2004年3月アーカイブ
ストレスが高まってくると、ヤケクソのように甘いものが食べたくなる。
そして切らしていたミルクを買いに寄ったスーパーで、その罪悪感をさらに煽るようなものを発見してしまった。
Arnott'sという豪州産ビスケット会社の新製品、チョコレートコーティングされた柔らかいビスケットだ。「カルーア」というわたしの大好きなコーヒーリキュール味のクリームがはさんである。半信半疑で口にしたのだが、実際にカルーアの味がするではないか。200円ちょっとで買えるビスケットとは思えないほど、美味しい。
いや、これは大変だ。
何が大変かと言うと、このビスケットは美味しいだけではなく、2つ食べただけでなんと茶碗1杯のご飯ほどのカロリーがあるのだ。ひえ。
何を食べようかなあ、と迷っていたのだが、結局土曜日に買っておいて「冷凍するのを忘れた」ポークチョップにする。
ニンニクの切り口をすりこんで塩コショウ、それをグリルしてからソースをつくる。ソースはスライスしたマッシュルームにパインナッツ、みじん切りのアンチョビを加え、軽く炒めてから赤ワインをじゅっとかけて煮詰める。そこにスープを入れてとろみをつけ、出来上がり。簡単だが意外にコクのあるソースで、アンチョビと豚肉は相性がよいこともあわかった。しかし、ソースに使った赤ワインの残りはやっぱり飲んじゃうよねえ。
ソニーから発売される電子ブックリーダの記事を読んだ。これからはこうした端末での読書が主流になっていくのだろうか。
長年外国に住んでいて日本語の読み物に飢えていたから、、青空文庫ができたときには狂喜乱舞した。著作権の切れた日本文学には森鴎外、夏目漱石から、芥川龍之介、太宰治など、近代から現代までの良質な本の数々がどんどんと電子化されていたから、片っ端から読んだ。
ところがある時点から、どうもコンピュータで「読書する」という行為が苦痛になってきたのだ。
今でも時々読んではいるが、初めて電子ブックに接したころよりはぐんと減った。そして相変わらず日本に里帰りするたびに、大量の本を買い求め船便で送っている。中には、電子ブックで読んだばかりの作家の文庫まで潜んでいることもある。
随筆、小説、またはその他のジャンルにかかわらず、あるひとにとって「良い本」というものは、その中に「書かれたもの」だけを指すのではない。装丁と呼ばれる芸術、紙の種類、そしてフォントに至るまで、全てが「書かれたもの」に付随して、「読む」という楽しみを高めてくれるのだ。
手にとって何度も読み返した読者には、たとえ文庫本であろうとも手触りからかすかな紙の匂いまでが、「書かれたもの」と一体となって記憶に残ることが多い。
だから、たとえ電子ブック端末機がどんなに「白黒印刷された紙と同様の表現力を持つ」と言われても、どんなに便利で場所をとらないにしても、とてもじゃないが本と太刀打ちできるものではないなあ、と思ってしまうのだ。
飲茶を食べにシティまでやってきた友達とその家族に合流。
週末のランチに飲茶というのは、もう万難を排して駆けつけるくらい大好きだ。何人か集まらないと色々な種類が楽しめないので、ひとりじゃ行けないし。
わたしが必ず注文する定番は、このチャイブと海老の蒸し餃子、塩コショウ味ゲソの揚げ物、そして鳥の足。鳥の足と聞いて、昔「ぎゃ」と思ったことがあったがもう今では病みつきだ。一度蒸してから豆鼓ソースで柔らかく煮てあり、筋の部分はこりこり皮の部分はふっくりとしている。ゼラチン質は、身体にもいいそうだ。
オーストラリアにもニュース「ショー」があり、日本では夜比較的遅い時間に始まる番組が、7時ごろから様々なトピックスを記者の視点で流す。
週末にこうした番組を寝そべって見ていたら、「威嚇するドライバー」というタイトルが目に入った。こりゃずいぶんブッソウだが、車を運転したことのあるひとなら、バッシング(後ろにぴったりとついて「どけどけ」と意思表示をすること)や、後ろから追い抜いて鼻先をかすめて前に割り込まれたことが必ずあるだろう。
もちろんそうした行為を肯定するわけではないが、この番組が肩入れをしていたのはなんと、制限時速60kmの道を40kmで走りたい80歳以上の老人やら、運転がこのわたしよりヘタクソな主婦ドライバーなのだった。
「わたしゃ50年間無事故で来たんですよ。そんな安全運転のわたしを威嚇するドライバーにひとこと言ってやりたくってねぇ。わたしはいつもきちんと交通規則を守っているんですからね。」
と言いながら、レポーターを乗せて走るご老人の車は彼と同じぐらいオンボロだし、周りを他の車がばんばん追い抜いていっているところを見ると、ものすごいカメ速度のようだ。クラッチをふんでギアを変えるたびに、それ以上に速度が落ちるのがまた哀しい。ほとんど道の真ん中で止まっちゃっている。
「車がないと生活できないような国ですからね、わたしは速く走るのが怖いんですが、それでもなんとか乗っているんです。誰もがスピードを上げられるとは限らないんですから、威嚇することはないんじゃないですか。危ないですよ。」
たぶん四輪駆動のジープは「四輪駆動」にすらしたことがないお買い物用車なのだろうが、35歳の主婦はそんなデカイ車で高速道路の三車線目、「追い越し車線」を80kmで走る。制限速度は100kmだ。当然彼女の後ろには長い車の列ができ、思い余った車がなんとか二車線目にできた隙間から彼女の鼻先をかすめて追い抜いていった。
