2004年11月アーカイブ

判で押したように毎朝同じ時間に同じ場所を通ると、やはり同じひとに会うことも多くなる。しかし、知り合いではないし、あちらは通行人でこちらは車の中だ。だから、わたしが彼らを知っているだけであって、彼らはわたしが見ていることさえ知らない。

通勤に使う道沿いには、古いカソリック系の女子校がある。幼稚園から高校三年生まで一貫して通えるが、学校自体はそれほど大きくない。この学校が二年前に日本語教師を探していたときに応募したことがあるが、カソリック信者でないことを理由に断られた。
そんな厳格な学校のものである、グレイの制服を着た少女とその父親を見かけるようになってから、もう数ヶ月になる。
中国系の丸い顔をしした小柄な少女は、いつもそっくりな顔をした中年男性と連れ立って横断歩道を渡るのだ。少女は制服姿だが、父親はスーツにネクタイをしめたビジネスマン風。しかし足元を見ると、サンダル履きだ。ということは、自宅にオフィスがあるか、それともまだ早い時間だから娘を送ってから出勤なのか。しかし、わたしの目を引いたのは彼のちぐはぐな格好ではなく、その羨ましいほどの仲のよさだった。いつも何かを熱心に話し、ほがらかに笑い、肩をつっつき、眼を見合わせて微笑む。雨の日は、相合傘で少女が父親の大きな蝙蝠傘に入り、手に赤い傘を握る。風が強い日には、スカートを押さえる少女の花柄の手提げを父が持つ。
彼らの姿を見かけると、寝不足で機嫌の悪い朝でも爽やかな気分になれるのだった。

下校時間にその道を通ることはあまりないが、それでも早い時間に帰ることがあるとたまにその少女に会う。同じ横断歩道を逆方向に渡るのだが、彼女の姿は朝とは全く違う。眉は寄せられ、目は進行方向をまっすぐに見つめ、口は一文字に引き締められている。背に重いバッグを背負った肩はこころもち上がり、足は速い。
横断歩道で止まった姿はたったひとりで世界に立ち向かっているようで、見ているほうが切なくなるほどだ。

この少女も成長するにしたがって反抗的な言葉を口にするようになり、父と一緒に歩くことを拒み、「ひとりで帰宅するときの顔」をすることが多くなるのだろうか、とふと思った。
少女の顔に、中学生になったばかりの幼いわたしの顔が重なる。

cuminprawn.jpg九週間しかない第四学期は、もうそろそろ本格的に忙しくなってきた。採点に成績表の準備で、自宅で机に向かうことも多い。日曜日の夜はそんなわけで料理をする気分になれそうもないので、ランチにクスクスを作ることにした。
クスクスを最後に食べたのはいつだろう、と思って自分の日記の過去ログを見たら去年の12月15日だった。暑くなると食べたくなるのか。

今回はちょいと趣向を変えて、海老をメインにしてみる。
紙袋にクーミンパウダー、塩、コショウ、小麦粉をいれ、そこに下ごしらえした生海老を加える。袋の口を握り、ばさばさと振って混ぜ合わせる。紙袋を使うのは、アメリカ人に教わったフライドチキンの作り方の応用。こうやって混ぜると、容器がいらないからマコトに便利なのだ。
それを、油を少々多めに入れたフライパンで焼く。

クスクスが出来上がってから、イタリアンパセリとレモンの皮をたっぷり加え、ケイパーのみじん切りを混ぜ合わせて塩コショウし、最後にざっくりと生食用ホウレンソウを混ぜる。これに海老をのっけて上からじゅうとレモンを絞った。

クーミンは海老にとてもよく似合う香辛料だ。本格的なカレーにもはいっているが、中近東料理にもよく使われる。こんな感じに焼くだけでも、シンプルながらとびきり美味しいのだ。

