2004年10月アーカイブ
明日大学入学共通試験のスピーキングで試験官をしてくれないか、と電話を受けた。担当の教師が身内の急病で、オーストラリアにいないらしい。
そんな急に言われてもー、と断れないところがつらい。なにせ、もうひとりの試験官はわたしの同僚なのだ。と言うことは、日曜日だというのに「出勤」である。明日は非常勤教師を頼むので、授業の準備のためだ。
休日の学校は静寂がハバをきかせていて、真昼間だというのにちょいと不気味でさえある。そんなオフィスにはいり、練習問題のコピーやらをしていたら、デスクに先週やった九年生のライティング答案が一枚。名前がWになっている。ひっくり返してみたら、やはり来週から田舎の学校のTAになるWさんだった。お礼の手紙だ。
「まだセンセイのように天職と言えるものは見つかっていないけれど、とりあえず英語の勉強をがんばるつもり」とある。本当にやりたいことがまだわからなくって、と書く彼は二十四歳だ。
「行けば何とかなるだろう」「行けば何かが見つかるかもしれない」と毎年大勢の日本人が外国へと飛ぶ。もうふた昔も前にわたしが渡仏したときも、大義名分はあれど気持ちは同じだった。
ひやりとすることにも遭遇し、またどきりとすることに自ら足をつっこんでしまったこともある。現在のわたしから見れば、バカなことをしたものだなあ、といまさらながら思い出して苦笑いしてしまうことも多い。
そして、実に様々なことを学んだ。
わたしの友達のアメリカ人は、ベトナム戦争を体験している。輸送機のパイロットだった彼は、隣に座る砲手を銃撃で失った。
「どうしてそんな恐ろしい所へ志願して行ったの」というわたしの素朴な疑問に、彼は笑ってこう答えた。
「若かったんだよ。何も怖くなかったんだ、本当に何も。あるのは高揚感だけだった。そして、帰国してから怖くて怖くて眠れなくなった」
Wさんも普通の若者だし、わたしとわたしより一世代上である友人も、皆普通の若者だった。未来の夢はあいまいだし、かと言ってたった今歩いている場所も、なんだか雲の中のようにたよりない。しかし、何でもできそうな気がする。そして次の瞬間には、何にもできそうもない気がする。
用意周到なんて言葉は、ロシア語より理解しがたい。
若いということは、切ないね。
Wさん、手紙をどうもありがとう。
田舎のTA生活で何かを見つけて帰ってきてください。
昨日は十二年生最後の授業、恒例の「ドレスアップ・デイ」だ。
皆、思い思いの仮装で登場、昼休みには仮装大会が開かれ、誰が大賞を取るかを競い合う。一時間目前の15分のホームルームクラス(八年生から十二年生まで4-5人ずつがグループになっていて、入学したときのホームルームと担当の先生は、自分が卒業するまで変わらない)に、ものすごいイデタチの十二年生がはいってくる。
わたしのホームルームクラスは、四人十二年生がいるのだが、ひとりはゴリラのぬいぐるみ、もうひとりはなんだかSMっぽい警官姿、セーラームーンの女の子、そしてビール缶のぬいぐるみだった。
TA(ティーチングアシスタント)のWさんにとっても金曜日が最後の日。彼は、来週から12月まで田舎の学校でTAをすることに決まっている。
朝、十二年生日本語クラスの生徒が持ってきた浴衣を着せられちゃった彼は、浴衣地のバッグまで持たされた。女物の浴衣にわたしがきれいに結んであげたピンクの帯では、もう仮装以外のナニモノでもない。(オマケに下はジーンズ、ばっちい運動靴まではいている)
学校の中を一日中それで過ごしていたが、さすが職員室での休憩時間は、なんだか居心地が悪そうだった。
来週からは大学入学資格試験が始まる。週末はたぶん机にかじりつくことになりそうな十二年生たちだが、嵐の前のドンチャン騒ぎでは限りなく明るい。
金曜日放課後に、カーティン大学で日本語を教えている友達を拾ってから帰宅。
