2004年4月アーカイブ

学校の帰りにショッピングセンターに寄ったら、大学のときにツルんで遊んだ同級生に偶然バッタリと出会った。
ばっちいTシャツにばっちいジーンズ、髪は長めでピアスもしているひとだったが、いや何とネクタイなんかしめているではないか。
「私立男子校の教師だからねえ、厳しいんだ。今はまだ暑いからシャツにネクタイでも許されるけれど、冬は背広だぜー」と言っていたが、さっぱりしてしまって見違えるようだ。就職する場所によって、服装も変わるもの。

彼と鉢合わせしてビックリしたあと、「抱き合って再開を祝福した」(なんとオーバーな)のだが、ハグだけかなと思っていたら、フランス式に三回も頬をスリスリされてしまう。仏語圏ベルギー人だったのを忘れていた。
ここのところそうした挨拶を交わす機会がなかったので、頬を合わせ始めたときに「はて、何回すればいいんだろう」と相手の出方を伺ってしまった。


スイスドイツ語圏では、左右(または右左)の2回から始まり、フランス寄りになるに従って、左右左(または右左右)の3回、丁寧なひとは右左各2回ずつの4回だ。男性同士以外は全て、これだ。

オーストラリア人は親しいひとの間だけで、頬に一回チュッとキスする。ただし、頬へのキスは異性同士だけだ。女性同士、男性同士ならハグ(軽い抱擁)が一般的である。

これが東欧になると、がっしり肩をつかまれて右頬にぶちゅう、そして左頬にもぶちゅうとやられる。肩をつかまれているから、どんなにジュウシィなキスを受けても逃げられない。

反対にスイスでもフランス語圏の影響をかなり受けている「年配の婦人たち」は、白粉と口紅がつかないように、頬は触れるか触れないかの位置に留まる。ハタで見ていると、顔を背け合って右、左、右と優雅な体操をしているようで面白い。

わたしが一番慣れ親しんだ挨拶は、右左右のフランス式で頬と頬を触れ合わせる一般的なものだ。スイスに帰ると、友達の間ではほとんどこれである。女性同士もこの挨拶なので、何組かカップルが集まるときなどは、最初の5分ほど相手を次々と代えてキスと挨拶に専念しなければならない。

ところが、握手から始まってキスにいたるまで、知り合ったが最後必ずと言っていいほど「肌を触れ合う」西洋と違い、日本では知り合うまでは「肌を触れ合って」も気にしないのが習慣になっているらしい。

1月の帰国で久しぶりに繁華街の駅に行ったとき、週末で大変混んでいたのだが、プラットフォームで右から左からよくひとにぶつかられるのだ。そして、ぶつかられたわたしのほうが謝っていた。皆、そんなわたしを無視してせかせかと去っていく。
多少空いている電車の中でも、急いで降りるひとは周りのひとを押しのけて出て行くが、謝ることはない。

もっと混んだ電車は、すでにそんなことに慣れていないわたしにはマカ不思議な空間である。
周りが斜めに押し寄せてきて、自然にイモ洗い状態のまま電車に流し込まれる。全くのアカの他人同士だというのに、こんなにびったり身体ごとくっついて平気でいられるのは、「仕方ないね」の習慣なのか。そしてふと気づいたのだが、もしここにわたしの友達が一緒にいたら、わたしたちは1cmでも離れようと努力するのではないか。恋人同士でもないかぎり、満員電車で友達や親戚とこんなふうにくっついているのは耐え難いと思うのだ。
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豪州パースの夕方のショッピングセンターもかなり混んでいたが、立ち話中のわたしたちの側をかなりたくさんのひとが通り過ぎる。話に夢中になってはいたが、通行人があまり近くを通ろうとすると、彼がわたしの肩をそっと抱いて、ぶつかることのないように10cmほど移動させる。誰かに触れると、「失礼」と軽く謝る。

「さあて、行かなくっちゃ。明日の授業の準備があるし。今度ゆっくり酒でも飲もうよ。」ベルギー人の彼はそう言って、わたしの頬に軽く音を立ててキスし、去っていった。
なんだよ、今度はいきなりオーストラリア式じゃないか。

あと2回来るのを待っていたわたしは、肩透かしをくらってヨロヨロしてしまった。

voltage.jpg昨日の市場の片隅にあった看板。オソロシク下手くそな絵だが、危ないってことだけは字が読めなくても大変よくわかる。

びりびりびりびり。


休暇最後の夜、久しぶりに浴槽にお湯をためて自家製**「クレオパトラの風呂ミックス」をたらし、蝋燭をつけてみる。普段は、早朝のカラスの行水で目を覚ますだけだが、ゆらゆらとする蝋燭を眺めながら熱い湯に身体を沈めるのも、たまにはいい。