「秋刀魚が出ると按摩が引っ込む」という諺を、ひょいと思い出しました。栄養たっぷりの秋刀魚が食べられる秋には、病気のひとも体調がよくなることから、こう言われていたそうです。

もうここ何年も秋刀魚を食べたことがありませんが、魚の好きな家庭に育ったこともあり、実家に住んでいたときには秋になるとそれこそ飽きるほど秋刀魚が食卓にのぼりました。
脂ののった秋刀魚を焼くと気持ちのいいほどもうもうと煙が立ち昇ります。その独特の香りは、隣近所のどこが秋刀魚を焼いているのかすぐにわかってしまうほどでした。そしてツマの大根をおろすのは、いつも父かわたし。母はせっかちなので、眼にも止まらぬ速さで一気におろしてしまうのです。
「お前のすった大根は辛いよ。ゆっくりゆっくりすらなくちゃ美味くて甘い大根おろしは出来ないんだ」とよく父がこぼしていました。殊更ゆっくりと大根をおろす父の姿を、今でもはっきり覚えています。

焼き上がってきれいな焦げ目に縁取られた秋刀魚は、たっぷりの大根おろしを添えて一人一尾ずつでした。醤油をたらした大根おろしは脂っこい魚にとてもよく似合います。それをちょんと秋刀魚のひときれの上に置いて口に運ぶと、瑞々しい大根と醤油と焼き秋刀魚の味が一体となって、それはそれは美味しいものでした。

父はすでに亡くなり、妹は結婚して家を離れ、そのころ「秋刀魚の目が怖いんだよう」と言って魚の皮で頭を覆わないと食べられなかった弟は、もうすでに二児の父です。今でも秋刀魚の眼を避けながら食べているのかしら、と思ったら何だかニヤニヤ笑いが止まらなくなりました。

(初出:メルマガ「AVANCE!」 No. 139, 21/11/04)

vealchop.jpg暑いのなんの。今日は午後になって38℃を記録してしまった。
先週は雨が降ったため最高温度19℃なんて日があったのに、さすがパースの天気は変わりやすい。

こういうふうにいきなり暑くなると、もともと手抜きの夕食作りにさらに拍車がかかる。火を使いたくはないが、使うならなるべく短い時間で。

調理用石臼をどっこらしょと出し、ここに萎びる直前のタイムとバジルをぱらぱら、海の塩、粒コショウ、マスタードを加えてから、がんがんと叩きつぶす。そこにオリーブオイルをたらーりとたらすと、ステーキ用の軽いペーストができる。仔牛のコトレット(英語圏ではチョップだ)に塗りたくってから、グリルへ。肉を焼いている間に、フライパンにバターとオリーブオイルを溶かし、チェリートマトを炒めてからバジルをぱーらぱら。ベビーサラダのミックスを皿に敷いてステーキを置き、チェリートマトのソテーをかけてオシマイ。
調理時間約15分。

写真上はわたしの愛用モルター(小型石臼)とペストール(石棒)。かなり重いがサイズは行平鍋ほどもない。

squidsnowpea.jpg
こう暑いと「何にも食いたくねぇ」という気分になって、ひたすら西瓜ばかり食べている。冷やした西瓜は大好きなのだが、これだけで日曜日を終わらせては、せっかく昨日買ってきたイカを腐らせてしまう。
重い腰を、よいこらしょと上げた。

切り目を入れてからざくざくと切ったイカは、フライパンでショウガとチリの香りを出してから手早く炒める。これに粗塩と五香粉をぱらぱらとふりかけて、出来上がり。絹さやは塩茹でしただけだ。これにレモンを半分じゅうと絞る。
五香粉の香りがほんわりとただよって、やっぱりお腹がすいてきた。こういうシンプルな炒めものは酒のつまみにもいいのだが、今日は休肝日。明日のスピーキング試験で十一年生に「酒臭い」なんて言われたくないもんね。

yukiflat.jpg昨日から気温が上昇してきた。36℃まで上がると身体がだるくなる。明日も同じような天気らしいが、一日中11年生スピーキング試験の試験官をしなければならない。28人分とのこと、また声が嗄れそう。
窓やドアを閉めて、ブライドも朝からおろしてある。熱気が家にはいりこまないように、だ。レンガ作りの家は、密封しておけば中の気温はそれほど上がらない。それでもやはり暑いことに変わりはないのだが。(写真は、床でノビているゆきちゃん。そりゃあその毛皮じゃ暑いよねえ)