さっそく飲んで食べて、彼女が帰ったときにはすでに日付が変わっていた。えんえんと八時間に及ぶおしゃべり。
そんなわけで、しゃべりすぎた翌朝は喉が痛く、オマケにちゃんぽんしちゃった酒のせいで頭もがんがん。昼過ぎまでふーらふらと家の中をただよってから、スーパーへと買出し。夜は簡単に、そして胃に優しいものが食べたくて、白身の魚と中国小松菜にした。薄く塩コショウした切り身に唐辛子と香草の茎、ショウガの細切りをのせてから、レモンと酒をふって電子レンジへ。小松菜はゆでてから、「高級」オイスターソースをかける。なんで高級かというと、これは普通のオイスターソースの値段の三倍ほどするのだ。中華料理のよく使うあの干し貝柱のエキスがたっぷりはいっている。しかし、かけてみればわかるが、味と風味がはるかにいい。これに炊きたて御飯で、今日はもちろん休肝日。
学校の帰り道にスーパーに寄り、明日の「日本語で調理」授業に使う材料を買っていたら、突然携帯が鳴った。警備会社からだ。
「ご住所はxxxのxxxですね。屋内のゾーン3でアラームが鳴り出しました」
「へっ、ド、ドロボーですか?」
「たぶん違うと思いますよ。どの窓やドアのアラームも鳴っていませんから。帰れますか? それとも警備員をお送りしましょうか?」
「ちょうど近くのスーパーにいますので、すぐ帰ります」
「了解」
引越し先の家は「要塞」なのだ。
何しろ、ダブルで警報装置がついている。全ての窓、ドアに取り付けられている第一のアラームは、どこが開けられても鳴る。第二のアラームは、屋内の動作センサーだ。ちょっとでも何かが動くと鳴る。そして、どちらのどのアラームが鳴っても、登録してあるどれかの電話にわたしが出るまで、執拗に警備会社が連絡をとる。誰も出なかったら、警備員を送る。窓・ドアの開閉アラームと屋内センサーのアラームのどちらも一度に鳴り出すと、もうこれだけで警備会社から警察に電話が行く。誰かがドアか窓を開けて、屋内で動いているというのに、アラームが解除されていないからだ。これはもう居住者ではない。
と、まあこんな具合だが、まだオマケがある。最新の警備処置がつけてあるので、だれかがアラームの線を切って電話線を切ってイザ準備万端、となると、電話線がカットされた時点で警備会社に自動連絡が行く。
「要塞」なら、オクビョウモノのわたしも安心してでかけられるし寝られると思ったら、オオマチガイだった。ゆきちゃんがいるのだ。
誰も屋内に侵入した形跡がなく、しかしゾーン3(リビング・ダイニングエリア」で誰がが動いたとなると…。
「ハエの大群とか、でかいクモがいないかどうか、よく調べてください。それとも、ペットは?」「います、猫が」「あああああああ、じゃあそれそれそれっ。それですっ。猫はですねえ、すぐにソファに飛び乗ったり、カウンタからジャンプしたり、もうキマリっ。では、さようなら」と、警備会社のオペレーターは電話を切った。
うちに帰ると、確かにアラームが鳴っている。屋外からの侵入ではないので、外のアラームは鳴っていなかったが、それでもものすごい音だ。
近所の皆さん、ゴメンナサイ。
しかしこのことはよく処置を考えないと、毎回アドレナリンを大量に失いそうだ。今回は、たまたま近くで買い物をしていたからよかったものの、学校にいるときのわたしはほとんど携帯をチェックしない。
ゆきちゃんがカウンタに飛び乗ったからと言って、学校のレセプションから授業中に呼び出されるのもヤダなあ。
写真は、ガレージ横についた警報機(もうひとつは家の中)。この青いランプがぐるぐる回ってアラームが鳴る。下の灯りはセンサーなので、夜ひとが通れば自動的につく。
明るい商店と洒落たバーやブティックの並ぶ道から近いので、このごろでは車を使わずに買い物を済ますことが多くなりました。スーパーの隣にはアイルランド系のパブもあり、夕方まだ日の落ちないうちに暗い隅っこでサイダーを一杯ひっかけるなどという、女性にあるまじきオコナイも密かな楽しみとなりつつあります。