しかし、こちらのバスタブは浅くて平たい(しかも長い)ので、アタマだけ出してすっかり湯に浸かるには寝そべらなければならない。足がアチラ側に十分届くほど背が高いなら安心していられるだろうが、両脇にしっかりつかまっていないと、オシリがつるんとすべって溺れそうになるのがリラックスを少々さまたげる。しゃがんで入れる和風浴槽が欲しいなあ。

まあいきなり絶世の美女になって風呂から上がれるわけでもないが、少なくとも明日の「戦場」(=教室)に備えて、よく眠れそうだ。


**「クレオパトラの風呂ミックス」**
お風呂好きなひとのための簡単に作れるレシピ。(飲まないでください。こんなもの口にしたら、下痢します。)

ヴァージン・オリーブオイル 半カップ
牛乳 2カップ
ジャスミン アロマオイル 3滴
ローズ アロマオイル 2滴
サンダルウッド(白檀)アロマオイル 2滴
ミネラルウォーター 2カップ

泡立て器を使って牛乳とオリーブオイルを混ぜる。
アロマオイルを一滴ずつたらしながら、混ぜる。
熱い風呂に全て流し込む。

greencurry.jpgココナッツミルクがあったので、昨日の市場で買ってきたバジリコと茄子を使ってタイ風激辛チキンカレーを作ったが、今回はカレーの素作りはやーめた、ということで市販のグリーンカレーペーストを使う。面倒くさいときには、臨機応変・変幻自在がわたしの得意とするところなのだ。

カレーペーストをじっくり炒めて香りを出してから、ショウガと鶏肉、そして茄子のブツ切りを加えて炒める。そこに生グリーンチリのブツ切りもぱっぱっぱと散らしてやる。鶏肉に火が通ったらココナッツミルクを半分加えて混ぜ、乾燥コブミカンの葉、レモングラス、バジリコを加えて20分くらい煮てから味を整えて、ココナッツミルクの残りを加えて一煮立ち。
サラサラのカレーにはタイ米がよく似合う。しかしチリを追加してしまったせいで、いやはや辛いこと、辛いこと。

オーストラリアの高校では、上級生の11,12年生(15歳から17歳)の日本語授業では、尊敬語と謙譲語への「入門」に手をつけなければならない。「くれる」「あげる」「もらう」とその前に動詞をくっつけただけの単純なものだが、これがどうして彼らには非常に難しい。

おなじ意味の文なのに、何故幾通りもの言い方があるのか。「先生は、わたしに本を貸してくれました」「わたしは、先生に本を貸してもらいました」、そしてこの場合先生のほうが立場が上で、しかも「わたし」に対しての行動だから、「あげる」は使えない。
日本語を母国語とするひとなら、まず大半が間違いなく言える文章である。(「大半」と添えたのは、「犬に餌をあげる」と言うひともいるからだ。これは「犬に餌をやる」である。)

ここらへんまでは、日本語を勉強する10代の少年少女たちでも、なんとか理解することができる。
問題は、「先生は、わたしの妹に本を貸してくれました」だ。そしてこれに、「○○先生は、△△先生に本を貸してあげました」や「ナニナニくんは、コレコレちゃんに本を貸してくれたのよー」が加わると、天を仰いでアタマを抱え込んでしまう。

第三者に関する文章にはさまるこれらの言葉は、「自分と自分を含むグループ」と「自分と自分を含むグループの外にいるひとたち」の境界線をどこに引くかによって、決まるからだ。

この「境界線」は実にあいまいで、同じ第三者のことを話していても、そのひとが誰と対するかによって、「あっち」に行ったり「こっち」に戻ってきたりする。また、境界線のこちら側が拡大すると「自分と自分を含む日本」になったり、非常にマレではあるが「自分と日本を含むアジア」になったりもする。

ここまで来ると、イタイケな少年少女たちは、「めんどっくさああああい」とため息をついて、バッグから最新号のファッション雑誌を取り出し、机の下で開くのだ。

しかしこうしたタグイまれなる言語を母国語とするかぎり、そして日本以外の国に住み続けるかぎり、わたしは死ぬまでその弁護と説明に明け暮れるのではないかと思う。日本語教育に携わろうとなかろうと、だ。