わたしの今の家にはセントラルクーラーシステムがついているのだが、修理をしてもらわなくてはならない部分がある。
サービスを頼んだのだが、来ると言った時刻には現れず、再三夕方までは誰もいないよと伝えてあるにもかかわらず、真昼間にやってきて「修理はまだ完了できませんので、電話ください」などと腹立たしいメモを残していく。
ウンザリしながらもまた電話をすると、予約は次の土曜日までイッパイです、と来る。じゃ土曜日の朝に必ず来てくださいね、と予約したのに、金曜日の午後わたしのいないときにまたやってきて、「修理は完了できません」とメモを残す。一度ならず二度とも同じことが起きると、アンタは一体どこに脳みそがはいってるんだ、と天を仰ぎたくもなる。いいかげんなサービスセンターだ。
そんなわけで、最初に頼んでから二週間、バカモンのせいで今だにエアコンが使えない。

ところがバカモンはエアコンサービスセンターだけではなく、庭の給水設備の設置に関しても同じことが起こった。
給水設備の用具店は、庭全ての給水プランを無料で引き受け、その代わり材料一切を売る。庭の設計図を預けてから、毎日「明日できあがる」という言葉を聞いてきた。必ずできあがると約束していながら、店にでかけると「あ、まだです。明日です」と来る。結局給水プランが出来上がったのは、最初に「明日」と言われた日から5日目だった。最初っから「5日後」と指定してくれたら、イライラすることもなかったのに。

お次は、給水設備の設置を頼んだ「便利屋」だ、オーストラリアには、家の修理やら芝刈やら、簡単な日曜大工的な仕事やらを引き受けるハンディマンという職業が存在する。家の近くのこうしたハンディマンに給水設備の設置を頼んだのだが、彼は約束した日には現れない。本気で取りかかれば2日で済む仕事なのだが、週末だけで完了する仕事にもうすでに二週間かけている。明日の朝来ます、と言いながら来るのは午後1時だ。そして5時にはもう片付けて忽然と消える。こんな仕事ぶりでは、何日もかかるのは当然だ。しかし、今さら他のひとを頼むのには遅すぎる。我慢に我慢を重ねて、やっと明日が最終日の「予定」だ。この「明日」というのも、今日来ると言いながら現れないので、わたしが電話をしたのだ。なんだらかんだらと理由をつけているが、庭で遊んでいるらしく子供の声さえ聞こえる。「明日来てもらえないと、明後日に庭師がはいるのをキャンセルしなきゃならないんですけど」と脅すと、「ぜったい来ますっ」とのこと。よーし、明日の朝イチバンで、もう一度確認のオドシ電話をかけよう。

最後に登場するのは「庭師」である。彼女はシンプルであまり手間のかからない庭の設計をしてくれたのだが、何しろ彼女との唯一の通信手段である携帯電話に出ない。だから、メッセージを残しておいて彼女が電話をかけ直してくれるのを待つわけだが、こないだなんぞ四日待たされた。それも毎日メッセージを入れ続けて、である。ちょっとした確認と質問に答えが返ってくるのが3-4日後、植物の注文から庭つくりまで頼んであるのに、こんなふうではいつ全て出来上がるのか心もとない。乾期の夏にはいる前に庭を完成させたいから、急いでいるのは彼女も承知のことである。