ある日、このパブからその並びの肉屋に向かったところ、奥に日本語がちらりと見えました。肉屋の裏にはイタリア系の乾物屋と韓国人の八百屋があるのですが、そのさらに奥の小さな日本食堂には今まで気がつかなかったのです。テーブルと椅子がいくつか、7-8人はいればいっぱいになってしまうような小さな店です。どちらかというと注文して包んでもらう客のほうが多いようで、中で食事をするひとたちはあまりいません。
照り焼きチキンや海苔巻きなどの定番和食が書かれた黒板を見て、親子丼とついでにたこ焼きも注文すると、「5分から10分くらいかかります」とのこと。
「それじゃ、ちょっとそこの乾物屋で買い物してきますね」と声をかけて、隣の店に入りました。
ぶらぶらと品物を見て時間をつぶしていましたが、ふと顔を上げるとガラスをへだてた隣の店から、さきほど注文をとってくれた若い日本人女性が、手元のプラスティック袋を指差しては懸命に手をふっています。戻ってきたわたしを見た彼女は、「たこ焼きはあったかいほうが、ほんとに美味しいですから」とにっこりと微笑んで包みを渡してくれました。
出来たてのたこ焼きを手にとってみたら、海苔とソースの香りがそっと鼻をくすぐって、なんだか懐かしいような哀しいような不思議な気持ちになります。
「早く帰って食べますね」と彼女にお礼を言うと、わたしはほとんど駆け出さんばかりに家路を急ぎました。
(初出:メルマガ「AVANCE!」 No. 133, 16/08/04)
バンコクに「里帰り」すると、待ってましたとばかりにたまった仕事をどっさり渡してくれる秘書がいます。
実は会社を興したときからいる古株で、実際の肩書きは総務マネージャーなのですが、細かいところに手の届く配慮と「雑用の手配」の上手さでは右に出るものがいません。特にわたしとパートナーの世話となると、2人いる若い秘書には任せておけないとばかりに動き回り、残業は家に持って帰って仕上げてくるという有難い存在なのです。
今回の里帰りは、体調がすぐれないこともあって、仕事というより「療養休暇」となってしまいましたが、文句ひとつ言わず短期入院の手配をしてくれたのも彼女です。
そんなある日、午後からオフィスに戻ってみると、小さなマドレーヌがふたつ、西からの日差しを受けて薄桃色に輝くカーテンの前に置いてあります。
そして、とんとんと軽くノックの音をさせて、彼女がそっとオフィスに入ってきました。「子供にせがまれていたんで、久しぶりに作ってみたんですけど。」何を隠そう、「仕事の鬼」の趣味はお菓子作りなのです。
「マドレーヌは柔らかいし、レモンの代わりにライムを使ってみたんで、さっぱりして食べやすいかもしれません。」普段はあまり仕事以外の話はしない彼女ですが、お菓子の話をするときはとても優しい顔になります。
勧められるままにマドレーヌを手にとると、甘いバターとほんのりと爽やかなライムが香り、焼きたての暖かいぬくもりが手のひらに伝わります。
ひとくち齧ったわたしの顔を見て、にっこりとうなずいた彼女が引っ込むと、やがて隣のオフィスからいつものようにとてつもなく速いタイプの音が響いてきました。
昨日日曜日に家中掃除機かついで走り回ったというのに、学校から帰ってみると西日の光線にあたって白い毛がふわふわと床に浮かんでいる。ゆきちゃんの毛だ。
バンコクに戻る前から「抜け毛の時期」が始まっていたので、それからは毎日2回ブラッシングしていたのだが、それでも抜ける、抜ける。身体をなすりつけられると、黒いパンツにべっとりと白い毛がつく。床に敷いてある手織りのインド絨毯も、ワイン色のソファも「ケッコウ毛だらけ」だ。マメにコロコロと毛玉とりをころがしているが、そんなもんで防げるわけがない。もうすぐおさまるんだから、と自分に言い聞かせて、床をすべっていく毛だまを追いかけている。