「見て見て見てっ。ものすごく危ないでしょっ。」
真剣にうなずくレポーターすら、大いなるカンチガイに気づいていないようだ。口をあんぐり開いて見入るほかはない。
個人主義はどこかタガがはずれると利己主義と紙一重だが、公共の場である道路上でひとりだけ度を越した低速で走るのを、非とは思わないひとがいる。
どちらのドライバーも「安全運転」という言葉を何度も口にしたが、彼らの安全は周りのドライバーたちの「寛大な黙認」に守られているのだ。それを当然と思う視野の狭さが、道路の真ん中で異次元を作っちゃったり、高速道路では低速車は第一車線を使うという「常識」の目をも曇らせる。そして「安全な自分」が、実は事故への発端となるかもしれないという事実に考えが至らない。
どうしてこんなに車の少ないパースで渋滞が起こるのか、理由のひとつがわかったような気がした。
雅楽多blogで見つけた日能研「シカクいアタマをマルくする」。
オーストラリアでは、もうずいぶん長いこと学校で一般的に使われている Open End Task と呼ばれる「答えがひとつではない」問題のことである。
人生には「1足す1が2」にならないことが沢山ある。そして、そうした問題が自分で考える頭を生み出すのだ。日本の教育が一番ヘタクソなのが、このひとりひとりの能力を伸ばすことだったが、今さらながら西洋の教育トレンドが浸透してきたようである。
やっかいなのは教師の仕事が増えることだ。
こうした問題の常で、採点が難しいし、時間がかかる。
今日の晩御飯は鯛をオーブンで焼いたのよ、と母に言ったら、電話の向こうの江戸っ子弁は「シとりでオカシラ付きかい。豪勢だねえ。」と威勢がいい。ここでヒとシの間違いの揚げ足をとったりしたら、国際電話だろうが何だろうが延々と小言が始まるので、とりあえず無視だ。
オカシラ付きと言って、日本では「メデタイ」ときにしか登場しない鯛も、こちらでは色々な種類があって丸のままのものが魚屋でも手にはいる。わたしはその中でも小ぶりのものを探し出して買うが、50cmくらいもある大きなものがゴロゴロと氷の中に並べられているのだ。
そして、こんな大きな魚でも蒸せる蒸篭(せいろ)は、中華食品店に行けば後ろのほうに埃をかぶって壁にかけられていたりする。大は小を兼ねるので、欲しいなあと思ったりもするが、まさかゆきちゃんが二匹くらいはいる蒸篭をどこにしまえばよいのか見当がつかない。
だから、こういうときにはまたしてもわたしの好きなオーブンが登場するのだ。
ごま、ショウガ、チリをきざんで鯛にすりこみ、用意したタレをオーブン皿にしいてからそうっと置く。そして途中でこげないようにタレをかけたり、アルミホイルをかけてやれば、30分もたたないうちにこんな豪華な「オカシラ付き」が出来上がる。わたしの大好きな目の下の頬肉も、ゴマの香りをほんのり放って、うーん柔らかく美味しい。
こういうときには、タイを経由してパースまで持ってきた日本酒のひやをくいっとあおってみる。
カレーが食べたいなあと思いながら、まだあの妙に懐かしい和風インスタントカレーの素を買っていない。
仕方がないのでまたもや重いモルターを出して、ターメリック、クーミン、粒マスタード、コリアンダー、胡椒、レッドチリなどをどかんどかんとつぶす。この重い石製のスパイス挽きを使っていると、結構ストレス解消になる。パンの種をこねたり台にぶち当てるときにも、こういう高揚感を味わえるものだ。
包丁を使い材料を力をこめてブッ叩くのは、要するに気分転換にもってこいの行為である。
スパイスさえ常備していれば、カレーは案外簡単にできる料理だ。で、今日のカレーはビンダルーと呼ばれるインド料理では一般的なもの。
つぶしたスパイスに酢、塩、砂糖を混ぜて、そこにあめ色になるまで炒めた玉ねぎ、トマトソースを加えて、ミキサーにかけてしまう。これがビンダルーと呼ばれるペーストで、色々なレシピがあるそうだが、わたしはこのトマトソースを入れるものが好みにあっている。
時間があればここにチキンをいれて1晩マリネしておくのだが、今日はそのまま焼いたチキンにかけて、20分ほどことことと煮込むだけ。
ご飯はもちろんインドバスマティ米。タイ米をもっと細くしたような米は、香りも一種独特で軽いので、きちんと作ったカレーにはとてもよく合う。
5時まで学校にいたので、お腹がすいてそのままベトナム料理屋に直行。
この店は、安くて美味くて便利、と三拍子そろっている。何しろこの生存競争厳しい中華街の一角で、他の店ががら~んとすいている時間でも、必ず誰かが何かを食べているくらいだ。
今晩わたしが頼んだのは、豚肉と牛肉入りの辛い汁ビーフン。辛くてもベトナム料理の特徴で、どことなく優しげな甘味がベースになっている。麺は平たいビーフンではなく、うどんに似た丸いものだ。そこに辛味噌を混ぜながら、そして別皿にたっぷり添えられているバジルと生もやしを時々放り込みながら、はふはふとほおばる。
実はもうひとつドメイン名を持っているのだが、ペーパードライバーならぬ「ペーパードメイン」で全く使っていない。