かかわったサービスの効率の悪さに時間が無駄に流れ、最初に「猫のヒタイほどの庭」の設計を頼んだときからすでに三ヶ月近く経過している。

引っ越してからというもの、こうしてエアコンや庭のためにかなり気力を使い果たしてしまった。
これがオーストラリアだとは思いたくないが、4つの異なったサービスを頼んでそれが全てとどこおっている。仮にも個人でショーバイをし、それで生活費を稼ぎ出しているにしては、彼らの仕事振りはあまりにもいいかげんだ。

しかし、わたしがこうして電話でイチイチ確認を取り、仕事をなるたけ早くスムースに終わらせてもらうべく気をつかっているのは、学校で生徒を相手にしているのと同じことじゃないか。何度もうるさいくらい確認をとらないと、子供たちはきれいサッパリ何でも忘れてくれるからだ。
まさか金を払って同じことをやらされるとは、思ってもみなかった。やれやれ。

door.jpgこの二十世紀初頭の建物は、現在ではポートレートで有名な写真スタジオとして使われている。卒業式の時期になると、いきなり忙しくなるたぐいのスタジオだ。よく車で通る道沿いにあるので、どうしてもこの二階にくっついているドアが眼にはいる。

元々アパートとして作られたビルだったのだろう。左右対称になっているから、たぶん上下合わせて4つのアパート。鉄の外階段から上がり、ドアの前のベランダから鍵を開けて入ることができたと思う。交通量が激しいそこがアパートとして使われなくなっても、まだドアだけは残っているというわけだ。中に階段を作ったから、外ドアを使わなくても二階に行けるのだろう。

それにしても、鍵だけはしっかりかかっていますように。

三週間ほど前にも書いたが、わたしは今「要塞」に住んでいる。
臆病モノで眠りが浅いがためであり、決してトイレが純金で出来ているわけでも、フェラーリが車庫に鎮座しているわけでも、腕が持ち上がらないほどデカイ宝石を両手指にギラギラさせているわけでもない。

ところが今朝その最新式の警報が鳴った。それも、朝の4時半だ。
正確に言うと「警報が鳴った」のではなく「ホンモノの警報が鳴る前の警告ブザーが鳴った」のだ。ピーッピーッと電子目覚まし時計のような音だが、それが段々と間隔を狭くしていき、しばらくしてとてもじゃないが「ゆっくりと何かを盗める状態ではないほどの大音量警報」が鳴ることになっている。警告ブザーは、住人のミスでいきなり警報が鳴り出すのを防ぐためなのだ。だからこのブザーが鳴っている数秒間は、警備会社にまだ連絡は行かない。

もちろん眠りの浅いわたしは、最初のピーッピーッ2音くらいでもうがばっと飛び起きた。そして手探りでアラームをオフにしてしまったのだ。
侵入者がいたとしたら、わたしの行動はマコトにアホウと言うほかはない。警備会社に連絡が行く前にアラームを切り、その上パジャマ姿で家中電気をつけまくったのだから。
しかし、誰もいないし誰かが入った形跡もない。家の中のセンサーが感知していないとすると、ガレージだ。おそるおそる玄関口を開けて、ガレージの方角を覗いてみると……ガレージのシャッターが閉まっていない。閉めるのを忘れたのだ。早朝の日光かあるいは小動物のたぐいが、開いているガレージのセンサーに引っかかったのだろう。

臆病モノと言いながらこういうヘマをするわたしは、おかげでひどい寝不足の一日を送ることになった。

fishtomato.jpg寝不足ついでに、夕方は庭工事の業者がはいったため、昼寝さえできなかった。お腹はすいたが、外食に出かける気力もない。

白身魚の切り身があったのを思い出して解凍し、隣に放り込んであったサフランライスのかたまりも解凍。日曜日に市場で買った香りのよいトマト(熟してから摘み取ったもの)は、ざく切りにする。フライパンで玉ねぎと唐辛子を焦がさないようにじっくりと炒め、トマトとレモンの皮を削り落としを加えてさっと炒める。そこにパセリを合わせてレモンをじゅうと絞り、ソースの出来上がり。グリルした魚の上にのせて、電子レンジで温めたサフランライスを添えた。