さっぱりしたアジア風が食べたくなり、「イイダコ」を買ってきた。こちらではベイビー・オクトパスと呼ばれる、極々小さなタコだ。これをぶつ切りにしてショウガ、唐辛子、香草の茎を全てみじん切りにして合えてから、ナンプラソースをぶっかけ、レモンをぎゅうっと絞る。
味がなじむまで、季節の絹さやの下ごしらえ。こちらの絹さやはデカくて日本のものより固いが、こういう季節の味は簡単に塩コショウしてごま油でさっと炒めると、歯ごたえもパリパリと気持ちいい。
絹さやを炒めた同じフライパンで(野菜を炒めただけだったら、フライパンは洗わない)ごま油を追加してからタコを炒めて、出来上がり。
炊きたての御飯を添えて、今晩はもちろん休肝日。
そういえば、全く「垂涎の日々」をアップしていなかった。お休みしている間にも何本か書いていたので、少しずつ載せていく。
冬の寒い時期に風邪をこじらせてしまうのは、いつも長女のわたしだけでした。妹や弟が元気に飛び回っているというのに、わたしは学校を休み、鼻を真っ赤にしてふうふうと熱にうなされます。
そして、夜中になると必ず咳が止まらなくなりました。そのたびに、母はそっと台所に灯りをつけ、湯を沸かし、レモンをしぼった湯に蜂蜜をたらして、枕元に持ってきてくれます。レモンの爽やかな香りにも気づかないほど鼻がつまっていますが、その熱く甘い蜂蜜レモンを口にすると、苦しかった喉が柔らかくほぐれてくるのです。
のど飴をなめても直らない咳がぴたりと止まり、ようやくぐっすりと眠ることができるのは、いつもこの母の蜂蜜レモンのおかげでした。
このところ風邪を引いたり直ったりという日々が続き、体調がすぐれなかったのですが、日曜日に「これから蜂蜜を持っていってあげるからね」と友達がやってきました。わたしが電話で蜂蜜レモンの話をしたからですが、持ってきてくれたのは、タッパー入りのなにやらクリーム状のものです。精製された透明な飴色の蜂蜜ではなく、紅茶に牛乳をたらしたような濁った色をしています。スプーンを入れてみると、確かにすうっと通るほど柔らかくはなくねっとりとからみつきます。
「市場で売っていたものだから、手作りみたいよ」というその赤いユーカリの蜂蜜を、さっそくレモンを絞った湯にたらして一口すすってみたら、子供のときのように喉がほうっと潤ってきました。
26度ぐらいまで気温が上がると言うので、「洗濯だあああ」と思っていたら友達から電話がかかってきた。
「ものすごーくいい天気らしいから、ランチにおいでよ」
行く行く、といそいそと電話を切ったら、三十分もしないうちに今度は日本人の友達から電話。
「ものすごーくいい天気らしいから、ピクニックはどう?」
彼女の誕生日のお祝いを兼ねて、大学院の友達と皆でピクニックに行くと言う。
いきなりいい天気になったら、オサソイがふたつも重なってしまった。普段は「引く手アマタ」なんてことは絶対ないのだが。残念ながら、後者はまたの機会にということで、車で南下して友達の家に向かう。
もちろんバーベキューにサラダとジャガイモというオージーの定番だが、おいしいものはおいしい。話に花が咲いたが、ランチに呼ばれるのはそれなりにわけがある(つまり、夜は家族でゆっくりしたいということ)ので、夕方の早いうちに退散した。
昼にかなり食べたので、夜は軽いサラダに。
塩コショウした鶏胸肉のブツ切りを軽く炒めて取り出し、ポートワイン、ニンニク、クルミを同じフライパンで炒めネットリしてきたら、鶏肉を戻してソースをからめる。「アジアングリーン」と呼ばれるサラダミックスは、青梗菜の若芽もはいっていて実においしい。普段はこれにアジア風ドレッシングをかけるのだが、今日はシンプルにヴィネグレットドレッシング。シンプルなだけに、順番は守らなければならない。塩ひとつまみに白ワイン酢を加え、泡立てしゃもじでかきまぜる。そこにたらーりたらーりとヴァージンオリーブオイルをたらしながらかきまぜ続けると、とろりとした不透明なドレッシングになる。これが、元祖ヴィネグレット。