わたしは実のところ愛国者であり、できる限り自分の母国に「わたしの存在」を認めてもらいたいと思う在外日本人のひとりだが、人生の半分を外国で暮らしていると、「すごいわねー、何ヶ国語も話せて」という言葉の裏に、「このひとはこっち側のひとじゃないから」という視線が幾度となく透けて見えることがある。

quiche.jpg日曜日恒例のファーマーズ市場に行った。
相変わらず仏頂面を下げたおじさん、おばさんたちが、新鮮な野菜と果物を売っている。

しばらく来なかった間に、市場の隅っこに新しくカフェが出来た。あまりひとは入っていないが、まだ朝である。焼きあがったばかりのパンや菓子がウィンドウに並んでいて、朝食を食べないわたしの胃がくくうと鳴った。
どうしても食べたかったのが、このホウレンソウとマッシュルームのキッシュ。あんまり大きかったので自宅ランチでゆっくり食べようと思い、包んでもらった。

それをレンジで温め、ホウレンソウと水菜のサラダを添えて新聞の上に置いたら、匂いにつられてゆきちゃんがぽんと目の前に飛び乗った。

灼熱地獄の夏から一転、「日陰に入ると涼しい」のが嬉しい。
日中25度-30度、日没後15-18度の気温は、真夏と真冬を除けば、ほぼ1年の半分以上の平均である。空は相変わらずぽか~んと抜けるように真っ青だし、空気も澄んでいる。

絶好の散歩日和になったので、朝のうちに、以前住んでいたアパートの近くに車で行ってみる。ここには、小さな墓地があるのだ。土曜日ということもあって、ちらほらとお参りのひとの姿も見かけるが、この生者と死者の「無言の共存」という空間が、わたしは何故か好きである。

最近話題になったが、パースの二大墓地が、オーストラリアで初めて葬式ウェブキャスティングのサービスを始めた。1時間あまりのチャペルでの葬儀の模様を、インターネットで実況中継するのだ。
配信は、あらかじめ時刻とパスワードを記したメイルで通知されるので、地方や外国に住む親戚、知人も同時刻にネット上で葬儀に参加することができる。費用は約8000円ほど、ずいぶん安いなあと思ったら、経費だけが請求される非営利のサービスなのだそう。

移民の国オーストラリアでは、外国に知人や親戚を持つひとも少なくない。突然の不幸に、ビザ取得や飛行機の予約さえままならないこともある。費用の問題もあろう。そうした数々の制約にわずらわされないこのサービスは、ネットの普及にともなってこれから全国的に広まるにちがいない。

しかしフツウの葬式と言うと、もう何年も顔をあわせたことのない親戚と会い、また昔の知人と旧交を温めたりというオマケがついてくるものだ。わたしも何度か経験したが、そのたびに「いや、葬式のときだけ顔をあわせるんじゃなくって、これからは時々席をもうけましょ」なんぞと約束をし、結局その次に顔をあわせるのはまたもや葬式のときである。
そうやって、いつかは「その葬式のときだけ顔をあわせるひと」の葬式に出たりするんだろうなあ。いや、もしかしたら彼らのほうが、わたしの名と時刻とパスワードを記したメイルを受け取るかもしれない。

パースに帰ってきたら、嘘のようにむくみがひいた。バンコクに滞在中、指輪も靴もはいらないほどむくんでいたので、風邪もさることながら「身体の調子が悪い」ような気がしていたのだ。これも、タイの気候のせいだったのか。
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昨日バンコクを立つ前の軽いランチで、blog::TIAO 「モールス信号は死んでいなかった」の話が出た。原典はここらしいが、70年ぶりの改定になるかもしれないとか、時代の流れを感じさせる。しかし、モールス信号に@マークが加わったとして、モールスを使わなきゃいけない環境でメールアドレスの通知なんか何になるんだ、と思うのは誰しも同じ。

わたしのパートナーも笑いをおさえて、口に含んだ白ワインをようやく飲み込んだ。
「でも、懐かしいなあ。僕が昔持っていたこども百科事典には、表紙の裏に見開きでモールス信号表、裏表紙を開くとそこはやっぱり見開きで手旗信号表が載っていたよ。」

スイスの子どもたちは、ほとんどボーイスカウト・ガールスカウトに参加するが、そのときにモールス信号を習うのだそうだ。それほど一般的だったから、昔の子ども辞典には必ずモールスと手旗信号の表があった。
「子どものときに習ったことは意外に忘れないもので、まだ覚えているよ」と、彼は胸をはった。

さらにスイスは「国民皆兵」の国、現在も徴兵制があるから、*成人男子は一通り信号なども初年兵学校でオサライしなければならない。とてもじゃないが、忘れられないだろう。