e-nihongo.net を本格的に使い始めたので、全てそちらに移行してしまったのだ。もっともドメインを持っていても、サーバーに繋がっていなかったら登録してあるだけの「名前」なのでなんにもならない。
ところが、今日その使っていないドメイン名を登録している代理業者からメイルが来た。100年間更新の必要のないドメイン名はいかがかね、というのだ。100年たったら何だか他のもっと新しいサービスが出てくるような気もするが、とにかくこんな100年ドメインにすでに登録しているひとたち(あるいは会社)がゴマンといるらしい。
1年分のドメイン登録料が約3000円ほどだから、100年分先払いで約12万円というのはかなり安い。40年以上使い続けたら、元がとれるってことだが。
まあ、デカイ会社が孫の代まで繁栄すると見積もって、100年分ドメインをキープするなんてこともあるかもしれない。しかし個人でここまでするひとは、いるのだろうか。
今20代でホームページを始めたひとがこの独自ドメインを登録したとしたら、元をとれるのは60代になってからだ。いくら毎年更新の手間がはぶけるといっても、こりゃあ登録業者の新手のショーバイは何とも壮大である。今年登録した独自ドメインがなんと2104年までキープできるのだから。
しかしちょっとばかり首を傾げたくなる疑問もわく。この登録業者、100年後も果たしてまだ本当にショーバイを続けているんだろうか。
西オーストラリアには「車検」という制度がない。
したがって、どんなにデコボコであろうが、どんなに傾いていようが、どんなに色がはげていようが、まだ動くのなら乗っていてもかまわないらしい。とてもじゃないが日本ではお目にかかれないようなボロ車の走るパースでは、どんなことが起こっても驚いてはいけない。
たとえばアンテナ。
外に向かって延びている車のアンテナは、比較的壊れやすいもののひとつである。車検のある国ではこれもチェックの対象になるのであろうが、ここでは音さえ出りゃあ何をくっつけても文句は言われない。
写真ではわかりにくいだろうが、この車のアンテナ代わりに立っているものはなんとあの、クリーニング屋から戻ってきたジャケットがかかっている、針金製のハンガーである。安物ハンガーをびよ~んと伸ばして、本来ならアンテナが立っている場所にねじこんであるのだ。
この車は新しいから、たぶん常用されているハンガーではなく、アンテナが壊れてしまったのでとりあえずラジオを聴くために立ててあるのだろう。が、オンボロ車ではすでに車と一体化してしまっている針金ハンガーもよく見られるのだ。その場合は、常用されていることを示すために、針金は様々な造形芸術品となる。やわらかいから比較的形を作るのも簡単なのだ。ハート型あり、煙型あり、家の屋根型あり、三角矢印型あり、と実にバラエティにとんでいる。
今回は信号で止まったので撮影することができたが、普段は大笑いのみで通り過ぎることが多い。いつか「針金アンテナ」芸術を撮ってみたいと思うが、さていつになることやら。
ちょっと夜遊びをしていたので、3日ほどネットはメイルチェックのみ。
今日は40度まで上がるというので、朝早く起きてファーマーズマーケットへ。1週間分の野菜を買い込んだが、顔見知りの店では「今日は早く来てよかったわねえ、だって10時には閉めようかって、みんなと相談していたところなの」と言われた。あまりの暑さに野菜も果物もくたりとなってしまうので、いつもの正午までという時間を早めたのだそうだ。
まったくもう秋だというのに、この残暑はあまりに残酷だ。
最初に40度の気温がパースを襲ったのは、なんと去年の11月である。それからもうほとんど5ヶ月だというのに、これも地球温暖化現象のひとつなのか。
朝8時ごろにはまだ早朝の爽やかさが残っていて、葉のたくさんついたブロッコリもみずみずしい。
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金曜日には、前から気になっていた MUST WINE BAR というトレンディなレストランバーに行ってきた。街のど真ん中に住んでいると、こういう場所にも5分ほど歩けば着いてしまうので、酒をしこたま飲んでも運転しなくてすむ。
レストランはカウンターのみのワインバーコーナーとレストランに分かれているのだが、木の床と金属的なインテリアのせいで驚くほどうるさい。ひとの話し声がエコーしてくるので、前に座った友だちの声さえ耳をかたむけなければ聞こえないほどだ。まあこういうのはクラブと同じで、30分以上たてば耳のほうが慣れてしまって段々と聞こえてくるようになるのだが、いかにせんこれじゃあそこらへんのパブの騒音と変わらない。
そんなわけで最初からあまりいいイメージを抱けなかったのだが、メニュウを持ってきたウェイトレスの手際もよくない。メニュウをおいてしばらくしてから戻ってきたのだが、そのときに「今日のお勧めというのもあって、あそこの黒板に書いてあります」などと言う。そういうことは初めから言っておいてくれたら、メニュウと比べっこをしてどれにするかすぐに決められるのに、また時間がかかってしまった。