本当なら平たいイタリアンパセリを使いたいところだが、普通のパセリしかない。匂いが強く口当たりが固いのが、残念。
いつも自前で作っていたイタリアンパセリを、引越しのせいで全てあえなく枯らせてしまったのだ。便利なのでまた育てようと思ってはいるのだが、使わないときはすっかり忘れてしまっている。

unlesssafe.jpgここ何週間か、工事中の道にデカイ看板が立っている。
上の看板は「ただ今工事中だから道のレイアウトが変更されていますよ」という注意書きなのだが、問題はその下だ。
道路の真ん中に車線がないので、「安全でない場合は」追い越ししないように……って、あなた(絶句)。

「安全でない」ときにあえて追い越しするほど度胸があるひとは、そうそういない。

lackoflam.jpg昨日、ベトナムで契約仕事をしている友達が、二週間の休みでパースに帰ってきた。食事前の飲み物でもパブで、ということだったが、ついでに食事もしちゃえと思い全員招待する。総勢四人だ。このくらいの人数だったら、ローストに決まっている。

ローズマリ、ニンニク、タイム、オリーブオイルのマリネで昼間っから寝かせておいた子羊肉は、ラック・オブ・ラムと呼ばれるラムチョップを切らずにそのまま固まりで売っているものを使った。ラム肉は焼きすぎると固くなってしまって、美味しくない。しかし、今回はちょうどいい具合に、外パリパリ中バラ色に焼けて、肉汁もほどよくしっとりと柔らかい。一人分は骨三つから四つぐらいだが、こういう骨付きで焼いた肉は、ある程度ナイフとフォークで食べたら、あとはもう指を使って豪快にしゃぶりつくす。
付け合わせは、子羊肉と一緒に焼いた玉ねぎとジャガイモ、そしてゆでたカリフラワーだ。


「ここ三ヵ月間、ラムなんて食べたことなかったなあ」と笑う彼は、出張先であるベトナムの都市を決してホーチミンシティとは呼ばない。もう二十年もベトナムで土木関係の指導をしているというのに、彼にとってそこは今だに「サイゴン」らしい。
一度理由を聞いたことがあるのだが、彼は微笑んだだけで教えてはくれなかった。

うちで軽い食事をとったあとに、ハリウッド版 "Shall We Dance?"を見てきた。
日本で公開しているのかどうかわからないが、リチャード・ギアを主役にジェニファー・ロペスをダンス教師に配し、ギアの妻はなんとスーザン・サランドンだ。1996年のオリジナル版と比べたら、たぶん何倍もの資本がかかっているのではないだろうか。

ストーリーはオリジナルとほとんど同じなのだが、残念なことに二時間以内で切り上げることにしたこのハリウッド・リメイクには、微妙な伏線やら細やかな心の動きが欠けている。大幅にはしょられてしまった部分をオオモノたちの存在感で埋めようとしたのだろうが、リチャード・ギアはキザな微笑みが役柄を殺してしまっているし、ジェニファー・ロペスはセクシーすぎて草刈民代のようなストイックな高貴さがない。
何よりもわたしが腹立たしかったのは、役所公司の表現したあの爽やかでいじらしい恋心が、リメイク版ではいきなりギアとロペスのほとんどセックスしているようなダンス場面で台無しにされてしまったことだ。このくらい色をつけないと、アメリカじゃあ売れないってことか。
オマケに、周防監督のもとでは考えられなかったようなシーンまで加えられている。最後にロペスの送迎パーティに駆けつける前に、リチャード・ギアはブラックスーツに着替え、あろうことか赤い薔薇を一本もって妻サランドンの職場(デパート)に現れるのだ。「ほんとに踊りたいのは、君となんだ」きっざー。
思わずぶぶぶと吹きだして、口の中でもごもごやっていたポップコーンを前のひとのアタマの上に飛ばしてしまった。

