甘栗を買う人民服のウェイトレス
北京の街には、乾いた砂埃とともに冬が訪れます。静電気がびりびりと光を放つほどの低い湿度は、この街に独特の香りと色を漂わせながら、薄く黄土色の幕をおろしはじめるのです。
こんなふうに寒くなると、人民服の下にたくさんの下着をつける中国人は皆ころころと丸くなります。20年前の北京では、防寒コートと呼べるものは人民兵の着る緑色の大きなもの以外見かけることがありませんでした。
そして、街の市場にはちらほらと甘栗の屋台が立つようになります。ヨーロッパでよく見かける焼き栗ではなく、日本でもおなじみの甘く焦げ臭い甘栗です。
そのころ住んでいたホテルの近くにはそんな大きな市場があり、そうした甘栗の香りが散歩していたわたしの鼻をくすぐりました。身振りでひとつ欲しいと伝えて、札を出すと屋台のおばさんは困ったような顔をしながらも、おつりを渡してくれます。その当時の外人は皆、外貨から両替した特別紙幣しか持っていなかったので、街中でもそのお金を出すことで人だかりを作ってしまうのでした。
「あなたも甘栗が好きなんですね」と後ろから声をかけられて振り向くと、なんとわたしの住むホテルのレストランのウェイトレスです。
首から上は毎日見る頬の赤い顔なのですが、その下は粗末な人民服がパンパンになるほど着こんでいるのです。普段は真っ赤な刺繍のはいったチャイナドレスを着ている、すらりとした女性ですが、そのなまめかしいスリットから見えるのは赤い毛糸のパンツというのが、その当時のちぐはぐな北京の現代化を物語っていました。
北京に着いてまだ1ヶ月とたっていなかったころのことですが、初めて見る普段着の彼女の素朴な笑顔と温かい甘栗のぬくもりを、今でもよく覚えています。
(初出:AVANCE!No.125, 18/04/2004)
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わたしがはじめて北京を訪れたのは1995年の初夏。
一月ほどの仕事を終え、一人だけ帰国を延長して交道口の胡同にあった小さなホテルに滞在した。
午前中の市内散策から帰って、昼下がり、部屋で休んでいると、路地から物売の声が聞こえてくる。それがなんとも情緒があるのだ。午後の日差しは散策向きではないこともあり、毎日その声を聞くために午後は部屋へ戻って来るようになった。
そうしてぼくは北京の路地で迷子になって4年間そこで野良猫として暮らすことになる。
懐かしい北京とという言葉に反応してしまいました。
1995年わたしはすでにバンコクに住んでいましたが、商用で2度(正確には5月と9月)北京を訪れています。86年に離れてからほとんど10年ぶりに見た北京ですが、その変容ぶりに驚きました。
人民服はすでに過去のものとなり、若いひとたちはカラフルな服を着て化粧さえしています。なんだか別世界のようでした。
仕事の関係で韓国人の外交官に連れられて行ったのは、韓国人向けのカラオケバー。薄暗い雰囲気のそこで働くのは、北朝鮮から流れてきた女性たち。韓国の外交官がこんなところに来ていいのかなあ、と思いながら、非合法のにおいを放つバーで、わたしはひたすら煙草を吸いながら彼の歌を聞き流していました。
わたしが各国の大使館を回っていたときに、MAOさんはその小さなホテルで物売りの声を聞いていたのかもしれません。
それとももしかしたら、どこかでわたしとすれ違っていたかもしれません。