こちらの国には妙な風習があって、ヨーロッパで呼ぶところの仔牛肉は「乳のみ子をコロすのはだめえ」という動物愛護の観念から食べることができない。飼料を食べ始めてからの牛なので、肉はピンク色ではなく普通の牛肉と見分けがつかない赤い色をしている。ところがこの上を行くベビービーフというのもあって、これは仔牛よりもっと何ヶ月だか成長した牛肉となる。こちらの固い牛肉に比べればどちらもやわらかいのだが、なんだか騙されたように感じるのもこんなときだ。
わたしはそのベビービーフのステーキのマッシュルームソース添えを頼んだ。例によって「あのですね、ミディアムレアがよいのですが。。。」と細かく注文したのだが、出てきたら中がうっすらとピンクの「ミディアム」だった。
こういうことはよくあるので丁寧に頼んだのに、わたしの好みの「真ん中1cmは火が通っているけれどマッカッカ」とはなっていない。
残念。
しかし、前菜として注文した「いちじくの生ハムとゴルゴンゾーラチーズ」はびっくりするほど美味しかった。これをもう一度再現したくて、今日ファーマーズマーケットでいちじくを買ってきたくらいだ。
肝心のワインは、世界各国のものがグラスで次々と注文できるので大変楽しめる。ワインとちょっとしたスナックをカウンターで嗜んだほうが、このレストランの使い方としては一番かもしれない。
昨日の鶏肉の残りとシュガースナップピーを軽く炒める。
前回バンコクから買ってきたフィッシュソースは、実はマグロから出来ている。普通のタイ製フィッシュソースというのはほとんどイワシが原料だが、マグロソースはもっと塩分が穏やかで、味にも丸みがある。なにより、あの強烈な香りも少ない。
こういうちょっとばかり高級なソースは、シンプルな炒めものの味を「アップグレード」してくれるものだ。
わたしのアパートは、修復した大きな19世紀末のモルト工場だ。
工場の昔のままの棟をそのままアパートに改装しているから、天井が高いし建物自体も大きい。しかし、何度も書いたように隣人がうるさいのと、入り口にたどりつくまでの長い階段に、近頃閉口してきている。
正確に言えば3階と4階にあるので、たくさん買い物をしたときなど外階段を上がりきるとぜえはあと息が切れるのだ。エレベーターなどもちろん、ない。
その長い階段をものともせず、夏の初めから蟻がぞろぞろとキッチンにはいりこんできている。米粒ほどのハムが落ちたところがマックロになっていて、虫にはからきし弱いわたしをひえええと叫ばせることが多くなった。
それどころか、ゆきちゃんのごはんボウルの中にまで侵入してくるのだ。彼女は食べ方がバッチイので、ボロボロとドライフードをこぼし、齧っては飛ばし、したがって蟻は大喜びをしているらしい。
仕方がないので、大きめの皿の上に水をはり、その中にごはんボウルを置くようにしたが、「堀」があるにもかかわらず蟻がボウルの中でゴソゴソと動いている。
最近の蟻が泳げるとは知らなかった。
と思ったら先週あたりから、ゆきちゃんの猫ミルクボウルの中で、ミルクの表面のふちにまで蟻がずらっと並んでいる。
最近の蟻がミルクを飲むとは知らなかった。
そばで「運の悪い同僚」がミルクの中で溺死しているというのに、たくましいヤツラである。
今晩の食事は「鳥肉の照り焼き丼」。
木曜日にまた8年生日本語クッキングの授業があるので、その実験である。前回の「バナナ巻き」の材料だった蜂蜜が大量に余っていたのを、砂糖の代わりにできないかな、とふと思ったのだ。加えて、ショウガをけずったり切ったりは12歳には少々むずかしい。瓶にはいった粉末ショウガを使ったら味はどうなるか、ということも知りたかった。時間もきちんと計りたい。
結果はまあまあ、味のほうもまあまあ。焦がさないようにするには油を少々多くして、中火から弱火にすればよいこともわかった。
何だかものすごーく甘いが、オーストラリア風になっちゃった中華料理というものもかなり甘ったるいので、こちらの子供たちは気に入るだろう。
本当ならこれに焼きネギでも加えたいところだが、1時間の授業で終わらなくなってしまいそうなので、鶏肉だけ。ご飯も授業前の早朝にといでおいて、家庭科のセンセイにスイッチだけ入れてもらうようにした。授業前に炊き上がっているだろうから、少しは楽かもしれない。
何しろ、22人の生徒に料理を全て「日本語」で教え、自分も料理して見せ、彼らを手伝い、写真を撮り、後始末までチェックして、宿題も出さなければならないのだ。大変なクラスを引き受けちゃったなあ、とため息も出るが、実はこういう新しいプロジェクトを長期間できるのは、資料としても貴重だ。
テレビを見ていたら、94歳で亡くなった隣人から十億円の遺産を贈られた農家の話をしていた。誰も彼がそんなものすごい金持ちだとは知らなかったそうで、身寄りのない彼の面倒を見ていた隣人もたいそうビックリしたことだろう。
しかし、誰もが一度は夢見る一攫千金が本当に起こることもあるのだ。
その反対の話もパースで実際にあった。
ある弁護士が、身寄りのない老女の住む海辺の素晴らしい家に眼をつけたのだ。何とかしてその家を安く手にいれたいと考えた彼は、老女に「これこれこのくらいの値段でその家を売ってくれれば、あなたが亡くなるまでタダで住んでいてもかまわないのですが」と話を持ちかけた。安いと言っても海辺の家である。結構な値段だろうし、老女も家にタダで住めてかなりの現金が手にはいるのなら、と家を譲り渡した。