(*現在のスイス軍で、まだモールスと手旗を使っているのかどうかは不明。)

orangeprawnspa.jpgスーパーに行くと、オレンジの季節になったのがわかる。まだハシリなので高価だが、みずみずしく輝くオレンジは食欲をそそるものだ。
大量購入はひとまず日曜日の市まで待つことにして、ひとつだけバスケットに入れた。

ニンニクと輪切りのズッキーニをオリーブオイルで軽く炒め、解凍した海老を加える。オレンジ半分のジュースとすりおろした皮は、少し前からサフランを沈めてあるので色がもっと鮮やかになった。これを最後に鍋肌からそろりと入れる。煮立ったら、ぱっとイタリアンパセリを加えて火をとめ、タリアテッレをざっと混ぜ合わせる。

殻ごと炒めた海老のコクがオレンジの香りに微妙な深みを与えていて、美味しい。
今度は果肉も入れてみよう。そのほうが爽やかさが増して、もてなしの前菜にも使えそうだ。

歯医者に行った帰り、ちょうどお腹もすいたので日本風ラーメン屋の暖簾をくぐる。タイ語なまりの「イラシャイマッセー」の声に送られてカウンターまで進み、近くにあった週刊ポストだかゲンダイだかをつかんで読み始めた。「紙に書かれた日本語の活字」には、いつも飢えているのだ。

糸井重里が、「オトナ語」がどうのこうのと対談をしている。
社会人たちが会社や取引先で極めて当たり前のように使う言い回しを、オトナ語と名づけたらしい。さっそくオフィスに戻ってからネットで検索してみると、「ほぼ日刊イトイ新聞」に詳しく載っていた。

「物理的にむずかしい」「実際問題、こうこうです」「そういった意味では」「xxするという方向で検討してみたいと。。。」「とりあえず一度かたちにして、それからですね」
何年か前日本でのビジネスがあったとき、わたしはその「オトナ語」に悩まされたことがある。

微妙な気遣いや含みのある言葉遣いは、日本で働いたことのないわたしには「漠然と理解」していても、実際には使うことができない。だから、クライアントであるスイス人社長がいる席での日本企業への通訳は、「わたしのほうこそ現代語訳のできる通訳をつけて欲しい」と思ったほど難しかった。

ましてや、旧態依然としたその製品業界の大会社には、「御用聞き」である仲立会社がコバンザメのようにびっしりくっついている。専門用語と独特の言い回しが、どんな会話にもふんだんにちりばめられた世界だったのだ。

わたしは日本語を流暢に話すし、姿カタチも完璧な日本人だ。ところが、ビジネスの言い回しに関しては新卒の紺スーツ以下である。そりゃあ、相手を立て、なんとか円満に自分の意思を伝え、また相手の意思も汲み、なんてことは、年の功と常識でどうにでもなる。だが、外来語の短縮形を混ぜた「含みのある」会話となると、もうお手上げだ。
わかったようなフリをしていたが、実際には「たぶん、こんなことを言っているんじゃないかなあ」と推測したことも多く、冷や汗をかいた覚えがある。

改めてこうして活字になったもの(本ではなくて、サイトに置かれた原型のことだが)を読むと、本人たちはマジメに使っているのだろうなと思われて、大笑いしてしまうほど可笑しい。
若いひとたちの言葉が乱れているなんて豪語しているが、社会人のオジサン、オバサンたちだって外には通じない言葉を無造作に使っているのだ。当たり前が当たり前でなく「面白い」と受け取られてしまう事実は、日本語をちょっと立ち止まって意識してみるのにちょうどいい。笑うことは身体にもいいし、ね。

kakuni.jpg近くにできた居酒屋の「豚の角煮」が旨いらしい。昼がラーメンで夜が居酒屋では、まるで単身赴任中の日本人のような食生活だが、パースに戻れば「気軽に和食」と言うわけにはいかないのだ。

さて。注文した角煮は驚くほど大きい。食べやすいように切ってあるのかと思ったら、丸のままだ。500gはありそうなそれは、しかし箸をすっと通すほど柔らかい。味もほどよくしみて、甘すぎず辛すぎず。
熱燗を口にしながらひょいと周りを見ると、どうもここは仕事帰りの日本人が寄るところらしい。わたし以外は皆男性で、会社(工場)のユニフォーム姿も多い。そして、1時間あまりパートナーとちびちびやっていたら、8時を過ぎたころからかなり話し声がやかましくなってきた。隣からも後ろからも、仕事のウサばらしをする酔いのまじった声が飛ぶ。
タイ人従業員を別にすれば、東京の片隅の居酒屋かと錯覚してしまいそうな雰囲気だった。