明日もまだ休みなんだから、と理由をこじつけてまたもや白ワインを開けてしまった。
怒涛のような一週間が終わった。
バンコクから戻った次の日に第四学期が始まってしまったので、いやはや疲れた。しかし、なーんだか終わったらいきなり気が大きくなって、白ワインでも開けるかってことに。
学校の帰りに寄った魚屋でタラのような魚を買い、ついでにこちらでは珍しい「えんがわ」付き帆立貝も入れてもらう。(こちらでは、あの赤い「えんがわ」なしのつるりとした生ホタテが多い。)そのあとスーパーで、もうほとんど季節が終わってしまったフェンネル(ウイキョウ)を名残り惜しげにさすっていたら、魚のさらっとしたスープ仕立てが食べたくなった。
フェンネルを四つに切って焦げ目をつけ、同じフライパンで玉ねぎ、ニンニク、唐辛子を炒める。そこにじゃじゃっとヴェルムート(食前酒に使う酒ですが、白ワインに香料が混ぜてあります)をかけて、サフランを少々とザク切りにしたトマト、そしてクールブイヨンと呼ばれる魚のコンソメを加える。フェンネルを戻してコトコトと煮ること10分、トマトソース、白身魚のブツ切り、ホタテを加えさらに5分。ウイキョウのお酒、Pernodをどぼどぼ。塩コショウして、出来上がり。
白ワインをぐいぐいと飲みながら作っていても出来上がってしまう、不思議なスープなのだ。要するに、簡単だと言うこと。
魚の匂いにつられて、猫のゆきちゃんは忙しい。
「猫舌」の彼女はそんなに近づくわけにはいかないが、匂いにはがまんできないらしい。キッチンのカウンタで鼻をうごめかしながら、切ない顔をしてわたしを見る。
もらってきたときにはクールだった彼女も、わたしがしょうことなしにちょっと味見をさせるのに気づいたため、料理を始めたらもうキッチンから動かない。
「だめぇ」と言いながらも、わたしはゆきちゃんには甘いんだよねえ。
新しいうちには、オーブンの下にグリルが備え付けてある。いつもは庭のバーベキューでじゅうじゅうとローストしてしまうのだが、鶏の足一本でわざわざ庭に出て蚊に刺されるのも嫌になり、今晩はこれを使ってみた。
ローズマリとバジリコに粒コショウを加えて、ハーブ用すり鉢でがんがんとつぶし、オリーブオイルをたらりとたらしてから、半分に切ったレモンをたっぷり絞ってやる。これで、マリネ液の出来上がり。鶏の足にからませておいてから、明日の授業の準備をする。
日が落ちて、ゆきちゃんが「お腹すいたよぅ」と一声あげると、わたしのお腹もくぅと鳴る。さっそくグリルをつけ、マリネしておいた鶏の足をぶちこみ、小さいジャガイモをふたつ水から茹でる。そろそろじゃがいもが柔らかくなるころに、手抜きついでのブロッコリもぶちこんでしまう。
グリルをのぞいてみると、鶏もちょうどよい具合。大きなフィールドマッシュルームに塩をぱらぱらとふって、その隣に並べ、待つこと五分。冷凍庫から出した茹でトウモロコシもレンジで温め直して、添えた。
このフィールドマッシュルームというやつは、写真でもわかるように、とてつもなくデカイ。しかし、何もつけずに塩焼きにしてレモンをたらすと、いやいやどうして結構おいしいのだ。
バンコクから着いたのが日曜日、そして月曜日の朝にはもう教壇に立っているという、まるでジェットセットのビジネスマンのような三日間だった。
おかげであまり疲れがとれていないのだが、それにもまして非常にわたしの寝つきを損ねているのは、引っ越したばかりのこのウチの「静けさ」だ。初めて「パースのど真ん中」から「少々はずれた場所」に引っ越したのだが、いやはや静か過ぎる。ベッドにはいる時間は、もう「しん」なんてものじゃない。まったくの無音、一体わたしの耳は大丈夫なのか、と思うくらいなのだ。だから、外で葉が「こそ」というだけで、眼が覚める。忍び足のゆきちゃんが寝室にはいってくるだけでも、気配でまた眼が覚める。