弁護士のほうは、もちろん老女は長くてもあと10年ほどの命だろうとタカをくくったのだろう。ところがその目論見に反して、彼女はなんとエリザベス女王から100歳の誕生日に手紙までもらい、105歳で天寿をまっとうした。
かわいそうなのはその弁護士である。彼は待っても待っても死んでくれない老女にイライラしたであろうが、ついにその家に住むことなく、彼女より10年ばかり早く他界したそうだ。
運なんて、まったくどこに転がっているかわからないものである。
パースで大学院に通うみずさんが、お茶に寄ってくれた。
電話があってから、すぐにアフタヌーンティー用のケーキを買いに出かけたのだが、普段は日曜も開いている美味しい店が休みだ。それならどうせ休みなんだからと勝手に理屈をくっつけて、急遽昼下がりのワインとスナックに。あり合わせのものばかりだが、白ワインにはよく合う。
わたしのアパートはセキュリティゲートがあり、客はそこからアパート番号にインターフォンをかけて鍵を解除してもらわなければゲートは開かない。
ところが彼女はいきなりわたしのアパートのドアを叩いた。あれ?と思ったら、どうもアパート番号を忘れてしまったようで、ゲートを登って無断侵入してきたのだと言う。歩行者のいないのを見計らい、サンダルをそっとゲートの下から内側に押し込み、裸足でえいっとよじ登る身軽で小柄な日本人女性ひとり。
話を聞いて、盛大に笑ってしまった。すんません。
仕事の合間に、最近気になっていた「ブログ」に関して検索をかけた。ちょっとした知識さえあれば色々と自分好みに変えられるシステム Movable Type についての記事、また実際にそれを導入して使っているひとたちのブログにはとても興味をそそられる。
ひとつひとつの記事または日記に読んだひとが直接コメントできること、トラックバックというシステムを使って関連する記事にリンクが貼られることなど、ネット内でのコミュニケーションとしては、新しい時代の幕開けだ。(実際にはもうすでにレンタルやコミュニティもあるのだから、こんなことを今さら書いているわたしのほうが遅れている。)
わたしもCSSやCGIを使って様々な試みをしてきたが、実はこれらコンテンツの横のつながりはない。外部に向かって開かれたサイトでもない。どちらかと言えば、一方通行の発信である。掲示板はあるが、これはあくまでも一般的に一言残してもらえる場であり、わたしの更新情報の発信であり、わたしの書いたものに対して直接コメントを残せる形とは違う。
また、確かにサイト内でリンクしてはいるが、あくまでも「サイト内」、つまり家の中の「内線電話」的つながりであって、わたしのよく訪れる外のサイトはリンク集として独立したページにあるのみだ。
そんなわけで、実験としてLivedoorのレンタルブログに作ってみたのがこれだ。
バンコクのビジネス用には、bloggerを使った求人情報のアップデートを今年の初めからアップしていたが、こちらのほうはあくまでも「更新情報」としての機能しかもたせていない。これは、HTMLの知識のないバンコクのスタッフのために作ったものだから、ブログとしてのコメント、トラックバック、または内容のインデックスのない、極めてシンプルな記録だ。
今回livedoorに作ってみたら、CSSでデザインも変えられることがわかった。自分のサイトに作るには、Movable Typeをダウンロードして改造すればよいのだが、わたしの米国レンタルサーバーでは日本語機能がない。このモジュールのインストールを管理者に頼んでいるのだが、さていつになることやら。
いずれにしろ、イースター休暇でバンコクに戻ったら、少しまとまった時間がとれるかもしれない。大々的なオーバーホールはそのときに。
脂肪分の極端に少ないクリーム(脂肪3%以下)というのが、こちらではスーパーでも手に入る。それを使って、今晩はトルテリーニのソースを作った。
マッシュルームと玉ねぎを刻んで炒め、白ワインを入れて半分になるまで煮つめる。ついでに少々くたびれたホウレンソウも刻んで入れた。それにスープとクリームを加え、茹でたトルテリーニにさっとかけて出来上がりだ。
見た目は普通の脂肪分40%以上のクリームとさして変わらないが、味は少々さらっとしている。これなら胃にもたれる心配もないのが、嬉しい。
しかし、さらっとしているからまあいいかと残りの白ワインを開けてしまったので、「低カロリーディナー」のモクロミは泡と消えた。
やることは沢山あるが、あえてやらずに日曜日の夕方まで残しておく。日曜日の西日が射してくるころになると、どうせじりじりとわたしのオシリにも火がつくのだ。
そんなわけで、今回の土曜日は買い物を済ませたあと何もしない。
嫌がるゆきちゃんにブラシをかけ、あとはゴロゴロとわたしも一緒に寝そべって本を読んでいただけである。
金曜日には4時半まで学校に残って月曜日の準備をしていたのだが、「ああ、休みがほしいっ」と同じく残っていた同僚教師が叫んだ。
教師は学生とともに休暇がたくさんあって羨ましいわあ、などと言うひとたちは、わたしたちがほとんどの週末を費やして授業の準備をすることを、忘れているようだ。数えてみたら、わたしは週50時間以上学校の授業とその準備に時間を費やしている。