北京の街には、乾いた砂埃とともに冬が訪れます。静電気がびりびりと光を放つほどの低い湿度は、この街に独特の香りと色を漂わせながら、薄く黄土色の幕をおろしはじめるのです。

こんなふうに寒くなると、人民服の下にたくさんの下着をつける中国人は皆ころころと丸くなります。20年前の北京では、防寒コートと呼べるものは人民兵の着る緑色の大きなもの以外見かけることがありませんでした。

そして、街の市場にはちらほらと甘栗の屋台が立つようになります。ヨーロッパでよく見かける焼き栗ではなく、日本でもおなじみの甘く焦げ臭い甘栗です。
そのころ住んでいたホテルの近くにはそんな大きな市場があり、そうした甘栗の香りが散歩していたわたしの鼻をくすぐりました。身振りでひとつ欲しいと伝えて、札を出すと屋台のおばさんは困ったような顔をしながらも、おつりを渡してくれます。その当時の外人は皆、外貨から両替した特別紙幣しか持っていなかったので、街中でもそのお金を出すことで人だかりを作ってしまうのでした。

「あなたも甘栗が好きなんですね」と後ろから声をかけられて振り向くと、なんとわたしの住むホテルのレストランのウェイトレスです。
首から上は毎日見る頬の赤い顔なのですが、その下は粗末な人民服がパンパンになるほど着こんでいるのです。普段は真っ赤な刺繍のはいったチャイナドレスを着ている、すらりとした女性ですが、そのなまめかしいスリットから見えるのは赤い毛糸のパンツというのが、その当時のちぐはぐな北京の現代化を物語っていました。

北京に着いてまだ1ヶ月とたっていなかったころのことですが、初めて見る普段着の彼女の素朴な笑顔と温かい甘栗のぬくもりを、今でもよく覚えています。

(初出:AVANCE!No.125, 18/04/2004)
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chickencheesesauce.jpgタイが日本より2時間遅れているのを、すっかり忘れていた。こちらがまだ17日なのに、東京ではもう18日になっちゃっているわけで。

オーストラリアから持ってきたチーズと脂肪3%のクリームなんてものがまだあるので、グリルドチキンのチーズソース添えを作る。本当は4種類のチーズを使うのだけれど、ゴルゴンゾーラとパルミジャーノしかない。まあこのふたつのチーズは単品でも一癖も二癖もある強い個性を持っているので、コクには十分だ。
バターと小麦粉を火にかけて練り合わせ、そこにチキンコンソメを少しずつそそぎ、とろりとするまで弱火で煮る。そこにクリームとおろしたチーズを加えて、塩コショウで味をととのえるだけ。さっぱりした鶏の胸肉には、このこってりしたチーズソースがよく似合う。
しかし、脂肪3%のクリームを使っても、残りの材料がかなり高カロリーなので、ダイエットには全く向いていない。

静かなソンクランが終わって、今日からオフィス再開だ。帰ってきてからずっと雑用をほったらかしていたので、わたしも本格的に「ビジネスのひと」に戻る。コワい秘書も、もちろんいつものように隅々にまで目を光らせている。

今年は週のど真ん中にソンクランが来てしまったので、月曜日と金曜日も閉めてしまうところが多いらしく、まるで「飛び休」のゴールデンウィークのようだ。今日もあまり電話がなく、まだまだ静か。

「先週、また宝くじを当てたらしいですよ。今度は、5000バーツ(約15000円)ですって。」
秘書が耳打ちしてくれたのは、わたしのメイドのことである。掃除の嫌いな彼女は、午前中のうちにサッサと仕事を済ませ、午後は「宝くじを当てる」ことに専念するのだそうだ。
宝くじ雑誌(タイでは神頼みだけじゃないのだ)でもじっくり読んでいるのか、と聞いたら、「ちがいますっ。瞑想してるんだそうですっ。」と、秘書が目を吊り上げた。

瞑想とは、一大事だ。
わたしが午後に声をかけると、髪を乱して眠そうに部屋から出てくるメイドだが、あれは「昼寝」じゃなかったのか。

「ベッドに横になって一心に宝くじのことを考えていると、いきなり数字が目の前で踊り出すんだそうです。そして誰にも言わないで、その数字のくじを急いで買いに行くと、必ず当たるんですって。」 それじゃあ、あまり一心に「瞑想」しすぎて、やはり眠くなっちゃうときもあるんじゃないだろうか。
「信じようが信じまいが、彼女はそれでもう何万バーツも当てているんですよ。もうほとんど第二の職業ってなものです。」 なんだか、第一の職業と第二の職業が本当は入れ替わっているような気がしないでもない。