vealblackbean.jpg映画に行く約束が七時だったので、六時半には家を出なければならない。
御飯は一人分ずつラップでくるんで冷凍してあるし、グリーンアスパラも牛肉もある。こういうときに登場するのが豆鼓醤だ。豆鼓(トウチ)は黒大豆を塩茹でしてから発酵させたものだが、この深みのある豆を唐辛子やらニンニクやらと一緒にペースト状にしたものが豆鼓醤で、普通乾燥してある豆鼓を刻んだりする手間が省けて炒めものをするときに非常に便利なのだ。
下味をつけておいた牛肉を強火で炒めて取り出し、刻んだニンニク、ショウガ、唐辛子、豆鼓醤を炒めてからアスパラを入れて合わせ、最後にまた牛肉をもどして軽く炒めるだけ。火を止める前に、たらりとオイスターソースをたらしてオシマイ。

通りすがりで入る中華料理屋の炒めものは、塩辛すぎたり味の素がたんまりはいっていることがよくある。こういう一膳飯を食べるくらいなら、10分かけて自分で作ったほうが次の日に身体がむくむこともない。

飲み食い友達が数人集まると、「中華料理屋に行こうよ」が多くなります。
中華料理というものは、二人より四人のほうが、そして四人より六人のほうが格段に密度が濃くなり様々な料理が楽しめるからです。

土曜日にパブで集まった仲間たちは、そんな中華料理好きの仲間たちばかりでしたが、皆顔見知りの中に「友達の友達」が参加していました。西オーストラリアの田舎で牧場を経営しているという彼は、わたしより頭ふたつほど大きく、見上げると日焼けした顔を皺くちゃにして笑うとても素朴なひとです。
牧場のある場所を教えてくれましたが、全く地域の見当がつかないわたしは、「電車でどうやっていくのですか」と変な質問をして大笑いをされてしまいました。彼の牧場は一番近いバス停のあるタウンからでも300km、遠出をするときの乗り物はヘリコプターだそうです。「田舎」という言葉で定義するにはあまりに広大な西オーストラリアでは、彼のように普段は全く外界と接触を絶って暮らしているひとたちも多いのです。

さて、七品もの中華が並ぶ円卓には、泥蟹(マッドクラブ)のチリソースも並んでいます。その爪のひとつを手にとった彼は、どうやって食べたらいいのかわからず、困ったように指先を見つめました。「こうやって爪を割るのよ」と殻割りのピンセットを使ってみせると、「ほう」といかにも感心したように食べ始めました。それからはもう口もきかずに食べることに集中しています。殻をすすり、ねっとりとしたチリソースをすくい、指をなめ、また蟹肉をせせり、見とれてしまうほど丁寧でゆっくりとした食べ方です。そして、ようやくフィンガーボールで手を洗うと、満足そうにわたしに言いました。
「今度パースに来たら、泥蟹を3ダースばかり買って帰るかな。これ、ポンプのある生簀に放しておいたら何ヶ月か大丈夫だよね」
いやはや、西オーストラリアの牧場主は、買い物でもスケールが違うようです。

(初出:メルマガ「AVANCE!」 No. 138, 08/11/04)

trinity.jpg久しぶりに友達がふたりちょいと寄ったので、晩ご飯食べていったら、ということになった。
一番簡単なのに落ち着くのはいつものことなので、週末用にちょうど買っておいた丸ごとチキンを使う。背骨のところを肉切りハサミでちょきちょきと切り開いて「大股開き」をつくる。
さて、今日ハーブ用すり鉢でがんがんとつぶすのは、オレガノ、ローズマリ、タイム、パプリカ、粒コショウだ。ここにレモン汁とオリーブオイルを加えて、マリネ液が出来上がり。鶏肉に塗りたくってしばらく置き、その間に白ワインを一本開けてちびちびとやりながら話しこむ。