休みと言えば、教師でなくとも1年にいっぺんは長期休暇をとるのが、西洋人の考え方である。
わたしも日本から出るまでは、休暇と言うのは、箱根の温泉にでも一泊して、観光もして、カラオケも歌って、土産物をサンザ買い込んで、日曜日の晩に疲れて帰ってくるものだと思っていた。海外旅行に来る日本人も皆、秒刻みのスケジュールをこなしているではないか。
しかし、違うのだ。
最低2週間同じ場所でゆっくりしなければ、彼らは「休暇」とは呼ばない。
普通、日常の疲れと仕事のストレス、または「やるべきこと」から完全に思いが離れるのは、休暇の1週間が過ぎてからである。1週間過ぎれば、段々と気持ちや身体も休暇モードに切り替わる。周りの景色が楽しめるようになる。本がゆっくりと読める。夜更かしをすることが、快感になる。酒や食事がゆっくり味わえるようになる。
そして仕事に戻る1-2日前から段々と来週からの仕事に思いを馳せるようになり、「ああ、休暇ってなんて短いんでしょう」とぶつぶつ言いながらも、リフレッシュした心と身体で日常に戻ることができるのだ。
わたしのバンコクへの「里帰り」は、だから「休暇」ではない。
自分のウチとオフィスに帰るのは、ひとつの「日常」からもうひとつの「日常」に横の移動をすることであり、リフレッシュするという言葉とはほど遠い。
来月のバンコク行きチケット予約確認のメイルが、旅行代理店から来ていた。
その最後の言葉が「よい休暇をお楽しみください」だったので、小さなため息が出る。
子供たちに接していると、どの子が「いじめっ子」なのかわかる。周りの子供たちの彼に対する反応が、微妙に臆しているからだ。
日本の話だけではなく、実際にオーストラリアでも「いじめ」はある。それが証拠に、スタッフルームのポスターには、そうした子供たちの電話相談や面談の記事が載り、「いじめ」についての公開講座も行われている。特定の子供が「いじめ」にあっているようなので、教室内で気をつけること、などと秘密扱いの名指しでメモが回ってくることもある。
今日も、そんないじめに遭っている15歳の少年が自殺未遂をした。
わたしの同僚教師の甥である。
彼女の携帯に電話がかかり、その知らせが来た。どうやら命はとりとめたようだが、原因はその少年がゲイだったことにある。大人の社会でもまだ偏見を持っているひとたちがいるが、子供の世界はもっと残酷だ。毎日のようにいじめられ疎外されていたらしい。
彼の自殺はこれで2度目だと言う。こういう話はやりきれない。
わたしのクラスにもひとり、とても優しげな瞳に女性らしい仕草の少年がいる。彼は決して男の子たちと交わらない。一緒にいるのはいつも少女たちだ。9年生の少年たちは皆思春期の始まりで、大人になりつつある体と心の不一致から、扱いにくくなる時期にある。かなり荒れたクラスが多くなるのもこの9年生たちだ。
そんなクラスに置かれるのが嫌で、彼は去年8年生のときに猛烈に勉強した。「センセイ、日本語がもっと出来るようになれば、9年生になったときに選抜クラスのほうに行けるんでしょう?」と必死の瞳でわたしに聞いて以来、一生懸命がんばり、テストのたびに「ボクの成績は選抜クラスに十分ですか?」と確認してきた。
9年生選抜クラスは成績優秀な生徒の集まりで、平均的に少女たちのほうが語学能力が優れているため、少年は3分の1にも満たない。反対に普通のクラスは、はるかに少年が多いのだ。
年度末のクラス調整の際、彼の成績は優秀ではあるが選抜クラスに行くには少々足りなかった。しかし彼の日常の友人関係を見れば、少女が数人しかいないクラスで「いじめ」の起きる可能性が大きいのは明らかである。
そうした理由をもとに、わたしが強く押したこともあり、彼は今年から9年生選抜クラスに行くことになった。
今年はそんなわけで、彼はとても嬉しそうだ。廊下で会ったときに「センセーーー、ボク今年はまたセンセイのクラスです。それも選抜クラスです。」と頬を染めて話しかけてきた。
この優しい少年が、今後残酷ないじめに遭わないことを願うばかりである。
週の半ばだと言うのに、あまりよく眠れないせいか疲れた。こういうときは、仕事なんかしないで、テレビを観たり本を読んだりするほうがいい。
ところが、本を開いたとたん「仙人」から電話があった。
わたしの教師友達のひとりだ。背が高くてエンピツのようにかりかりと痩せているし、どうも俗世と性が合わないくせに色々なことに手を出すシンガポール人でもある。だから「仙人」だ。
30も過ぎたので、シンガポールの親がなんと強引に見合いの相手をパースに連れてきたらしい。しかし、あちらでも「三高」は流行だそうで、「背が高いのと高学歴はあるけれど、金がないからなあ」という彼の言葉から、どうやら断られる見込みだ。
「それはそうと、教師の仕事だけじゃなくて、他にも履歴書送った。」どこだと聞いたら、なんとでかいホテルのカジノでディーラー見習いの口だと言う。アジア政治史、中国古典、日本文学で3つも修士を取っておきながら、なんで今度はディーラーなんだ。