しかし心を無にして瞑想する「煩悩のカタマリ」というのは、あまりに矛盾していて、そしていかにもタイらしい。

rosemarypork.jpg昨日から始まったタイ正月「ソンクラン」のおかげで、行きつけのレストランのほとんどが3日間休業、屋台さえまばらだ。いつもの渋滞がなく、普段は30分かかるところへでも5分で着いてしまう。タイ人もガイジンも揃って消えてしまったバンコクでは、年中無休のショッピングセンターが賑わいを見せているだけだ。

午前中は、誰もいないマンションのプールにドザエモンのように浮かび、午後遅くなってから買い物に出てみた。

鶏肉はたとえ鳥インフルエンザに侵されていたとしても、80度以上の高熱で調理すれば大丈夫らしい。それでも、3ヶ月ぶりのスーパーでは鶏肉がほとんど売られていない。隅っこのほうに丸のままの鶏肉が4-5個ころがっているだけだ。

代わってハバをきかせているのが、豚肉だ。「清浄豚肉」と大きく書かれているが、タイのことだから、本当かどうかはお釈迦様だけがご存じだ。
それではベジタリアンになるしかない、いやいや野菜だって危ないって言うじゃないか、と心の中で葛藤してみてもしょうがない。久しくローストをしていなかったと考え直し、大きなかたまりをひとつ切ってもらった。

ローズマリとタラゴン、それににんにくを加えて、実はタイにもある思い石製の臼の中でぽくぽくと叩く。前にも書いたが、フードプロセッサーを使うよりは、こちらのほうが風味が出る。出来上がったペーストを肉に塗りたくり、ついでに切り口にロズマリーとにんにくをねじりこみ、後はオーブン任せだ。付け合せには、チェリートマトとピーマンをバルサミコソースで軽く炒める。

オフィスも閉めているし、ウルサイ秘書も掃除の嫌いなメイドもいない。なんだかシンとした家の中に、スパイスと肉の焼ける香りがふわりとただよってきた。

先月からちょっとずつ試してはいたのだけれど、いかにせんまとまった時間がとれないために進んでいなかった。このサイトの「改築工事」のことである。
HTMLをFFFTPからアップロードするのも、いちいちカテゴリ分けしてからインデックスを作るのもめんどくさくなった。そろそろ、デザインも変えたい。日記にアクセスするひとのほうが多いので、そちらをHOMEにしたほうがはるかに能率的でもある。

そんなわけで、一応 movable type で形だけは整えたので、あとはおりを見て使いづらい部分などを修正していこうと思う。骨組みだけをきちんと作れば、あとはシステムが勝手にデータをさばいてくれるというのが、実に嬉しい。

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ウェブログに関してサイト巡りをしていたら、こんなものを見つけた。Blogbinders「あなたのウェブログで、本を作りましょう」という新しいショーバイだ。

books01.jpg今のところサポートされているウェブログシステムも限られているし、日本語に対応しているのかも疑問だが、確かにうまいところに目をつけている。これだけ誰でも参加できる世界ならば、自サイトに書いたものを手にとってみたいと思うシロウト作家が現れても、不思議ではない。その上ちまたで自費出版するよりはるかに安いし、数量も1冊から選べるのだ。
こんなベラボウに安い費用で「自己満足」が得られるなんて、世の中便利になったものである。

しかし「自己満足」というものは、ときどき「自己」内にだけ留まらないこともあって危ない。製本された「わたしの本」を、密かに撫でさすりながら愛でるだけならよいが、その「満足感」をまわりにも味わってもらおうと決心しちゃうからである。

昔々、ノートに書き連ねた詩を全部コピーし、何度もホチキスでとめようとした後が目立つ紙束(それほど厚かったということだ)を渡されたことがある。仲のよい友達からだったので、「読んだら、感想をちょうだいね」と言われたときには天を仰いだ。
そして、限りなく稚拙で貧弱な語彙が、背中がむずかゆくなるような甘ったるい詩となって永遠に繰り返されていることを確認したときには、恐怖でアタマの中が真っ白になった。親友にこういうことを頼んではいけないよ、**ちゃん。

わたしのこのサイトも密かな自己満足のタマモノだが、今のところ製本しようとも、ヒトサマに感想を強要しようとも思わない。細々とした発信に答えてわざわざ訪れてくれるひとたちに、ただ感謝するのみである。

どうもありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。

roastvegi.jpgパースはここ何ヶ月か40度を超える日がかなりあり、エアコンのない教室で教えているセンセイにはことの他つらい夏だった。
バンコクの夏は久しく経験していなかったので、身体が忘れちゃっていたのかもしれない。温度ではパースに負けてはいるが、湿度はかなりのものだ。キッチンで夕食を作るのは、殺人的でさえある。