三十分くらいしてから鶏肉を庭のバーベキューに置き、ふたをして一時間とちょっと蒸し焼きに。コールスロウ用キャベツとニンジンのサラダは、サワークリームとマヨネーズを合わせたドレッシングで合える。これには、隠し味で少々の砂糖を忘れずに。火を止めたグリルで鶏を落ち着かせている間に、湯をわかしてトウモロコシを茹でてオシマイ。足りなかったら、パンはたくさんあるしね。
全部出来上がったころには、腹ッペラシのわたしたちはもう眼がランランと輝いている。

本当は、フライドチキン/コールスロウ/トウモロコシの組み合わせが正統な「三位一体アメリカ流」なのだが、今回結局「ブッシュがやっぱり勝っちゃったねえ」という「アメリカの底のふかあい保守層」の勝利に影響されて、脂っこいチキンはやめてしまった。

「いらっしゃい、いらっしゃい、今日はこいつが安いよー」という、賑やかな呼び声が響く夕食前の商店街は、ああ日本に帰ってきたなあ、としみじみと感じてしまう風景のひとつです。

わたしの実家のある住宅街にも、そうした古い商店街があり、野球帽をかぶったオジサンが、少々突き出てきたお腹に屋号のはいった前掛けをつけて、買い物のひとびとに板についた呼び声をかけています。
「いやーオネエサン、美人だからマケちゃうよっ。ええい、400円のところ、一個オマケしちゃって350円だいっ」
実はこのオジサン、わたしが小学生だったときに、放課後の剣道クラブでアシスタントをしていた中学生なのです。当時剣道を習っていたのは男の子ばかり、女の子はわたしともう一人の子の二人だけでした。わたしたちは体育館のちょうど舞台の陰になるところですばやく着替えていましたが、ませた悪ガキたちがこっそりノゾキに来たりもします。そんな悪ガキたちを怒鳴って、竹刀で追い回したのも彼でした。

別に親しく話したわけでも、うちが近かったわけでもありません。ただ彼はわたしの顔を知っていました。
わたしが中学生になり、やがて大学に入ったときにも、八百屋の前を通ればちょっと会釈をしたり、時々は笑っているんだか怒っているんだかわからないような微笑を送ってよこしました。
今でも、里帰りのときに蜜柑を買うと、一個余計にはいっています。キュウリを一皿買うと、隣の皿から一本とって袋にそっと入れてくれます。キャベツを一個買うと、わたしが選んだのよりはるかに大きい玉を黙って渡してくれます。

彼の得意の呼び声「オネエサン美人だから…」をかけられたことは一度もありません。白髪頭の八百屋のオジサンとわたしは、ちょっと不思議な「幼なじみ」なのです。

(初出:メルマガ「AVANCE!」 No. 137, 24/10/04)

chickpeaveal.jpg日曜出勤したあとで、大学入学共通試験のスピーキングで十九人の個人試験をしたのが月曜日。今日になってもまだ疲れがとれず、学校で生アクビばかり出る。

なんだか料理もしたくない気分だったが、ヒヨコ豆が食べたくなってサッサとサラダを作る。豆の缶を使ったので簡単だ。それにキュウリを同じくらいの大きさに切ったものと庭からむしってきたミントの葉を加え、サワークリームとタヒニと呼ばれる中近東料理に使う練りゴマを混ぜたソースと合える。解凍しておいた仔牛肉は、ミントとローズマリにレモンの皮をごりごりとけずってまぶし、焼いただけ。

ヒヨコ豆は、乾燥ものを一晩水につけておいて次の日にゴトゴトと2時間ばかり漬け汁ごと煮たもののほうが、やはり美味しい。缶のものはどうしても「カンヅメ」くさくって、ねえ。
しかしそんな暇があったら、今度の日曜日あたりは昼寝しているような気もする。