その前には教師の口がなくて、「身分を隠して」レストランのキッチン手伝いなんかしていた。キッチンの手伝いなんぞ、彼のような高学歴の履歴書を披露したら悪い冗談かと思われてしまうからだ。
わたしも去年は半年ほど教師の口がなくて失業していたが、彼の場合はもっと運が悪いようだ。
「今度また刺身用の新鮮な魚を買って行くから、寿司食べさせてねえ」とノンキなことを言っているが、そんなお金あるのかいな。
このところ新入生(新8年生、日本の中学1年生に当たる)の歓迎の意味なのか、彼らの参加する催しが相次いで行われている。そのせいで、半分以上の子供たちが抜けたクラスが多く、授業が少々遅れ気味だ。
その中のひとつ、今日は水泳大会だ。
日本のように単に赤組、白組ではなく、赤、青、緑に金色の組がありそのチームの対抗となっている。これは8年生全員が参加するので、今日わたしの担当する8年生クラスはお休みだ。しかし、だからといってセンセイまでお休みにはならない。授業のないクラスのセンセイは、水泳大会で抜けている体育のセンセイたちのクラスにピンチヒッターとして出かける。わたしも1時間、12年生の授業(もちろんわたしが教えるわけではなく自習)の監督だ。
もう1時間は水泳大会が行われているプールサイドの監視である。泳ぐのは8年生だけかと思ったら、9年生から12年生までの選抜選手たちも参加している。こちらはほとんど模範競技のようで、ばちゃばちゃと泳ぐ8年生に比べると、速いしかなり泳ぎなれている水泳部の生徒たちらしい。
12歳から17歳までの子供たちの水着姿を見ていると、ふうんとうなってしまった。何しろ、この時期の子供たちの成長は目を瞠るものがある。12歳くらいだとまだまだ手足も細く、男の子か女の子か見分けがつかないくらいちっぽけな体型なのに、1年ごとに肉がつき、筋肉がつき、水泳部の最上級生17歳になると、もうオトナの身体だ。
去年わたしが担当していた8年生日本語クラスにいた男の子が、今年は9年生水泳部の選手として参加しているが、わたしが初めて見たときには、まだ声の甲高い、エンピツのように細く小さい男の子だった。それが、半年でもう見事にわたしの背を追い抜き、声が変わり、二の腕と胸に筋肉がついている。
「ニンゲンの生物学的変化と成長を見ているようですねえ」と感心して呟いたら、わたしの隣にいた数学教師がぶっと吹き出した。
わたしは昔からなぜか「三白眼」に憧れていたから、天地茂というその男らしい役者が大好きだった。彼は時代劇にも出ていたし、三輪明広が主演した「黒蜥蜴」で探偵明智小五郎も演じた。
全く笑わず、眉をするどく寄せてひたすら苦みばしるその顔に、マセた小学生のわたしはほうとため息をついたものである。
ところが、ある時天地茂はバラエティ番組にゲストとして出演した。そしてたぶん西川きよしだったと思うが、司会者が「天地さん、眉毛ひらいてますよ」と笑いながらもビックリした。が、もっとビックリしたのはわたしのほうである。なんということだ。
天地茂が笑っている。それも、開いた八の字眉毛で。
そこにはあの三白眼にきりりと眉間に皺を寄せた天地茂はいなかった。ただのヘラヘラと笑うオジサンがいるだけだ。
そしてこのときわたしは、「俳優はバラエティに出ちゃいけないんだ」と苦々しくも人生最初の失望を味わったのだった。それ以来、俳優に憧れるという思いをあまり味わったことがない。
「こーんなカッコいい役を演じているけれど、もしかしたら普段はアホウなチンピラかもしれない」とか、「知的なヒロインを演じている美しいひとだが、本当の彼女は語彙を200くらいしか持たないかもしれない」とかの疑惑がアタマをよぎってしまうのだ。
それよりは、その彼や彼女を含む映画や音楽自体に没頭していたほうがはるかに健康である。
昨日の晩、ようやく仕上げた「雑用」をバンコクにメイルで送って一安心。
ところが今朝早く不動産屋から電話があり、午後に2人ほどこのアパートに関心のあるひとが中を見たいらしい。このアパートの持ち主(実はわたしの友達だが)が売買を任せている不動産屋なので、いやとは言えない。
「大掃除をする必要はないけれど、とりあえず散らかっているものだけは全部しまっておいてください。」
は?と聞き返すと、「インテリア雑誌を見るとわかるでしょうが、ごちゃごちゃしていないでしょう? 表面をすっきりと、ってことです。」
散らかってはいないのだが、本やら雑誌やら蝋燭やら小物やらを全てざざっと箪笥と物置に片付けたら、ほう、本当にすっきりとしてしまった。
鍵を渡し、指定された時間にゆきちゃんをキャリーケースに押し込んで、30分ほど家を明けた。この間に不動産屋が、顧客を連れて家を案内するわけだ。
わたしはプールサイドの椅子に座って新聞でも読もうと思ったのだが、ゆきちゃんは「ぶにゃあああぶにゃあああ」と泣き叫ぶ。だめだ、こりゃ。
仕方がないので、駐車場の車の中でゆきちゃんを離してあげたら、素直にわたしの横に座っておとなしくなった。しかし、時間は4時である。5時に閉まってしまうスーパーへショッピングに出かけたりまた帰ってくる車も多く、不思議そうにわたしの車を覗くひとまでいる。
猫を隣に座らせて駐車場の車の中で新聞を読むひとは、やはり珍しいらしい。
昨晩はアカデミー賞授賞式にかじりついていたため、結局寝たのは12時を過ぎてから。欠伸をしていた子供たちも多かったが、もしかしたら同じ理由なのかもしれない。
