をしているんですって」
「へええええ、懐かしいドラマだ。僕が子供のころのテレビドラマだよね。まだ、白黒だったし」
"Bewitched"(魔法にかけられて)ってなんだろう、なんだか聞いたような話だな、と考えたときにちょうど思い出した。「奥様は魔女」だ。
「あ、知ってる知ってる、それ。奥様の名前はサマンサで、旦那様はダーリンって言うんだよね。わたしも小さいときに見たよ」
「ダーリン?」友達が二人とも、変な顔をしてわたしを見た。
「うん、ダーリンでしょ? サマンサがそう呼ぶのが可愛かったよね」
「それさあ、ダーリン(Darling)じゃなくって、ダーレン(Darren)でしょうが」
「はあ?」
そして、わたしはウン十年目にして初めて、そのサマンサの旦那様の名前がDarlingではなく、Darrenだと知ったのだった。
いくら小さいからと言って、Darlingが「あなたぁ」ってな愛をこめた呼びかけであることくらいわかっていたから、サマンサが甘い声で彼を「ダーリン」と日本語で呼ぶとき、コメディだからそんな名前の旦那様なんだ、と信じきっていた。そして、それはその当時「奥様は魔女」を見ていた日本の視聴者たちにとっても同じだったろう。
ああ、こんなところにもRとLの違いのない日本語の限界が横たわっていたのだった。
友達に説明すると、二人とも腹をかかえて笑い出した。
「でもさあ、ドラマの中でそのダーレンの会社の上司やその奥方や友達だって、彼のことをダーリンって呼んでいたわけでしょ。可笑しいと思わなかったの?」
そう言われりゃあ、変だよなあ。
まだ夏の暑いときに、10cmあるかないかの苗木を買った。固く小さなつぼみがいくつかついているだけで、その間にひとつだけ鮮やかな桃色の花が咲いていた。ハイビスカスのようにほうっておいたら2m以上になるよ、とお店のひとに言われてたじろいたが、どうしても欲しくて買ってしまったのだ。
そう言えば、となりの家のハイビスカスはもうウッソウとしていて、家の玄関の横に2mおきに三本並んでいるのだけれど、これがまたデカイ。2mおき、と言っても隙間があるわけではない。平屋の家の屋根にのっかりそうでもある。わたしがその苗木を買うちょっと前、住人のオジサンは電動ノコギリを取り出して派手に切りまくり、それを1/3ほどの丸裸にしてしまった。まだ花がきれいに咲いているのになあ、と思っていたら、もうグングン伸びて気がついたらまたもとのようにデカイ。
1年に一度はそうした余分な枝を切り払ってコンパクトにしておくと、花もたくさんつくし、茂み自体の形を整える意味もあるらしい。
わたしが買った苗木はアバティロン(Abutilons)、別名「中華提灯」と言う。
あまり世話をしてもいないのに、気がついたらすでに50cmほどになって葉も多くなり、つぼみが後から後から開きだした。直径7-8cmほどの大きな花は、なるほど提灯のように下を向いて頭をたれ、風が吹くたびにひらひらと揺れる。もう少し背が高くなってくれれば花が目の位置になるのだろうが、今のところはしゃがんで顔を近づけないと花のアタマの後ろしか見えないというのが少々サビシイ。
実はこの大きな花弁、食用にもされるらしい。
農薬を使っているわけでもないので、一度まだ咲いている花をひとひらとって食べてみたら、ほのかに甘い。サラダなどにいれて目を楽しませることもできそうで、いやいや楽しみがまた増えてしまった。
中華食品店に行くと、ほぐした蟹肉が冷凍されて売られている。ブルースイマー(Blue Swimmer)と呼ばれるワタリガニに似たものは大変美味しいのだが、いかんせん爪が細くてとても食べにくく、身をとりだすだけでも大変だ。だから、ほとんど同じくらいの値段で売られている冷凍の殻なし蟹肉を見たときには狂喜乱舞。冷凍庫にいれておいて、必要なときにガチンと包丁の柄でたたいて壊し解凍するだけだ。
今日はこれを使って、ムール貝と蟹のスパゲッティを作ることにした。少々蟹の殻のエキスが欲しいので、ムール貝と一緒に一匹だけはブルースイマーも買った。
大きな中華なべでニンニクと唐辛子のザク切りをオリーブオイルで炒め、香りが出てきたらムール貝と蟹の殻つきを入れてさらに強火で炒めると、かわいそうなムール貝が開きだす。蟹の殻を取り出して、そこに解凍した自家製トマトソースをさっと混ぜ合わせる。蟹肉をたっぷり入れて、ソースの出来上がり。