大体、夜7時を過ぎたらもうこんなぐあいである。車の音さえしない。たまに、近くの電車駅に着く電車の音がかすかにするだけだ。
どんな田舎に引っ越してしまったのか、と思うひともいるだろうが、ここは前に住んでいた「ど真ん中」から車で10分もかかからない。
写真は、バンコク行き飛行機から見たパースの街。
わたしの家は、写真右上、途中で切れてしまっているため「中ノ島」のように見えるスワン川対岸から、さらに2cmほど右に行ったあたりにある。
昨日のことだが、バンコクの日系デパートに行って、エスカレーターをふと見上げるとなぜかスカスカとしているような。二人並んで乗れるエスカレーターなのに、皆一段に一人ずつタテに並んで乗っているのだ。それも十人ほど。
東京のラッシュアワー駅のエスカレーターじゃあるまいし、急いでその脇を走り登っていかねばならないひとはまずいないだろう。しかし、日本人とおぼしき清潔な印象のひとびとは、エスカレーターの上で黙って一列に並んでアチラの方角を眺めている。
習慣とはげにオソロシキものである。
お知らせ: 「ある日、パースで」 第二話・ Fremantle (2) をアップしました。
昨日のCNN日本語版で、コンドームメーカー・デュレックスのアンケートの結果がでていた。
フランス人の1年間のセックス回数は平均137回だそうである。日本は41カ国中最下位の46回。回数じゃないよ内容だよ、と言うひともいるだろうが、「セックスの度にオルガズムを感じるか」では、またもや世界平均を下回り、日本は下から4位。
この記事を読んでいたら、数年前クリントンの不倫疑惑が大陪審まで行っちゃったときにに、あるひとが言った言葉を思い出した。
「あんなことフランスでやったら、閣僚がひとりもいなくなっちまうぜ。」
さすがだ。
お知らせ: 「ある日、パースで」 第二話・ Fremantle (1) をアップしました。
バンコクの知人たちは、居をパースに移してから確実に減った。いきなり音信が途絶えるというのではなく、元々転勤族とその家族が多いため、何年もたてば必ず母国に戻ってしまうからだ。それでも何人かバンコクに住みついてしまったひとたちもいて、たまに食事と酒を愉しんでの近況報告となる。
ところが今回、偶然にも2年前帰国したドイツ人の友人が休暇で戻ってきていると言う。それを教えてくれたのは、レストランを開いているスイス人だったが、「うちに来るより、なんだかパブに入り浸っているようだよ」と悔しそうだ。ここが高すぎるんだってば、と言ってやりたかったが、2週間の滞在で貴重なシリアイの機嫌をそこねることもない。
そこを出た帰り道にあるドイツパブなので、ものは試しと寄ってみたら本当にいた。
そして、ビックリした。
スーツ姿の「ハリソン・フォード」だった男が、いきなり屋台の安物シャツを着た「そこらへんのビールっ腹のオジサン」になっているではないか。向こうがわたしの姿をみとめて、信じられないとでも言うように満面の笑みを浮かべなかったら、もう一度ドアを開けて帰っちゃいたいくらいだった。テカテカと光る顔はまん丸だし、顎はたるんだ首にめりこんでいる。どうやらドイツに帰国して2年間、しばらく忘れていた食生活に戻って詰め込みすぎたようだ。と思ったら、デカイ腹の陰から金髪でがっしりした体格の女性が顔を出した。(注:彼女は座っていて、彼は立っていたのでこういう状況になった。)「妻のぺトラだ。新婚旅行なんだよ。」
バンコクに住んでいたとき、彼の横に寄り添っていたのは確か「テレーズ」だった。
離婚して、また結婚して、その間に休みなく食べ続けて体型を完全に変えてしまった、ということか。幸せそうなのはわかるが、以前は実にイイ男だっただけに衝撃は大きいのだ。