シャーリーズ・セロンの最優秀主演女優賞は、その「モンスター」という映画を観ていないので何とも言えないが、どうもアカデミー賞というのは演技以前の「見目麗しき俳優がその身体をイタメつけなければならない役」にひどくヨワイらしい。
彼女は15kg太って、連続殺人で死刑になった娼婦を演じたし、去年は風呂にも入らず化粧もせず下層労働者階級の女性を演じたハル・ベリーだし、2年前はツケ鼻のニコール・キッドマン、3年前は性同一障害の女性(完全にオトコに見える)を演じたヒラリー・スワンクだ。
主演男優賞のほうだって、ブクブクに太った元ボクサーを演じたロバート・デニーロやら、ゲイのエイズ患者役で20kg減らしたトム・ハンクスなどが挙げられるし、パラノイアの数学者はラッセル・クロウだ。
じゃあなんでブリジット・ジョーンズで顔も身体も丸くしたルネー・ゼルウェッガーが賞をとれないかと言うと、あまりに軽いラブコメだからだ。アカデミー賞はシリアスものにもヨワイ。
ちょいと見せてくれた「モンスター」の1場面で、いやものすごい御面相と体型になってしまったシャーリーズ・セロンが出ていたが、ホワイト・トラッシュ特有の英語も合わせると「ここまでやるかい」と思わせるものがある。舞台に出てきたセンスのよいドレス姿のすらりとした美女がこうなるなんて、もうこれだけで選考委員たちが迫力に圧されてしまったのもうなずける。
しかし、賞をとるなら「こんな題材で、こんな俳優がこんなことをする」なんて傾向と対策がありそうな気もする。ここ数年主演女優賞がそればっかり、というのも胡散臭いよね。
ボランティアという言葉が注目を浴びたのは、日本ではあの阪神大地震のときだったと思う。何かしらひとの役に立ちたくて、関西に向かった若者たちも多かったと聞いた。
わたしがタイへの「里帰り」のたびにゆきちゃんを預けるのも、猫愛護団体のボランティア組織だ。資金をまかなうために猫宿泊施設を併設しているが、ここで猫の世話をするひとたちは、皆猫が大好きなボランティアたちだ。
わたしの友達も、パース郊外の州立プラネタリウムでボランティアの案内役をしていたことがある。週に2日星を眺めて、そうした組織に接するだけで楽しかったと言う。しかし、仕事の関係で2週間ごとにパースを離れなければならないため、プラネタリウムのほうから3ヶ月後に丁寧に断られた。もう来てくれるな、ということである。
こういう話を聞いて憤慨するのは、ボランティアの本当の意味がわかっていないひとたちだ。ひとのために役立ちたい、何かしたいという純粋な気持ちから、タダ働きだとわかっていながらも登録しているのに、ケシカランというわけだ。
しかしボランティアが日常化している社会では、当然解雇もある。たとえタダ働きでも組織に加入したからには「責任」もあり、それを負えないひとたちは周りに迷惑をかけるからだ。
たとえば、あなたが「今日は友達と出かけたいから出来ない」と思っても、猫の世話は待ってくれない。誰かがあなたの代わりをしなければならないのだ。
そして2週間ごとにしかボランティアの出来ないわたしの友達がいないときには、誰かが彼の代わりを勤めなければならない。
自分がしたいときにちょっと「ボランティアしたい」などと思っていては、こういう仕事はできないのだ。
ほとんどの高校では、日本語教師のアシスタントという日本人がいる。ビザの関係でもちろんタダ働きのボランティアである。現地人教師のために教材を作ったり、上級生のクラスでは会話の練習も手伝う。コピーもとらなければならないし、雑用も引き受ける。最初は言葉もままならないから、苦労も多いことだろう。
わたしが接してきた日本語アシスタントたちは、皆若くて明るい女性たちでくるくるとよく働いてくれた。慣れない外国に何ヶ月か滞在し、ホームステイと学校の仕事で友達も作り、楽しい思い出を持って日本に帰国する。あるいはそのまま滞在して、語学学校や大学に進む。
ただ、そうしたアシスタントたちの中には、やはり「ボランティアなんだから、ちょっとぐらい行かなくたって」と思うひともいるようで、無断で休んだり遅刻したり、当てにしているとレッスンプランを直前に変えなければならない事態に陥ることもある。これは、まずい。
わたしの知り合いの教師も、「したくなったら行く、嫌なときにはしない、というのがボランティアだと思っているアシスタントもいるのよ」とこぼしたことがある。
わたしも実は去年「失業していた」ときに、ボランティアで老人ホームの老人たちの話し相手になりたいと思った。そして、断られた。理由は、2ヶ月間働かせてくれるポジションがなかったからである。最低でも3ヶ月、と言われた。「そのくらい長くないと、信頼関係を築くのが難しいから」とのこと。もっともな理由なので、素直に了解できた。
ことボランティアになると、なぜか「したいひと」に優先権があるように思われるが、有給だろうが無給だろうが、仕事は仕事である。一度引き受けたからには責任をもって携わる、そして断られても憤慨しない。
だから、食べていくだけのお金さえあれば、将来白髪アタマのわたしがバンコクのスラムで日本語を教えるのも夢じゃないかもしれない。