ゆでたてのスパゲッティと軽く混ぜ、庭からむしってきたバジルを刻んでふりかけた。
トマトソースはメインではないので、実際は色がほんのりつくくらい。
庭のある家に引っ越してからどうも色々と試すことが多くなり(一度はまると飽きるまで続くので)、そうなると写真を撮って見せびらかしたくなるのは人情というもの。だから、新しいカテゴリを作ってしまった。
夏の始まりに種から植えたダリアが、花を開いている。買った袋自体がミックスカラーだったため、どの色が出るかは神のみぞ知る、咲いてみたら白やら赤やらここ何週間かの目の保養になっている。普通ダリアは球根から育てるが、マイルドな気候のパースでは種からブンブンと伸びること、伸びること。
花が咲き終わったら、掘り起こして球根をとっておけるよ、と友だちは言う。小学校のときの水栽培でダリアなんかを育てたことがあるわたしは、この育て方の違いに感心してしまった。
オーストラリアの中学・高校には、日本と同じくホームルームの時間がある。
ホームルーム、フォームグループ、ケアグループなど、呼び方も学校によって違うし、時間も朝、昼、下校前など色々だ。統一されているのは、八年生から十二年生まで数人ずつ集められたクラスであること。これはひとりの生徒が学校に通う五年間全く変わることがない。先生も同じだ。そして、そのホームルームの十二年生が卒業すると、新入生の八年生がまた数人はいることになる。
わたしも、そうしたホームルームの担任として45番のクラスを受け持っている。各学年5-6人ずつ、全部で27人の生徒に毎朝15分間の点呼、校内連絡事項の読み上げ、集金、学校新聞の分配などをしているわけだ。
時々回ってくる職員メモに「要注意」と書かれている悪ガキも数人いるし、州の数学コンテストで毎年優勝するような頭脳明晰な子もいる。わたしが教えている日本語クラスの子供たちもいて、点呼を取るとよく「イエス」や「プレゼント」(英語で「出席しています」の意)の代わりに間違えて「はい」なんて日本語で答えてしまったりもする。
すでに2年近く毎日ツラつき合わせていれば、なんとなく親しくもなり、冗談やたわいのない相談も受けてきた。クリスマスともなれば、カードやキャンディや花が教壇に置かれる。わたしも、イースター休暇直前には卵型の小さなチョコレートを配って大喜びされた。
その中のひとりである10年生の少年が、秋休み明けから1週間遅れてようやく教室に戻ってきた。ドイツにいる少年の父が、交通事故で亡くなったのだ。彼は離婚していた母に連れられてドイツに戻り、しばらくそちらで暮らしていたのだった。
戻った彼は、いつものようにおしゃべりに高じてわたしから怒られることもない。黙って椅子に寄りかかり、ぼんやりと窓から外を見ているだけだ。そんな彼の様子は、ほかの子供たちもわかっていたに違いない。今週火曜日の朝、いつものようにホームルームが終わると、11年生の少女たちが駆け寄ってきた。
「センセイ、カードを買ってきたの。みんなで彼を元気づけてあげようと思って。だから、センセイもサインしてね」
見れば、可愛い白い猫たちが花を差し出している絵が描かれたカードだ。もちろん、とばかりにわたしもサインをして、言葉を添えた。そして、そのカードは彼をのぞく26人全員のサインでぎっしりと埋まった今朝、彼にそっと渡された。
カードを開いたっきり動作のとまってしまった彼の顔が、みるみるうちに赤く染まった。周りを見ると、ほかの子供たちもなんだか照れくさそうだ。冗談でかっとばそうという子もいない。11年生の少女が、「これはこのホームルームからのカードよ。はやく元気になってね」とやっと言うと、彼は蚊さえもっと大きい声を出すだろうにというくらい小さな声で「ありがとう」と答えた。
ちょうどよい頃合にベルが鳴り、皆席を立つと、さてもう何事もなかったようにガヤガヤと話しながら1時間目の教室に向かう。カードのせいで呆然としていた彼は、立つのが遅れて一番最後だ。まだ赤みの残る頬で、にやにやとわたしを横目で見ながら通り過ぎる。わたしもにやりと笑ってウィンクを送ってやったら、今度は白い歯を見せて彼も「ウィンクらしきもの」を返して寄こした。
いい笑顔だった。