野菜でもローストしようとオーブンに火をいれたら、キッチンまでオーブンの中のように「熱く」なってしまった。何度もリビングルームに戻って涼み、息を整えてからまたキッチンで食事の支度を続ける。そんなことを繰り返していたら、肉をグリルするのが嫌になってしまい、代わりにパースから持ってきたサラミと生ハムを切ってパンを添えた。

何か忘れたかな、と思いながら家を出るのは嫌なものである。杞憂に終わるならまだしも、忘れたものに気づいたときにはすでに遅いからだ。

今回の忘れものは、飛行機の中ではおるジャケットだった。
暑いパースから同じくらい暑いバンコクに飛ぶにもかかわらず、飛行機の中というものは北極熊さえ目を覚ますほど寒い。毛布の追加を頼んだにもかかわらず、案の定風邪をひいてしまった。
ここ何ヶ月かひいていなかったのに、まさか休暇が始まったとたん鼻水の洪水に悩まされるとは思ってもみなかった。

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イースターとタイ正月の「ソンクラン」は、ほとんど前後してやってくる。今週末はイースターだったが、来週からはソンクランだ。
そして、都会のバンコクでは外出しても水をぶっかけられることはまずない。せいぜいマンションの周りに住む子供たちが、水鉄砲を持って走り回るくらいだ。

ところが、北の都市チェンマイとなるとそうは行かない。バンコクではせいぜい3日で終わってしまうソンクランも、あちらでは2週間続く。ロックしていなかったわたしの知り合いの車は、大喜びのタイ人にドアを開けられて水びたしになった。色のついた水を盛大にぶっかけられた友達は、まるでゾンビーのような風体で家に帰らなければならなかった。
そして、ドラム缶に氷屋で買ったひとかかえ以上もある氷を入れて、トラックの荷台から通行人に盛大に水をかけたグループには、わたしも参加していた。もちろん、次の日には風邪をひいて高熱を出した。
ところが1週間ベッドでうなされたというのに、頬のコケたわたしに誰も同情してはくれない。トラックの荷台から自分もびしょびしょになって水をかけまくるわたしの姿は、写真となってオフィスに出回っていたのだ。

バンコクの水かけ祭りはほとんど観光名物と化してしまったので、世界各国のバックパッカーたちの集まる一角が一番にぎやからしい。「らしい」と言うのは、わざわざこの時期に繁華街になど足を踏み入れないからだ。
チェンマイのソンクランを経験したら、バンコクで水なんぞかけてもらっても面白くない。

期末近くなると、必ず膨大な量の採点に時間をとられ、週末はほとんど赤ペンを握りしめる生活になります。
今回はトータル768枚の答案があり、クラス人数の多い下級生たちを受け持っているわたしは、またしても学校内でイチバン多い答案保持教師の座を勝ち取りました。

そんなわけで、週末に優雅な料理なんぞしている暇もあらばこそ、気がついたらランチまで忘れていました。ヘンテコな時間ですが、そのまま答案をかついで近くのベトナム料理屋に。

そんな時間にもかかわらず、安くて美味しいと評判の食堂は半分ほどテーブルが埋まっています。わたしは答案を広げるのにちょうどよい4人席にでんと座り、いつものように辛味噌入りの汁ビーフンを注文してから、がりがりと赤ペンを走らせていました。

ドアの近くの席だったので、はいってくる客からわたしのしていることは丸見えです。まあ知っている顔もいないだろうとタカをくくっていたら、ちょうどはいってきた大勢のひとたちの中に見覚えのある8年生の子供の顔が。そしてその後ろから見えるのは、彼女の姉である9年生の女の子。隣には11年生の女の子。ぞろぞろと入ってきたのは、インドネシア系家族総勢9人だったのです。6人兄弟に父母、そしてどうやら祖母らしきひともいます。

わたしはと言えば、ジーンズにくたびれたTシャツ、もちろんすっぴんにド近眼めがねというイデタチです。いやいや、誰にも会いたくないときに限って、こうしたことは起こるものなのです。

「センセー、赤い汁を答案に飛ばさないでねー」とわざわざ笑いながら言いに来た9年生の後姿を見ながら、わたしはそうっと麺をすすり始めました。

(初出:メルマガ「AVANCE!」 No. 124, 04/04/2004)