「もう、誰も振り返らないから安心ねえ、ぺトラ。」とひそかに心の中で毒づく。
バンコクに帰ると必ず寄るブティックがある。
タイ産の美しい絹やその他の趣味のよい工芸品が並んでいて、見ているだけでも飽きないからだ。最近では香りの品々も多くなり、石鹸や蝋燭に加えてオイルなども置いてある。
オリエンタルの香りはどことなく気持ちを落ち着かせるもので、おだやかな気持ちのまま絹製品を手にとっていたわたしは、ふっとわたしの前を通り過ぎた白人女性にいきなり心を乱された。官能的で濃厚な香りがしたからだった。クリスチャン・ディオールのポワゾンだ。
この香水が全盛期を極めていたとき、わたしはパリにいた。チューリッヒからパリへの旅行は、飛行機を使えば2時間もかからない。そのころのパリでは、どこへ行ってもこの香りが鼻をさした。ねっとりとからみつくような香りで、たぶん体臭と混ざり合ってよけい動物的な挑発を秘めるのかもしれない。ひとに寄って香りが微妙に違うのも、刺激的だった。そして、それはまさに白人女性の体臭のために作られたような香水だった。
そのことに気づいたのは、その後に里帰りした日本でもやはりポワゾンをつけている女性が大勢いたからだ。
当時はバブルの真っ只中で、挑発的で高価なドレスを身につけた若い女性たちが、六本木を闊歩していた。そしてこの香水がむせかえるように振りまかれていたのだが、香りが違う。面白みがないのだ。どの女性も同じ強くセクシーな香りを放っていたが、いかにせん日本人は体臭がない。からみつく刺激的な体臭がないので、このポワゾンは行き場を失って毒のないただの「よい香り」になってしまっていた。
わたしも実は一本持っているのだが、あまりに強くてほとんどつけたことがない。それに悲しむべきか喜ぶべきか、わたしも日本人のひとりであるから、ほとんど体臭がないのだ。引っ張り出して手首にちょいとつけてみたが、やはりあの原始の欲望を目覚めさせるような香りにはならない。宝のモチグサレ、とはこのことである。
身体を壊したおかげでなんともションボリとした日々を送りながら、かろうじて生活の糧を得ていたという次第。覚えている方も覚えてない方も、こんにちは。
あまりにも長いことネットから離れていたために一体どこから始めようかとぐずぐずしていたら、「マチともの語り」サイトのMAOさんからメイルが届いた。以前からお話はいただいていたのだが、ちょうど身体を壊した時期と重なってしまったため、そのまま宙ぶらりんになっていたのだ。「そろそろ、いかがですか?」の言葉に、とんと背中を押されたような形で書き散らしになっていたファイルを開いた。ありがたい。
最初はエッセイにしようかと思っていたのだが、まあこれを機会に新しいことに挑戦してみるのも悪くないとふと気づき、全面的に書き直してから投稿した。
パースには在留届を出している日本人が2000人ほど、それ以外のほとんどが短期滞在型のワーホリか、語学学校で英語を学ぶ若者たちだろう。大自然とそこに生息するコアラやらカンガルーがイメージされるが、パースは一応オーストラリア国土の半分を占める西オーストラリア州の首都である。首都だからには高層ビルもちらほらあるし、洒落たレストラン、バーやそこに棲みつく得体の知れない大人たちもいる。
カジュアルな印象のパースをガイド片手に楽しむだけではなく、「ある日ある時」を違った視点から切り取るのもまた面白い。
MAOさんが背中を押してくれたおかげで、こうしてまた更新に手をつける決心がついたが、以前のように毎日というわけにはいかないかもしれない。書きたくなったときにだけそろりと書くという姿勢のほうが、持続するような気もするからだ。毎日書きたければそれもよし。ブログの登場でインターネットもますます便利になり、RSSを使えば自動的に見たいサイトの更新がわかるようになったのも、その理由のひとつ。
ということで、これからもよろしく。