近年各国で大ヒットをとった「アメリ」というフランス映画があるが、ここに出てくる世界を旅する小人に大笑いをしたひとも多いと思う。

主人公の父親は最愛の妻を亡くした後、「ひきこもり」生活を送っている。彼の唯一のよりどころは、祭壇と化してしまった庭の片隅にあるおもちゃの小人だ。
全く外に出ようともしない父をなんとかしたいと思ったアメリは、その小人を盗み、友達である国際線ステュワーデスに託す。かくして、世界中を旅する小人からは、各都市から有名な場所を背にした写真が送られてくるのだ。もちろん、最後には小人はちゃんと元の庭に戻っている。
小人さえ旅をするのだ。
父親は一大決心をして、大きなスーツケースを持って旅に出ていく。

アメリのチャーミングな策略は、ニューヨークの摩天楼やオランダの風車を背に写真におさまる、赤い帽子のおもちゃの小人とともに、楽しい余韻を残したものだ。

ところが最近、友達と一緒におしゃべりをしていたときに、ひょいとその話題が出た。「あのジョークは最高だったよねえ」と言ったら、「いや、あれはオリジナルじゃないんだよ。イギリスでは、かなり有名なんだ。」

あのプラスティック製の小人は、ヨーロッパではどこの庭用具売り場でも見かけるものだ。片隅にちょこっと置いて、童話の雰囲気を漂わせる小道具として使われることが多い。
「だから、ひとのウチの小人を盗んで、ちゃんと書置きを残し、いろんな場所から写真を送り続けるってのは、かなり大掛かりだけれど、誰でも知っているよ。」

彼はヘリコプターパイロットだが、何年か前、知らず知らずのうちに「片棒」をかつがされていたことがあったと言う。
ヘリコプターは、救助活動をするときには、ウィンチマンと呼ばれる「救助綱」の操作をするひとを2人乗せる。そのひとたちが、非番のときにあるホテルの玄関においてある小さなカンガルーの石像を盗んだのだ。
もちろん、ホテルには「いつもこんなところに立って、楽しそうな観光客を見ているだけでは、がまんができなくなりました。自分でも世界を見聞してきたいと思います。勝手な旅立ちをお許しください。」なんぞと書置きを残したらしい。

ウィンチマンたちが非番の二週間、カンガルーは「キングスパーク」に行き、動物園でコアラと遊び、パブで夜遊びをし、あげくのはてストリップクラブにまで出没したそうだ。
写真は律儀にも毎日、ホテルに送られた。

そして仕事に戻るときになってはじめて、友人のパイロットはなんだかイヤに大きな荷物が後ろに隠れているのに気づいた。幌をめくってみたら、なんとカンガルーの石像だ。
見つかっちゃったウィンチマンたちは白状したが、まあこのままパースにおいておくわけにもいかず、ヘリコプターは「招かれざる無賃乗客」を乗せて仕事に戻ったそうだ。

カンガルーはそのままこっそりとホテルに戻り、知らん顔をして玄関に立っていたが、ホテル側がこんなおもしろい話を逃すわけがない。
ロビーには、その後「パース旅行に行ったカンガルー」の写真が、書置きと共に陳列されていたと言う。

しかし、石像なんてかなり重いだろうに、こんな大掛かりなジョークを本当に実行するひとがいるから、世の中面白い。

hotcrossbun2.jpgヨーロッパでもこれはどちらかと言うとアングロサクソン系の習慣らしく、スイスやフランスでは見たことがない。
アングロサクソンの「春の女神」(イースター)を崇めるために作られたのがその始まりで、この丸い形は月を、そして十字は四季を表している。しかし、初期のキリスト教会がこの習慣を引き継いで宗教的な意義が強めたため、本来の「春を祝う」という習慣は薄れていってしまったようだ。

店先に出回る食べ物によって、季節または伝統を感じるというのは日本でもよくあることだが、このバッテンのついた菓子パンで「ああ、もうすぐ休暇だい」とウキウキしてくるのは子供たちもセンセイも同じである。

昨日放課後の語学教師ミーティングの席でも、この菓子パンがふるまわれた。普段しかめっつらをしているセンセイたちの顔ももちろんほころんでしまう。
わたしもひとつもらったが、選んだのはチョコレートチップ入りのものだ。シナモンの香りが鼻をくすぐり、あんまり美味しいので「どこで買ったの?」と思わず聞いてしまった。

今日ショッピングに出たのは、普段の「買出し」もあったが、ホントの目的はもちろん焼きたての Hot Cross Bun である。朝のうちに車をブッ飛ばして買いに出た甲斐があり、パン屋のおじさんが渡してくれた紙袋からは、シナモンの香りとともに暖かいぬくもりが手にじんわりと伝わってきた。